「ねえ、ダリウス。本当に行くの?」
いつかのように手をつなぎ、街を歩く梓は戸惑いの眼差しをダリウスに向ける。
二人が今いるのは銀座。梓の服を見立てようと、ダリウスに連れられてきたのだった。
「君は本当に無欲だね」
「だって、ルードくんに用意してもらったもので十分足りてるもの」
「確かにルードは俺の好みを分かっているし、その服も君に似合っているよ。でも、愛する人を自分で飾り立てたい男心も分かってほしいな」
「……その言い方は、ずるいよ」
そんなふうに言われたら梓が断れないことを見越して告げるダリウスに、案の定梓は困ったように眉を下げたものの嫌だとは言えず、そんな彼女の手を引き、ダリウスは楽しげに店のドアを開けた。
ワンピース、スカート、ブラウス、靴。
店内を歩いては次々と「これは君に似合いそうだ」と店員に渡し、それが梓に回されて。
試着室で全身コーディネイトされてお披露目するたびに、「とてもよくお似合いですよ」と決まり文句を店員に言われ、その横で満足げに「いいね。君は何を着てもよく映える」とべた褒めされて。
過分な評価に気恥ずかしさを感じながらも、鏡に映る自分を不思議な心地で見つめた。
この世界に来る前に着ていた服とは全然違う、映画で見たような洋服。
それを纏う自分。
この世界に残ると決めてからも梓は物をねだることはなく、ルードに身だしなみは淑女の嗜みですと諌められ、本の打ち合わせなどに出る時用に数点買い揃えた以外は、この世界に喚ばれた時の衣装を着ていた。
それはダリウスの知らないところで変わってしまうと、彼が目覚めた時に拗ねてしまうかもしれないという気遣いと、彼が眠りにつく前の自分で彼を迎えたいという乙女心。
「どうしたの? 俺の見立ては気に入らない?」
「う……ううん、そんなことないよ。ただ、今まで着たことがないような素敵なものばかりで驚いていただけ」
彼が選ぶものは質のいいものばかりで、だからこそ庶民だった梓には今まで縁のないような素敵な洋服に、本当に自分に似合うのだろうかと二の足を踏んでしまうのだ。
「俺は服を選んだだけだよ。それらを着こなしているのは、君が魅力的だからだ」
すらすらと流れるように甘い言葉を紡ぐダリウスに頬が赤らむ。
そのまますべてを買おうとする彼を必死に止めて、普段使いできそうなものを数点選んで店を出た頃には、梓の気力は底をつきかけていた。
「少し、そこのミルクホウルで休んでいこうか」
梓の疲労に気づいているのだろう、笑いながらの誘いに素直に乗ると、手近なテーブル席に腰を下ろす。
「俺は紅茶だけでいいけど、君は甘いものも欲しいだろう? ここはシベリアが美味しいらしいね」
「うん、前に秋兵さんに連れてきてもらった時に食べたよ。確かに甘すぎなくて美味しかった」
「…………」
「ダリウス?」
「デート中に他の男の名前を出すなんて、君は意地悪だね」
「え? あ……ご、ごめんなさい」
「ダメだよ、許してあげない。だから、今日は別のものを頼んで。新しい俺との思い出を作ってもらうよ」
「……ふふ、それならこのケーキにするね」
ヤキモチをやかれることが嬉しくて、梓は微笑むと前回とは違うケーキを注文した。
「ああ、クリームがついているよ」
「!」
「ふふ、甘いね」
「ダ、ダリウス……っ!」
「俺はこぼれたクリームをすくっただけだよ?」
くすくすと楽しげに眼を細めるダリウスに、梓は顔を真っ赤に染めると、慌てて布巾で口元をぬぐう。
ダリウスは女性の扱いがうまい。
それは以前から感じていたもので、不意にちくりと胸に痛みを感じた。
「梓?」
梓の変化を敏感に感じ取ったダリウスに、なんでもないと首を振ってケーキを口に運びながら、梓は抱いたもやもやとした思いを無理やり紅茶で飲み込んだ。
* *
「ダリウス、今日はありがとう」
