「成人式の……着物……?」
「うん。二十歳になると成人したと認められて、そのお祝いに式典をするの。その時に振袖を着るんだけど……」
顔を曇らせるゆきに、一緒に着物を見繕っていた桜智はそっと覗きこんだ。
「欲しいものがないのかい……?」
「……うん。私、桜智さんの髪と同じ色の振袖がいいの」
ゆきの言葉に、桜智は顔を赤らめ狼狽する。
「ゆきちゃんが……私の……私の色に包まれるなんて……ああ!」
「でも、なかなか見つからなくて……」
「そうですね……。お連れ様のような綺麗なお色は難しいかと……」
しゅん、と落ち込むゆきに、桜智はふわりと微笑んだ。
「安心して……私が用意するよ」
「え? 桜智さんが?」
驚くゆきに、桜智が笑顔で頷く。
「良かったですね、優しい彼がいらっしゃって」
「か……彼……っ!」
「はい」
店員の言葉に動揺する桜智の隣りで、ゆきはにこやかに頷いた。
それから数日が過ぎたある日――。
「いらっしゃい、ゆきちゃん」
「お招きありがとう、桜智さん」
桜智に呼ばれ、彼の家を訪れたゆきは、通された部屋にかけられた衣に顔を綻ばせた。
そこにあるのは、淡い薄緑に睡蓮が描かれた美しい振袖。
それはゆきが思い描いていた通りのものだった。
「見つけてくれたんだ……ありがとう、桜智さん」
「これは……ゆきちゃんのだよ……」
「え?」
「編集者の人に頼んで……良い衣を仕立てる商人を見つけて……それを」
「仕立ててもらったの?」
頷く桜智に、ゆきは改めて振袖を手に取った。
滑らかな生地は、ゆきが望んでいた桜智の髪を写し取ったように美しい。
「睡蓮は……君をイメージして……」
袖に描かれた、大輪の薄紅の花。
それはまるで桜智がゆきを包み込んでいるようで、ゆきの顔に笑顔が浮かぶ。
「ありがとう、桜智さん。……すごく嬉しい……」
ほんのり頬を染める姿が愛らしくて、桜智は
あぁ……と陶酔すると、照れくさそうに髪をかきあげた。
「私も嬉しいよ……ゆきちゃんが私の……一色を選んでくれて……」
「だって……」
つ……と歩み寄ると、ゆきが桜智の髪を撫でた。
「本当に綺麗だもの。桜智さんの髪。私、大好きなの」
「大好き……! ゆ、ゆきちゃんが……私を……だ、大……」
「あ、髪だけじゃなくて、桜智さんが好きだからね?」
小首を傾げて笑顔で告げられ、桜智はふうっと意識が薄れるのを感じた。
初めて焦がれるという想いを知った天女の囁きに、まさに天にも昇る気持ちだった。
「着てみてもいい?」
「ああ……。どうぞ」
空いている部屋に案内すると、振袖を手渡しリビングに戻る。
ゆきが自分の色に包まれる―――そう思うと胸が壊れんばかりに跳ね上がり、桜智はそわそわと身を揺らす。
「桜智さん」
おずおずと姿を現したゆきに、桜智はふっと眩暈に襲われた。
自分の色に包まれたゆきは輝くばかりに美しく、桜智の心を一瞬で虜にした。
「桜智さん? 具合悪いの?」
「ああ……大丈夫だよ……」
心配そうに見つめる優しい姿も愛しくて、桜智は胸元からノートを取り出すと、感情の全てを吐き出すようにがりがりとペンを走らせた。
「……似合わない?」
寂しげに曇った顔に、ハッと顔を上げると桜智はふるふると首を振った。
「その……感動に言葉が出なくて……とても綺麗だよ……」
「良かった……」
ほっとしたように胸に手を当て微笑むゆきに、桜智はあまりの幸せにほぅ……と吐息を漏らした。
「そういえば……髪は結わないの、かい?」
「当日は美容院で結ってもらうつもりだけど、今日は簪もないし」
「……私のものでよければ……」
「え? 借りてもいいの?」
「ああ」
