運命

ダリ梓2

君が好きだよ。
君が愛しくて仕方ない。
ダリウスが囁きかける言葉は梓への想いが溢れていて、いつも彼女を赤面させる。
梓だってダリウスが好きだ。
繊細で、淋しがり屋で、誰よりも優しい彼を隣りで守りたい。
彼の歩む道を共に進んでいきたい。そんな未来を望むほど、彼に心惹かれていた。

けれども彼に向けられる羨望の眼差しを見るたびに、心に不安が降り積もる。
ダリウスは見た人を一瞬で虜にするほどに魅力溢れた人だ。
そんな彼がどうして梓を選んだのだろう?
彼の想いを疑うわけではないけれど、自分にそれほど魅力があるようにはどうしても思えなくて、彼からの求婚にも答えられずにいた。
ダリウスが好き。
でも、本当に彼の隣りにいるのは私でいいのだろうか?

* *

「おはよう、梓。今朝の花は気に入ってもらえたかな?」
「おはよう、ダリウス。その、いつもありがとう……」
「ふふ、どういたしまして」

毎日届けられる色とりどりの花。
梓が求婚に頷くまで誘惑を続けると、一族の住む場所へ向かう船の中で告げた通りに、ダリウスは一日も欠かさず梓に花を贈ってくれていた。
蠱惑の森で彼が育てていた花のように瑞々しくて美しいそれらに、一族の者たちも梓が彼らの首領の特別な人だと理解したようで、二人の成り行きを温かく見守ってくれていた。

それでも、親善大使という大役に気を取られている態で、梓はいまだ彼の求婚に答えを返していなかった。
元の世界に帰ることを迷っているわけではない。帰るという選択はもう自分の中にはなかった。 病床の祖母が気にかからないと言えば嘘になるが、それでも彼の傍にいたいと、そう自分の想いを選んでいた。
だから、答えられないのは梓の臆病な心故。
まっすぐに向けられる想いを受けてしまっていいのか……躊躇いが消せない。

「今日は少しこの街を離れて出かけない?」

「いいけど……何か用事があるの?」

「違うよ。君はここに来てからずっと親善大使の役目に夢中だから、たまには俺に独占させてほしくて」

「……!」

梓の心の内を見透かしたような誘いに生じる迷い。
それでも、断るなんてできるわけもなく、梓は差し出された手を取った。

* *

「綺麗……」

「ここは万が一の時の隠れ里の候補だったけど、この土地の人たちは一族の者をすんなりと受け入れてくれたから、ここに住まう必要がなくなってね。でも、一度は候補に挙げたぐらい俺は気に入っているんだ。
だから一度、君を連れて行きたいと思った」

花や緑が溢れ、光の射すこの場所は確かに蠱惑の森に似ていて、けれども誰でも受け入れる空気が違っていて、一族の住まう街同様に彼らが受け入れられている事実を感じられた。

「早く横浜にみんなが移住できるように頑張らなくちゃね」

「ふふ、熱意溢れる親善大使殿でありがたいね。でも今日はその役目は休みだと言っただろう?」

「あ……ご、ごめんなさい」

「いいよ。君が一族のことを気にかけてくれるのは嬉しいんだ。でも君は頑張り屋だから心配でね。昨日だってナーシャや他の者たちに取り囲まれて、質問攻めにあっていただろう?」

「あれは……」

ダリウスの言葉に染まる頬。
彼から求婚されている事実があるからか、ルードの働きかけのおかげか、一族のものはみな梓に友好的で親しく接してくれていた。
特にルードの妹のナーシャは帝都やダリウスと梓の関係に興味津々なようで、一族の女性と共にあれこれと聞かれていた。

