そして夢の幕引きを-4-

原千8

原田が北海道にやってきて二ヶ月。
同じ室で生活を共にする二人を、まわりは次第に夫婦ものだと勘違いするようになった。
しかしそれを否定して関係を問われても、納得がいく説明が出来るとも思えず、千鶴は曖昧に微笑んで誤魔化していた。

原田は優しい。
昔も今も、ずっと千鶴を気にかけてくれている。
けれど、自分の中の土方の影をいまだ消せない千鶴がその優しさに甘えてしまうのはずるいと、受け入れることはできなかった。
原田のような素敵な男を自分に縛りつけたくはない。
昔から女性を惹きつける魅力あふれた人なのだ。
彼自身の幸せのためにも自分から離れてほしいのに、まっすぐに向けられた琥珀の瞳に宿る真剣な光に、千鶴はそれ以上の説得が無理であることを悟ってしまっていた。
原田が離れないのならば、千鶴が離れればいい。
しかし、元新選組幹部である彼の目をかいくぐるのは難しい。

「どうすればいいの……」
「何がどうすればいいんだ?」
箒を持ちながらため息をこぼすと、後ろから響いた声は今まさに考えていたその人で。
千鶴はびくんと大きく肩を揺らすと、驚き後ろを振り返った。

「原田さん……!」
「驚かせたか? 箒持って出て行ったきりなかなか戻らねえからよ。ほら」
「さつまいも?」
「おう。暖をとりながら焼いて食おうぜ」
にかっと笑う姿は屯所にいた頃を思い起こさせて、千鶴はくすくすと肩を揺らした。

「……そうやって笑ってろ。お前は笑ってる方がずっといいんだからな」
「原田さん……」
それは以前にも言われたことのある言葉。
見えない未来に知らず暗い顔をしていた千鶴を気遣う優しさに気づいた瞬間だった。

段々と大きくなっていく存在。
それでも、それから必死に目をそらして。
土方の想いを消さないよう、時を凍らせる。

「そろそろ焼けたか? ……あっつ!」
「原田さん! 大丈夫ですか!?」
焼き具合を見ようと手を伸ばした原田が眉をしかめた様に、千鶴が慌ててその手をとる。
そうして火傷の具合を確かめ大丈夫だとほっとすると、彼の手を握っていることに気づき頬を染めた。

「俺は気が長えほうじゃねえんだが、お前ならいくら待ってもいいって思えるんだよな……」
「原田さん……」
放そうとした手を握り、見つめる原田。

「私は……鬼です。姿形は人と同じでも、人間の女とは違う。原田さんの夢を共にかなえる存在にはなれないんです」

胸に突き刺さる、言葉。
人間ではないのだと、風間たちの存在で初めて千鶴は自分が鬼であることを知った。

「誰がそんなこと決めたんだ? 鬼だか何だか知らねえが、俺にとってお前はただの女だよ。お前がどう考えようが、俺が添い遂げてえって思ってるのはお前なんだ」

嬉しい、言葉。
千鶴を千鶴として認めてくれる、その言葉にこみ上げる涙。

「江戸に……帰ってください」
「千鶴?」
「永倉さんがきっと心配されてます」
「新八は放っとけば……」
軽口で流そうとする原田をまっすぐに見つめて。
ふるふると、首を振る。

「追い返そうと思っているんじゃないんです。
ただ、原田さんは元々ここに残るつもりでいらしたわけではありませんよね? だから、気がかりなことはきちんとしてほしいんです」

「……そうすれば俺がもう一度戻ってきても、
お前は文句ねえんだな」

「…………はい」
偽りを許さない強い瞳に見つめられ、千鶴はそれを正面から受け止め頷く。

「わかった。……逃げるなよ」
「――はい。私はここにいます」

いつかのようなことはしないと誓って。
後ろ髪を引かれる原田を送り出す。
そうして一人部屋に戻った千鶴は、その違和感に愕然とした。
二ヶ月を共に過ごしただけだというのに、原田がいることはもう千鶴の中の日常になっていたのだ。

