「欲しいもの?」
ゆきの質問に、小松は小首を傾げ彼女を見た。
「はい。もうすぐ帯刀さんのお誕生日だから」
「ああ、この世界には生まれた日を祝う習慣があるんだったね」
「はい。帯刀さんの欲しいものを考えたんだけど、いいものが浮かばなくて……」
ゆきはなんでも最初から人に頼る娘ではない。
それでもこうして尋ねているのは、彼女の言葉通りなのだろうと小松は思う。
「私の欲しがるものなんてすぐにわかりそうなものだけどね……」
「ごめんなさい……」
「謝る必要はないでしょ。――君だよ」
「え?」
「だから、君。ゆきくんがこうして私の傍にいてくれる時間こそが欲しいものだよ」
小松の返答に、しかしゆきは困ったように眉を下げた。
「……それじゃ困ります」
「物に不自由はしてないし、執着もないからね」
確かに小松は、異世界でもこの世界でも物に困るような生活は送ってはいなかった。
だから、あえて欲しい物と問えばないと言うのも頷ける。
頷けるのだが、贈り物をしたい側としては非常に困ることだった。
「君が傍にいてくれれば何の文句もないのだけれど、それでは困るんでしょ? ……それなら、君の作った料理を食べさせて」
「料理……ですか?」
「うん。以前作ってくれた料理はとても美味しかったからね」
それはまだ、小松が薩摩の家老としてあの世界にいた頃の話。
桜智が贈った野菜と、小松が贈った器のお礼にゆきが考えたのが、料理をするというものだった。
「わかりました。何がいいですか?」
「君が普段作るものでいいよ。趣向を凝らしたものより、君らしいものの方がいいからね」
お祝いだからと変に気負って新しいものに挑戦するよりも、普段ゆきが作っているものを。
それは気遣いを相手に悟らせない、小松らしい優しさで、ゆきはふわりと微笑み頷いた。
「はい。それじゃあ、私がいつもお家で作っているものにしますね」
「楽しみにしてるよ。ああ、その日は朝から私の家に来ること」
「え? でも、お仕事は大丈夫なんですか?」
「君を一日独占できる貴重な機会を無駄にするわけないでしょ。仕事なら普段から困らないようこなしてある。一日休んだって文句言わせないよ」
ずいぶん横暴な物言いだが、そのための努力を惜しまない小松である。
きっと休むために普段よりも働き、仕事に支障をきたさないようにするのだろう。
「わかりました。じゃあ、スーパーに寄ってからお邪魔します」
「朝から……と言ったでしょ? 買い物も私と行くんだよ」
「え? でも……」
「私が欲しいものは君との時間。買い物もそれに含まれるんだよ」
「わかりました」
存外小松は独占欲が強い。
そのことを何となくわかり始めたゆきは素直に頷いた。
そうして迎えた十二月三日。
家に迎えに来てくれた小松の車に乗って買い物を済ませると、そのまま彼のマンションへ。
早速エプロンをつけると、約束通り買い出してきた食材の調理を始めた。
「貸して」
「え?」
「かぼちゃは君には硬いでしょ?」
それは以前にもあったやり取りで、ゆきはありがとうございますと包丁を手渡すと、なんなくかぼちゃは二つに割れた。
「これぐらいでいい?」
「はい。ありがとうございます」
ちょうど食べやすい大きさに切られたかぼちゃに礼を述べると、せっせと料理を進めていく。
そんなゆきの様子を、小松はお茶を飲みながらゆったりと見守る。
「できました」
食卓に並べられたのは和食。
「君は和食が得意なの? 海外で暮らしていたと聞いたけど」
「はい。留学中、和食が食べたくなると作っていたんです」
「なるほど。それじゃ、いただこうかな」
優雅に箸を動かす小松を、ゆきが嬉しそうに見つめる。
「……どうですか?」
「おいしいよ。前にも言ったと思うけど、ここまで料理に感じ入ることはないからね」
「ありがとうございます。私もまたこの器を使えるとは思いませんでした」
かぼちゃを入れているのは薩摩切子。
小松からこれを使うようにと差し出された時には、驚きと懐かしさを抱いた。
「一度は途絶えたというのにこうして復元できるのだから、この世界の技術には驚かされるね」
「この世界の薩摩切子はどうですか?」
「同じだと思うよ。むしろ趣向が凝らされてより美しくなったかな」
元の世界を懐かしむものがあるのが嬉しいのか、小松の顔に浮かんだ微笑にゆきも柔らかく微笑む。
「ほら、先程から箸が進んでいないよ」
「た、帯刀さん……っ」
「さあ、ゆきくんどうぞ。早く食べないと煮汁が下に垂れてしまうよ」
「……………」
小松に箸を進められるこの光景も覚えがあるもの。
けれど、あの時とは彼に抱く感情が異なるため、ゆきはほんのりと頬を染めた。
「……おいしい?」
「……自分で作ったものだからよくわからないけれど、でも……いつもよりおいしく感じます」
「そう。はい、もう一口」
「……………」
再び口元に運ばれた箸に、ゆきは恥ずかしそうに口を開き食む。
「今度は私の番だね」
「え?」
「私はあどけない雛だからね。君の手からでなければ、ついばむことすらできない」
逆転した立場に微笑むと、一口程の大きさのかぼちゃを小松の口元に運ぶ。
「ありがとう」
「……帯刀さん…」
「なに?」
「その……自分で食べませんか?」