「私は大丈夫。仲良くしてもらえて嬉しいよ」

「俺も、君が一族のものと打ち解けてくれるのは嬉しいけど、少しだけ困ってもいるんだ」

「困る?」

梓が一族のものと仲良くしてどうしてダリウスが困るのかわからず首を傾げると、手を取られて甲にちゅっと唇が押し当てられる。

「! ダ、ダリウス……ッ」

「君がみんなと仲良くなって、二人の時間が全然取れなくなった。だからどうしても今日は独占したかった」

ここに誘われた時も、同じことを言われたことを思い出し頬が赤らむ。

「ねえ、梓。答えはまだ聞けない?」

「あ……」

「もちろん、君がまだ迷っているならいくらでも待つよ。君を頷かせる自信はあるし、そのための努力を欠かすつもりもない。
でももしも君が何かに迷い、踏み出せずにいるのなら教えて欲しいんだ」

促す声は強いるものではなく、躊躇う梓を気遣うもの。
だから、ずっと胸の内に沈んだ問いを口にすることができた。

「どうしてダリウスは私を選んだの?」

麗しい容姿に、優美なふるまい。
彼ほど完璧な人ならば引く手数多だっただろうし、実際一族の中でも何度も婚約者として勧められた存在もあったのだ。
それなのにダリウスは梓を選んだ。
平凡で、慎み深くもない。
梓が彼に与えられるものなど、この身一つと心だけ。

「君は俺の運命だからね」
「ダリウスは会った時からそう言ってたよね」

運命――それは彼が革命を起こすために黒龍の神子の力を必要としていたから。
そのためにダリウスは異世界から召喚された梓をさらい、自分の手元に置いた。
梓が黒龍の神子だったから。
では、梓が黒龍の神子じゃなかったら?
今と同じように運命だと、そう言えるのだろうか?

「梓」

知らず俯いていた顔を上げると、変わらぬ笑みを浮かべるダリウス。
静かな湖畔のような彼の瞳が好きだった。

「運命という言葉は君のお気に召さないかな?」

「ダリウスは黒龍の神子が必要だったんでしょ? 神子が召喚されることも知っていたし、その神子を軍から連れ去ることも決めていたし……」

それが彼の定めたことだと言うなら運命……そう表現するのも当然なのかもしれない。
けれどもそのことに胸が痛むのは、結果論としてそれが梓なだけだからだろう。
選ばれた神子が梓じゃなかったら、ダリウスは違う子を運命だと同じように告げたのだろうか?  そう思うと、どうしようもなく胸が痛かった。

「……そうだね。俺は軍が召喚する神子を自分の元に連れてくるつもりだった。――でも君が俺の運命なのは、君だからだよ」

梓だから――ダリウスの言葉の意味を測れず、問うように視線を向ければふふっと微笑まれて、背に伸ばされた腕が彼の腕の中へと誘う。

「俺はね、花のように明るくて、強くて、どうしようもなく俺を惹きつける君が愛しくて仕方ない。こんなに神子を愛しく思うなんて思ってもいなかったから、愛宕山での計画を実行する時、俺らしくもなく躊躇った」

「そう、だったんだ……」

愛宕山での事件は梓にとっても辛い記憶だったが、ダリウスが彼女を操ることを躊躇っていたと知って、胸の奥が温かくなる。

「俺が君にしたことを思えば、君を求めるなんてできる立場じゃない。それでも君は俺が傍にいることを許してくれたから、だから俺は君を乞う。俺の傍にずっといてほしいと」

「私も……ダリウスといたい。これからもずっと……」

心からの想いに、するりと口をついたのはその想いに応える言葉。
それはずっと梓の胸の中にありながら告げられずにいた真の想いだった。

「それは俺の求婚への答えと思っていいのかな?」

「……意地悪言わないで」

「ごめん。でも、君はずっと頷いてくれなかったから、俺の都合のいい解釈じゃないか確かめたくて」

確かに梓はずっと答えを返していなかったから、反論できずにいると抱きしめる力が強くなる。

「俺を選んでくれてありがとう。……本当に嬉しいんだ。君が俺を受け入れてくれたことが」

「本当に私でいいの? ダリウスだったらいくらでもいい人がいるのに……」

「君は自分がわかってないね。俺に君でいいのかじゃなく、君に俺でいいのか、なのに」

「ダリウスこそわかってないよ。どこにいてもみんながダリウスを見つめるのは、それだけ魅力的だからだもの」

いるだけで衆目を集め、接すればその洗練された所作に心奪われる。
そんな魅力の塊のような存在だというのに、ダリウス自身は全く分かっていないのは以前にも感じたことだった。

