夕餉を終え、お茶を入れて隣りへ戻ると、左之助がじっと見つめていることに気がついた。
「左之助さん?」
「ああ、悪ぃ。……いいもんだなって改めて思ってよ」
左之助の言葉の意味が分からずに瞳を瞬くと、柔らかくその目が細められる。
「昔からいい嫁さんになるとは思ってたがな。
温かい飯に食後の茶……これが『家庭』なんだよな」
「左之助さん……」
いつ頃からか憧れるようになったささやかな幸せ。
愛する女と子を為し生きる穏やかな暮らし。
それが今、ここにあった。
すべてを賭けられるぐらい惚れこんでしまう相手が、この世のどこかにいるなんてあの頃の原田には信じられなかった。
けれど、今なら分かる。
「千鶴。お前が俺の全部だ」
女のために全てを捨てる生き方。
それは、新選組の生き方とは相反するもの。
けれど、心の底ではずっと憧れていた。
小鈴のために全てを捨てた龍之介のような生き方を。
「左之助さん……」
ほろほろと涙を流す千鶴を抱きよせ、その涙を拭う。
譲れないもののために戦い続けたかつての仲間たち。
原田にとって譲れないもの……それは雪村千鶴という存在だった。
「前に話した件、近々叶いそうだぜ」
「前に話した? ……!」
原田の言葉に、ハッとしたように千鶴が顔をあげる。
「それって……」
「ああ。龍之介と嬢ちゃんに別れを言わねえとな」
江戸に戻って数ヶ月。
偶然再会した龍之介たちには良くしてもらった。
「……左之助さんは本当にいいんですか?」
揺れる瞳。
自分を選ぶことで原田が捨ててきたものを知る千鶴。
それでも自分を選んでくれたのだと、わかっていてもなお問うてしまうのは、ただ原田を思い、気遣う故だった。
「俺のことよりこれからのことの方が心配じゃねえのか? なんせ行き先は、俺達がまだ見ぬ大陸なんだからな」
冗談めかした言葉に、しかしふるりと首を振って微笑む。
「怖くなんてありません。左之助さんがいてくださるのなら」
「…………」
思いがけない返答だったのだろう、驚いたように目を瞬かせた原田は、照れたように視線を泳がせた。
「俺もだ。お前がいればどこだって幸せだ」
惚れた女のためなら何だってしてやるさ。
そう言った原田の言葉が甦って胸が熱くなる。
千鶴を守るために、生まれ育った故郷を捨てる。
そのことを申し訳なく思わない事はないけれど。
それでも、千鶴が鬼であることに苦しむことのないように、何も不安に思うことのないようにと、この道を選んでくれたから。
「お二人がお好きなものをお持ちしましょうね」
「そうだな」
笑みを浮かべる千鶴の頬を伝う涙を、原田が拭う。
隣りに原田がいる。
そのことがとても幸せで。
千鶴はしばらく涙を止めることが出来なかった。