無造作に置かれた小箱の中から一つの簪を取り出すと、そっとゆきへと差し出した。
繊細な模様が彫りこまれた金の簪に、ゆきはうっとりと見惚れる。
「綺麗……」
あの世界で桜智がつけていた簪を思い起こさせるそれに、ゆきはそっと仰ぎ見た。
「本当にこんな綺麗な簪を借りてもいいの?」
「私の簪が……君を飾れるなんて……ああ」
いっそ簪になりたい……と呟く桜智に微笑んで、ゆきは髪を束ねて簪をつける――が。
「あれ?」
はらりと落ちる髪に、もう一度束ねて簪を留めようとするが上手くいかず。
困ったように胸元に手をやるゆきに、桜智はそっと櫛を取り出した。
「……よかったら私が留めてもいいかい?」
「桜智さんが?」
じっと見つめる桜智に、ゆきは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、お願い」
「…………!」
眩い笑顔に日記を書きたい衝動に駆られるが、ぐっと堪えて彼女の美しい髪に簪を留める事に専念する。
桜智とは違い、ゆきの髪はくせがなく、さらさらとこぼれやすいため、彼女が上手く飾れなかったのも仕方ないと思いながら、震える手で髪を結っていく。
「わ……ぁ……」
自らを姿見に映したゆきは、嬉しそうに桜智を振り返った。
「すごく素敵。ありがとう、桜智さん」
「ああ……! 君のような子に出会えた事を、誰に感謝すればいいんだろう……っ」
「? 龍神様……かな」
ゆきの言葉に、桜智は龍神に心から感謝する。
「もし桜智さんがよかったら、当日も私の髪を結ってもらえると嬉しいな」
「私で……いいのかい……?」
「うん。私、桜智さんに結ってもらえると嬉しい」
「……………っ!!」
今度こそ堪えきれず、再び日記を取り出すとがりがりとペンを走らせる。
そんな桜智を優しく見守りながら、ゆきはそっと鏡を見る。
桜智の髪と同じ色の振袖に、彼の簪。
それがこの上もなく嬉しくて、笑顔になるのを止められなかった。
*** 後日談 ***
「なんでお前がゆきの家にいるんだよ!?」
「なんで……って……ゆきちゃんの髪を結うために……だよ」
「そんなの美容院でやればいいだろ!?」
「都。私が桜智さんに頼んだの」
そう言って目の前の男を庇う都の天使が着ているのは、男の髪を映したような淡い薄緑の振袖で。
都がどんなに桜色の可愛らしい振袖を勧めても、首を縦には振らなかった理由を悟って歯軋りをする。
(絶対ピンクの方が似合うのに……!)
そう叫びたいのを堪えるのは、ただただ彼女を傷つけたくないから。
ぶつけられない憤りを諸悪の根源に向けると、都はキッと桜智を睨んだ。
「……お前! ゆきに無様な格好をさせたら許さないからなっ!」
「都も桜智さんに結ってもらったら? 桜智さん、上手だよ」
「……私はいい。結うほど長くもないし」
都の心など知りもしない天使は、無邪気にそんな提案をするから、はぁと息を吐くと二人に背を向けた。
「都?」
「リビングでコーヒー飲んでる。出来たら呼んでくれ」
「うん」
笑顔で頷くゆきに、都はもう一度桜智を睨むと、部屋を出て行った。
「都、どうしたのかな? なんだか怒ってるみたい……」
「八雲さんはゆきちゃんと同じ……成人式、に行くんだよね……?」
「うん」
「どうして振袖を着ないんだい……?」
「都は私よりも年上だから、今日は私に付き添ってくれるの」
異世界でもそうであったように、ゆきをいつでも守れるように傍にいる都。
そのことを羨ましく思う桜智。
そんな二人の思いも知らず、桜智の繊細な指が丁寧に髪を結っていくのを、ゆきは鏡越しに見惚れるのだった。