「私は雛じゃなかったの?」
「…………」
以前ゆきが口にした言葉を逆手に取ると、困ったように眉を下げるその姿に、悪戯はこのぐらいにするかと微笑む。
「冗談だよ。さ、早く食べて出かけるよ」
「え?」
「せっかくの休日を家で過ごして終わりだなんてもったいないでしょ?」
この後はゆっくり小松の家で過ごそうと考えていたゆきは、彼の提案に瞳を瞬く。
「でも帯刀さん、ずっと忙しかったですよね? たまの休日ぐらいゆっくりした方が……」
「休むことなんていつでもできるよ。けれど、君と過ごすのはいつでもとはいかないでしょ?」
小松にももちろん仕事があるが、ゆきもまだ学生である。
さらに親の庇護下にある彼女を毎日連れ出すというのは良識ある行動とは言えず、必然会う時間は限られていた。
「まあ、それだけじゃないけどね」
「?」
「なんでもないよ。食べ終わったようだし、行こうか」
驚く顔、喜ぶ顔。
知らないゆきの様々な表情を知りたい……それが小松の望みだった。
* *
「わぁ……!」
ショッピングモールを回ってランチを済ませた後、小松が連れてきたのは郊外を少し離れた場所。
そこは冬になると華やかなイルミネーションが有名なところで、目の前に輝く色とりどりの光にゆきは感嘆の声を上げた。
「すごいですね、帯刀さん」
「喜んでもらえて何よりだよ。君は何をすれば喜ぶのかわからないからね」
「え?」
「物を贈ろうとしても固辞するし、食事をしても自分の分は出そうとするし」
「それは……今日は帯刀さんの誕生日だから……」
「いつでも君は私が贈ろうとすると何かしら理由をつけて受け取らないと思うけど?」
「…………」
贈り物が嬉しくないわけではない。
それでも何かにつけて小松はゆきに勧め、それがまた高価なものだったりするため、お礼であったり納得のいくものでなければ受け取らずにいた。
「ごめんなさい……」
「謝るぐらいなら何か一つでもおねだりして欲しいんだけど?」
「おねだり……」
小松の言葉に少しの間、逡巡すると顔を上げて微笑んだ。
「それなら……また料理を食べてもらえますか?」
「ゆきくん?」
「帯刀さん、和食よりも洋食の方が好きですよね? 今度は私、薩摩切子に似合う洋食を作ります」
「……私が洋食の方が好みだってどうしてわかったの?」
「今日連れて行ってもらったランチも、以前連れて行ってもらったお店も洋食だったから。
始めは私に気を遣って合わせてくれてるのかなって思ったんだけど……」
「君は色事には鈍いのに、こういうことには聡い子だよね」
「すみません……?」
「いいよ。……楽しみにしてるよ」
微笑む小松に喜んで、ふと彼の肩越しの月に気づく。
「帯刀さん、見て! 月があんなに……」
「……君ね、いいかげんにしなさい」
「えっ? あ……」
突然の抱擁に顔を赤らめると、苛立ちを宿した瞳が不意に和らぐ。
「本当に困った子だよ。私と一緒にいるのにすぐ他のものに目を取られる」
「ご、ごめんなさい」
「だめ。今日は簡単には許してあげないよ」
頬を撫でる深緑の髪。
重なる唇のぬくもりに、ゆきの顔が真っ赤に染まる。
「今日は私の誕生日なんでしょ。そんな日に他のものに目を奪われる子にはお仕置きしないとね」
「んん……」
いつもはゆきに合わせて軽く唇を合わせる程度なのに、今日は呼吸を奪うように深く。
時折唇が緩む瞬間に空気を得るが、それがわかっているかのように再び重ねられ、頭の芯がぼおっと痺れる。
「ふふ……君にはちょっと刺激が強かったかな」
「…………」
向けられた艶やかな微笑になんと答えればいいかわからず、ゆきはただ俯く。
「私は待ってるんだよ。君から私を求めるのをね」
「私から帯刀さんを……?」
小松の言葉に考えるように俯くと、ふるふると首を振る。
「求めてますよ。ずっと帯刀さんと一緒にいたいです」
「知ってるよ。けど、君が私を求めるのと、私が君を求めるのはたぶん違うから」
「『深さ』の違い、ですか?」
想いの深さが違うと、以前小松に言われたことを思い出すと、苦笑が返る。
「そうだね」
「……ごめんなさい。でも、頑張ります」
「いいよ。私はこの状況も楽しんでいるんだからね」
「?」
同じ年頃の娘よりも幼く無垢な様に振り回されながらも、それさえ愛しく思えてしまうのはゆきに惚れているから。
それでも、出会った頃よりはずいぶんと異性と対する表情も見せるようになったのだ。
その変化が自分がもたらしたものだと思えば、この先を待つのも苦ではなかった。
「ゆきくん、戻ろうか」
「え?」
小松の提案に曇る顔。
「名残惜しい? ……それとも帰るのが寂しい?」
「……はい」
素直に頷く様に顔を赤らめると、そのことを気づかれないようにそっと口元に手をやる。
「……本当に君は私を煽るのが上手だね」
「え?」
そうして再度重ねられた唇。
こぼれた吐息の切なさは、ゆきと同様だった。
「寂しくなったらいつでも呼んで。昼でも夜でもいつだっていいから」
「でも、帯刀さんお仕事が……」
「仕事も君も疎かにするほど愚かなつもりはないよ」
だから……ともう一度軽く口づけて、可愛いおねだりを要求する。
朝と夕と求められる至福を与えてほしいと―――。