「ねえ、梓。君は自分を平凡だというけど、俺にはずっと君は特別な存在なんだよ。可愛くて、いとけなくて、いつでも抱きしめたくなる」

「………っ」

「本当に、可愛いよ」

ちゅ、っと額に降り落ちたキスに頬を染めれば愛しげに見つめられて、恥ずかしさにダリウスの胸に顔を埋める。

「ルードにもっと急いでもらわなくちゃいけないかな」

「え?」

「帝都を出る前、ルードが君の採寸をしていただろう?」

「ああ、うん。親善大使なら身なりを整えるべきだって」

「それは口実で、実は婚礼衣装を頼んでいたんだ」

「婚礼衣装!?」

思いがけない話に驚き顔を上げれば、くすくすと微笑むダリウス。

「言っただろう? 絶対、君を頷かせる自信があるって。帝都を出る前にいい生地を見つけてね。ルードもはりきってくれてたし、ナーシャも協力してくれてるみたいだ」

「そうだったんだ……」

すでに外堀を埋められていた事実に驚くより、一時は婚約者候補と聞いたナーシャの協力的な態度が嬉しくて、梓はきゅっと手を握る。

「驚いた?」

「もちろん、ルードくんが婚礼衣装を縫ってくれてることも驚いたけど……嬉しくて。
ありがとう、ダリウス。私を好きになってくれて本当に嬉しい」

隠さずにありのままの想いで微笑めば抱き寄せられて、するりと頬を撫でられる。

「そんなに可愛い顔を見せないで。婚礼前に君を俺のものにしたくなる」
「!」

艶めいた囁きに全身まで真っ赤に染めれば、くすくすと肩を揺らす姿にからかわれたと頬を膨らませる。

「拗ねないで。からかったわけじゃないよ。ただ、君にはもう少し自分がどれだけ俺にとって魅力的かわかってもらいたかったんだ」

「……どうせ慎み深くないもの」

以前もダリウスに注意されたことを思い出し唇を尖らせれば、ちゅっと食まれて、突然のことに事態を飲み込めずに目を丸くすると、甘やかな群青色の瞳に捕らわれる。

「君に慎み深くいてもらわないと、俺が煽られて困るんだ。それとも、俺がこのまま君を求めてしまってもいいの?」

「そ、それは……困る……」

いくら求婚を受け入れたからといって、今ここでダリウスの求めに応じてしまうのはさすがにできずに眉を下げれば、唇が半円を描いてわずかな距離が出来る。

「君が俺の求婚を受け入れてくれたんだ。これ以上を焦るつもりはないし、屋外で無理を強いるつもりもない。だから今は節度ある距離を保つよ」

「うん……」

本当は離れたぬくもりが少しだけ淋しいと思ったけれど、ダリウスが梓を思って言ってくれていることはわかっていたから、否は唱えなかった。

「本当に……君はいとけないね」
差し出された手に瞳を瞬けば、手を取られて指が絡まる。

「手を繋ぐぐらいなら構わないだろう?」
「……うん!」

梓の淋しさに気づき、想いをくみ取ってくれる優しさが嬉しくて握り返せば、微笑んでくれる人が愛しくて、想いが胸に溢れてくる。

「私、ダリウスが好きだよ」
「……っ、君は本当に俺を煽るのが上手だね」

問い返す間もなく重ねられた唇に、かすかに彼の目元が赤くなっていることに梓はそっと微笑んだ。
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