「ふう……」
泡立てていた手を止めると、ゆきは小さく息を吐く。
アーネストの伝手で生クリームやバターを手に入れたゆきは、慣れない釜でケーキを焼きながら、添えつける生クリームを泡立てていた。
けれどもこの時代に便利な自動泡だて器などなく、ゆきも菓子作りに手慣れた方でもないため、泡立てることに苦労していた。
「ゆきちゃん」
「桜智さん。どうしたの?」
「あの……もしよければ私が混ぜようか……?」
「え?」
桜智の提案に一瞬悩むも、せっかくの申し出を断るのも申し訳なくて、ゆきは頷くと桜智に用具を渡す。
「桜智さん、ありがとう」
「いいんだよ……。だってこれは、私のために作ってくれているんだよね?」
「うん。スポンジケーキは無理だったけど、パウンドケーキなら作れるみたいだったから」
桜智の誕生日にケーキを作ろうと思ったものの、この時代に便利なオーブンなどなく、アーネストにパウンドケーキの作り方を教わったゆき。
早速作ってみるものの、泡立てに苦労してしまっていたので、桜智の申し出はありがたいものだった。
「あ、固まってきた。ありがとう、桜智さん」
「どういたしまして。ケーキの方もそろそろいいんじゃないかな……?」
「ちょっと見てみるね」
窯に近づき中を覗くとちょうどいい色に焼けていて、慎重に取り出すと成功したケーキにほっと胸を撫で下ろす。
「ちょうどいい焼き加減。桜智さんのおかげだね」
「そんな……私は何も……」
「桜智さんが教えてくれなかったら、きっと焼きすぎてしまったもの。良かった。ちょっと待っててね。今切り分けるから……」
「熱いから気をつけて」
「うん」
お皿を用意してくれる桜智に、ゆきは粗熱が取れたことを確認して切ると、二つの皿に取り分けて泡立てたクリームと果物を添えてテーブルへと運ぶ。
「桜智さん、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、ゆきちゃん……」
嬉しそうに笑う桜智に、ゆきはもう一つのプレゼントを差し出した。
「ゆきちゃん?」
「桜智さん、沢山書き物をするから、もう一つあってもいいかなって」
包みを解くと中から現れたのは万年筆。
「前に報奨だってもらったお金があったでしょ? 小松さんにいい品を取り扱うお店を教えてもらったの」
「そんな……君からこんなに……」
「私が桜智さんにあげたかったの。だから使ってもらえると嬉しい」
「もちろんだよ……ありがとう、ゆきちゃん」
大切そうに、愛おしむように万年筆を手で包む桜智に、ゆきは幸せだと目を細め笑む。
桜智の傍にいることを望み、この世界で暮らし始めてから、桜智は沢山のことをゆきに教えてくれた。
野の花のことから情勢と、様々な知識を持つ桜智との暮らしは毎日が楽しくて新鮮だった。
「本当はね、小松さんや皆も呼んでお祝いしようと思ったの。でも、小松さんに二人の方が喜ぶって言われて……」
「私はゆきちゃんがいてくれたらそれだけで……」
「うん。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、桜智さんにはもっと幸せになってほしいから」
鬼と畏怖される存在であることを以前、ゆきは知った。
けれども彼は理不尽に石を投げつける子を許せる優しい人で、もっと他の人にも彼を知ってほしいとそう思っていた。
「ゆきちゃん……君は優しいね」
「優しいのは桜智さん」
「そんなことないよ」
「ううん」
互いに譲らずに言葉を連ねていることがおかしくて微笑むと、身を寄せ合って目をつむる。
二人でいれば幸せ。
それは本当だけれど、やっぱりみんなとも触れ合ってほしい。
優しい人だと知ってほしい。桜智を好きになってほしい。
「また今度買い物に付き合ってもらってもいい? お隣の奥さんにお礼を渡したいの」
「ああ、この前佃煮をいただいた?」
「うん。とても美味しかったから、作り方を教わって作ってみるね」
「楽しみにしてるよ」
柔らかな笑みが嬉しくて、ゆきに勇気を与えてくれる。
始めはご近所から。次は馴染みのお店。
そうやって少しずつ、少しずつ広げて、彼が楽しく過ごしてくれたら。
そんな願いをこめながら、ゆきは桜智のためのケーキを食んだ。
2018/05/13