Twinkle star

桜ゆき8

「~♪~♪」
小鳥のように歌いながら、楽しげに厨房に立つゆき。
そんな彼女をそわそわと柱の陰から見守っているのは、彼女の夫となった桜智だ。

「あ……あの……ゆきちゃん……」
「もう少しで出来上がるから、待っててくださいね」
「その……よければ私も……手伝いたいと……」

躊躇いがちに呟く声は料理の音にかき消され、ゆきの耳には入らない。
共に手伝いたいのだが、ゆきに料理は自分に任せてほしいと請われては安易に申し入れることも出来ず、桜智は所在なさげに厨房をうろうろとしていた。


「あ、アーネストにもらった調味料……きゃっ!」

「ゆきちゃん……! 大丈夫かい……?」

「うん。桜智さんは大丈夫? ごめんなさい、私がちゃんと前を確認しなかったから……」

「いや……私の方こそごめんね……。危うく君に怪我をさせてしまうところだった……ごめんね、ゆきちゃん……」

夫婦となる以前にも、こうして料理を作るゆきを手伝いたくてまとわりつき、同じようなことをしてしまったことがあった。
しゅん、と目に見えて落ち込む桜智に、ゆきは微笑むと「手伝ってもらえますか?」と優しく声をかけた。

「私が手伝ってしまってもいいのかい……?」
「うん。あの棚にある小ビンをとってほしいの」
「この……白い容器で大丈夫……?」
「ありがとう、桜智さん」

先程の件を責めるどころか、桜智を気遣ってくれるゆきの優しさに、言いようのない感動が胸に溢れていた。

燭龍を倒し、二つの世界の崩壊を防いだゆきは、そのまま元の世界に帰らずに桜智の傍にいることを選んだ。
ゆきと過ごしてきた日々を思い返し、その先を生きてゆくと思っていた桜智にはそれは己が思い描いた夢なのではないかと思うほど、過ぎたる幸福だった。

天上の花は天にあるものであり、一時地上に降りたとしても再び天に還るのが宿命だと、そうゆきと出会った時からずっと思っていた。
ゆき自身、生まれ育った世界に、愛してくれる両親の元へ帰ることを何より切望していることを知っていた。
なのに全てが終わり別れを告げたあの瞬間、ゆきは愛する人々が待つ天上の世界ではなくこの世界を……桜智の傍にいることを望んでくれた。

久遠の花がずっと傍らにあることを……本当は心の奥底では求めていた。
叶うことのない願い、望んではいけないその願いが今、確かにかなえられていた。

「この調味料で仕上げて……うん、できた」
満足げに微笑むゆきに、桜智も微笑む。
得られぬはずの幸福……傍らに彼女がいて、そうして自分に微笑みかけてくれることが何よりも尊かった。

「後は盛り付けるだけ……」
「じゃあ……私はこの味噌汁をよそうね」
「ありがとう、桜智さん」

一つ一つの事柄に感謝を伝える清らかで温かな心に触れるたびに、己の愛した人はこんなにもいたわり深い優しい人なのだと、その素晴らしい人に愛された自分の幸福をかみしめる。

「いただきます」
向かい合わせに並んだお膳に二人で手を合わせて、温かな食事を口に運ぶ。
食に全く興味のなかった桜智だが、ゆきの作るものはとても美味しく感じられた。

「今日はアーネストにもらった調味料を使って洋風にしてみたんだけど……どうですか?」

「とても美味しいよ……ゆきちゃんは本当に料理が上手だね……。毎日こんなに幸せでいいのだろうか…」

「ありがとう。桜智さんは何でも美味しいっていってくれるから、作るのがすごく楽しいの」
幸せそうに笑う姿が愛しくて、あまりの幸せにめまいすら覚える。


朝餉を終え、桜智が戯作を執筆する傍らで、ゆきが洗濯物を干す。
「~♪~♪」
先程と同じく無意識に歌を口ずさむゆき。
その歌はとても優しく、心地よく桜智の耳をくすぐった。

「ゆきちゃん……先程から口ずさんでいるその歌なんだけど……」

「あ、ごめんなさい。うるさかったですか?」

「いや……とても愛らしくて……何か思い出があるのかと思って……」

「小さい頃、よく歌っていた歌なんです」
そう言って口ずさんだのは『キラキラ星』。


「保育園で習って祟くんと一緒に踊ったり、瞬兄や都に聞かせたりしてたんです」

「桐生さんや……八雲さんと……」

「はい」
頷いて、もう一度キラキラ星のメロディを口ずさむ。
元の世界を、彼らを懐かしんでいるのかと一瞬心が痛むが、ゆきの顔に悲しみや寂しさは見受けられなかった。

「この歌は元々はフランス民謡だったけれど、イギリスの詩人が英語訳にして、それが色々な国に伝わったんです」
そうして今度は英語訳の歌詞で歌う。

「Twinkle, twinkle, little star,How I wonder what you are! 
Up above the world so high,Like a diamond in the sky! 
Twinkle, twinkle, little star,How I wonder what you are!」

「世界の上でそんなに高く……まるでお空のダイアモンドみたいにきらきらひかる……小さなお星様……」

それはまるでゆきのよう。
誰よりも気高くて慈悲深い……美しい至宝の宝石。
清らかなる天女。
その優しい声で紡がれるメロディは、桜智の心に深く染み入る。


「He could not see which way to go,If you did not twinkle so.」
 あなたの光がなかったら行くべき道が分からない。

「For you never shut your eye,Till the sun is in the sky.」
 あなたは決して眠らない。太陽が空に昇るまで。

「As your bright and tiny spark,Lights the traveller in the dark,」
 あなたの明るさと小さなきらめきが闇夜の旅人を導きます。


浮かんでくるのは、己の命を鑑みず皆のためにひたむきに走り続ける神子の姿。
自らの命を削り、それでも自分にしかできない神子の役目を成し遂げたいと、痛ましいほどにまっすぐに走り続けたゆき。
そんな彼女を止めることも出来ず、救うことも出来ない己を無力だとひどく呪ったこともあった。
それでも、彼女は走り続けた。
二つの世界を、大切な仲間を……そして自分の未来を掴むために。

「綺麗な歌だね……」
「桜智さんも気に入った?」
「うん……」
頷くと、嬉しそうな微笑みが返って。
再び耳に、柔らかなメロディが届く。

君こそが私の光。
空虚な世界に色とりどりの花を咲かせてくれた、久遠の花。
筆をとるとさらさらと文字を綴る。
光溢れる日々を胸いっぱいに感じながら。
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