「どういたしまして。君の喜ぶ顔が見れて、俺も嬉しかったよ。けれど、ミルクホウルからその笑顔が曇ってしまったのはどうしてかな?」
「……っ」
御礼を言って自分の部屋へ逃げようとしていた梓は、先手を打ってその動きを封じたダリウスに、きゅっと服の裾を握り俯いた。
「……言わないとダメ?」
「君が言いたくないなら無理にとは言わないよ。でも、俺が君を傷つけてしまったのなら、謝らせてほしい」
「ダリウスのせいじゃないの」
梓と出会う前のダリウスの過去を責めるのはおかしなことだ、そうわかっているから、狭量な自分に口に出来ない。
黙りこんでしまった梓に、ダリウスはその手を取ると庭に促す。
振り払うこともできず、手を引かれ庭に出た梓は、ちょっと待ってて、と言い残して奥に消えたダリウスに一人小さくため息をついた。
「ダメだな、私……」
こんなにもダリウスは自分を大事にしてくれている。そのことを分かっていながら、嫉妬してしまった自分が恥ずかしくて、ダリウスに謝ろうと彼の姿を探す。
「梓」
「ダリウス。あの、私……」
「ちょっとこっちに来て」
「え?」
ダリウスに促されて庭の奥に進むと、そこにある花に梓は息を飲んだ。
「青いバラ?」
「半分正解」
「半分?」
「こっちに来てごらん」
手を引かれ移動すると、先程は青く見えたバラが白だと気づく。
「青いバラはまだこの世界のどこを探してもないんだよ」
「そうだったんだ」
「もしも青いバラが作れたら、それはきっと神の祝福を受けた奇跡なんだろうね」
「そうなのかも」
「じゃあ、青いバラを得られた俺は神の……黒龍の祝福を受けられたのかな」
「え?」
思いがけない言葉に瞳を瞬くと、手に落とされる口づけ。
まるでおとぎ話の王子のような仕草に目を奪われると、綺麗な青い瞳が梓を見つめた。
「俺にとって梓、君は青いバラだよ。ずっと焦がれてた、決して手に入れることのできない花。そう思っていた俺の手を、君は取ってくれた」
「ダリウス……」
「ねえ、梓。俺はこの先の未来も、ずっと君と共にいたいと思っているんだ。だから、君が憂うことはすべて取り除きたい」
「……ごめんなさい。ダリウスは何も悪くないの。私がただ勝手に嫉妬しただけだから」
「嫉妬?」
思いがけない言葉だったのか、瞳を丸くするダリウスに、梓は恥ずかしそうに目を伏せながら、胸の内を明かす。
「ねえ、梓。俺の恋人は生涯君一人だっていったら、君は信じる?」
「え?」
「古美術商という職業柄、人とは多く接するし、貴婦人を相手にすることもあるから、君が言うようにそつなく見えるかもしれないけど、俺に今まで恋人がいたことはないんだよ」
「嘘」
「信じられない?」
「だって……」
ダリウスはその場にいるだけで人目を引く容姿の持ち主。
彼自身から声をかけずとも女性の方が放っておかないように思えた。
「西洋人を街で見かけることも少なくなくなった今でこそ、外見で鬼と知れることは少なくなったけれど、それでも人の鬼への差別は根強いからね。正体を知られたら、一族郎党すべてにかかわる。だから、人と深く接することはなかったんだよ」
君以外は、と告げられて、鬼の一族への偏見と、軍の広めた偽りによる憎悪を目の当たりにしてきた梓は、きゅっと唇を噛んだ。
浅はかな自分が恥ずかしかった。
「ごめんなさい。私……」
「――梓。俺は嬉しいんだよ」
「ダリウス?」
「だって、嫉妬するということは、それだけ君が俺のことを愛しているってことだから」
さらりと言われ、図星であることに梓の顔が真っ赤に染まる。
「梓。俺の青いバラの君。もっと、俺を求めて。俺はもっと君に求められたい。神子を手にした鬼じゃなく、君を愛する男として」
「……好き。私も、ダリウスを愛するただ一人の女だから」
おずおずと、しかししっかりと紡がれた言葉に広がる笑み。
「愛してる」
抱き寄せると、奇跡を必然に変えて。
ただ一人の人に口づけた。