一人で生きていくつもりだった。
土方を失ったあの日から、千鶴は彼らの志を、生き様を自分に焼き付け生きていくと決めていた。
けれども死んだと思っていた原田に出会い、千鶴は自分の役目が終わったことに安堵した。
これで土方のもとに逝けると、そう思った。
それを引きとめたのは、原田。
自分のために生きてほしいと、千鶴をこの世界に引きとめた。
心は千々に乱れた――土方のもとへいきたい気持ちと、自分を強く求める原田へ揺れる想い。
その迷いが共に過ごす時を与えた。

「……っ……」

頬を伝う涙。
ここで待つと原田に約束したが、もしも彼の気が変わり、戻ることはなくともそれでいいと思っていた。
なのに、胸が痛む。
そうして気づく。
毎日ただ土方を想い過ごしていた日々が、いつの間にか変わっていたことに。

「……う……ぅ……っ」
こぼれる嗚咽。
受け入れなかったのは自分。
戻るよう促したのは自分。
すべて、千鶴が選んだ。

「――泣くぐらいなら最初から追い返したりするんじゃねえよ」

抱き寄せる腕。
その力強さに、千鶴は茫然と顔を上げた。

「原田……さ……ん。どうして……?」
「惚れた女を一人残していくつもりはねえって言ったよな」
「……………っ」

滲む視界でその顔が見えない。
けれど包み込む腕の強さが、確かに今ここに原田がいるのだと知らしめて、次々と溢れる涙を止めることができなかった。

「他のもんに未練なんざねえ。俺をかき乱すやつは千鶴……お前しかいねえんだよ」
「原田さん……っ」

惜しみなく注がれる恋情。
この想いに委ねてしまえたら……そう揺らぐ弱い心に、千鶴は力なく原田の胸を押す。
逃げてはいけない。
そんな理由でこの優しい人を拠り所にしてはいけない。
それは千鶴が決して譲れない思い。

「やっぱり俺なんかじゃ頼りなくて任せられねえか? 女は男の背中に守られてりゃいい……そう言いながら戦場の中に置き去りにしたのは俺だからな」

「それは、私が望んだことです」

「いいや。一度守ると口にしながら、お前から離れたのは俺だ。だから今更俺にお前を守りてえなんていう資格はねえのかもしれねえ。それでも俺はこの手を放さねえ。恥も外聞もねえ……俺はお前を手放せねえんだよ」

「原田さん……」
抱き寄せる腕の強さに払えない。
注がれる痛いぐらい自分を求める恋情に目をそらせない。

「私……は……」

「俺を気遣うぐらいなら頼れ。お前一人支えるぐらいの器量はあるつもりだぜ」

「そんなこと……できません」

「俺への想いが同情だからか?」

「…………っ」

原田の言葉を肯定も否定も出来ず、千鶴は俯く。
土方への想いが消えたわけではない。
けれども、原田に同情しているわけでもないのだ。

「忘れたくねえなら忘れなくていい。忘れてえなら俺が忘れさせてやる」

縋りたくなる弱さを受け止める優しさに、強さに。
必死に堪えていたものが崩れていく。

「ふ……ぅ……っ……」
土方と生きたかった。
彼と添い遂げたかった。
けれどもう、それは叶わぬ願い。

「私は……一生土方さんのことを忘れることはありません」

「ああ……」

「それでも……いいんですか? あなたの手をとっても……」

千鶴の言葉が言い終わらぬうちに引き寄せられ、その肩に顔を埋める。

「一緒に背負ってやるよ。新選組も……お前の想いも、全部な」
「……っ……」

唇に触れる、吐息。
さらり、と額に降り落ちた紅の髪と共に、千鶴は口づけを受け止めた。

脳裏に浮かぶ、浅黄色の夢。
どこまでも鮮やかに、気高く生き。
抱いた誠を最後まで貫いたあの人。
ずっとその背を追いかけ、共に戦乱の世を駆け抜け。
やがて隣りに立つことを認められ、戦いの果ての未来を約束して……あの人は逝った。
この胸に宿った想いは、きっと一生消えることはないだろう。
それでも私を求め、必要としてくれる人がいる。
だから、この夢を終わらせましょう。
永久の桜の軌跡――浅黄色の夢の幕引きを。
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