「チナミ。この後どこに出かけるんだい?」
「な……っ! どうして俺がゆきと出かけること、兄上がご存知なのですか!?」
「なるほど。ゆきさんと出かけるからそわそわしていたのか」
「お、俺は別にそわそわなど……っ」
「書状の字が少し乱れているようだが?」
「……! すぐに書き直します」
慌てて新たに筆をとる弟にマコトが声をかけようとした瞬間、「こんにちは」と鈴を転がすようなかわいらしい声が聞こえてきた。
「ゆきさん、こんにちは」
「マコトさん、チナミくん、こんにちは。そろそろお仕事終わりかなと思って見にきました」
「そうですか。今、チナミは書状の乱れを訂正しているので、よろしければお茶でもいかがですか」
「え? でも……」
「終わりました!」
一気に集中して書状を書き直した弟に、マコトはくすくすと肩を揺らし受け取った。
「確かに。今度は乱れはないようだね」
「………っ。あ、後はもうありませんよね?」
「ああ。お疲れ様。ゆきさん、お茶はまた今度。今日は二人で楽しんできてください」
「はい、ぜひ。チナミくんをお借りしますね」
「な……っ! お前まで何を言う!」
「え? おかしいかな。だってマコトさんはまだお仕事なのに、チナミくんを私の都合で連れ出すから……」
「おかしいことなどありませんよ。お気遣いありがとうございます」
柔らかく微笑み合う兄とゆきに、チナミは眉をつりあげると荒々しく立ち上がってゆきの腕をつかんだ。
「行くぞ! ……兄上、失礼します」
「ああ、いっておいで。チナミ、女性は優しく丁重に扱うんだよ」
「……っはい」
「あの、いってきます」
マコトの指摘にハッとゆきの腕を放すチナミと、律儀に会釈をするゆき。
そんな二人をマコトは微笑ましげに見送った。
「チナミくん、どうして怒ってるの?」
「……っ、別に俺は、怒ってなどいない!」
「でも眉がつり上がってる」
「…………っ」
ゆきの指摘にぎゅっと唇を噛んだ瞬間、「ゆきさん」と彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。
「総司さん」
「こんにちは、ゆきさん。チナミと散歩ですか?」
「新しく出来たお茶屋さんに連れて行ってもらうんです」
「ああ、人気の茶屋ですね」
「沖田。お前が新しく出来た茶屋のことを知っているなんて珍しいな」
「土方さんが言っていたので」
「……そういうことか」
沖田が口にしたのは、数々の浮名を流す新選組の副長。
彼ならば女受けの良い話題を知っているのも頷けた。
「総司さんは巡回中ですか?」
「いえ、今終わりました」
「だったら総司さんも一緒に行きませんか?」
「ゆき!?」
「みんなでお茶をする方が楽しいもの。ね? チナミくん」
「…………っ」
「チナミは嫌そうですよ」
「……っ、別に俺は、そんなことは言っていない!」
「そうですか。それならご一緒します」
つい否定してしまったチナミは、思いがけない同行者に歯噛みすると、渋々三人で茶屋を目指した。
「ゆきさんはチナミと一緒に慶喜公のお手伝いをしているんですよね」
「いえ、私は筆で上手に字を書けないので、手習いをさせてもらっているんです」
「そうですか。チナミは達筆ですからね」
「俺の字など……そのように褒められるようなものではない」
「そんなことない。ね、総司さん」
以前総司とチナミでゆきに書を贈ったのだが、その際チナミに書いてもらっていた。
「そういえば、アーネストが新しい書が欲しいって言ってたよ」
「もう書かないぞ!」
「色々探してみたけど、やっぱりチナミくんの書がいいって」
「……っ、褒めても書かないと言ったら書かない! 福地に頼め!」
「着きました」
他愛ない話をしている間に件の茶屋に到着、三人は入口の人だかりを見つめた。
「……混んでますね」
「やっぱり人気があるんですね」
「新しく出来たばかりで物珍しいのだろう。しかし、ここまで混んでいるとは……」
中に入るまでにはしばらくかかりそうな混雑に、チナミはどうしたものかと考えた。
「別の茶屋に行きましょう」
「え?」
「これだけ人がいるのでは、しばらく待たなければいけませんから」
「お、おい、待て!」
くるりと背を向け、さっさと別の茶屋へ移動しようとする沖田に、チナミは慌てて引きとめた。
「別に、今日は茶を飲みたくてきたわけでは……っ」
「飲みたくないのに茶屋に来たんですか?」
「そうではない! ここの茶屋じゃないと意味がないんだ!」
イライラと大声を上げると、周りの人が不思議そうにチナミ達を見つめた。
「チナミくん、大きな声はダメ」
「……っ、悪かった」
「なら僕は帰ります」
「総司さん?」
「中に入るまで待っていたら休憩が終わってしまうので。チナミとゆきさんで楽しんできてください」
「じゃあまた今度、お時間がある時に総司さんもご一緒に」
「はい」
ゆきの言葉に頷くと、さっさと立ち去っていく沖田に、チナミははぁ~と深く息を吐いた。
「チナミくん?」
「…………っ、なんでもない!」
思わず漏れた吐息に小首を傾げるゆき。
今日はせっかく久しぶりの二人での逢瀬だというのに、マコトや沖田に邪魔されてと、チナミは内心穏やかでいられなかったのである。
「チナミくんと二人きりは久しぶりだね」
兄と共に慶喜公の手伝いをするようになったチナミは何かと忙しく、なかなか二人きりの時間が持てずにいた。
そんな日々に悶々とした想いを抱えていた時に、この茶屋の話を聞いたのだった。
『この近くに新しい茶屋ができたそうだよ』
『そうですか』
『女性は甘いものが好きなものだ。今度ゆきさんを誘ってみようか』
『兄上!?』
兄の思わぬ言葉にチナミが目を剥くと、マコトはふっと口元をつりあげた。
『冗談だよ。ここしばらく、二人でゆっくり話す機会もなかっただろう』
『それは……』
『ゆきさんは我が儘を言って困らせることのない聡明な女性だ。だからと言ってそれに甘えていてはいけないよ』
『俺は別に、ゆきに甘えているつもりは……っ』
『ないと言えるかい?』
突っ込まれて素直に頷けず、チナミは眉を寄せた。
『お前が行かないというのであれば、私が行ってもいいが……』
『俺が行きます!』
兄の本気か冗談かわからない軽口に慌てて申し出ると、チナミはその翌日ゆきを件の茶屋へと誘ったのだった。
「美味しい!」
ようやく入れた茶屋でチナミは団子を、ゆきはぜんざいを注文し、運ばれてきたそれらを口にした瞬間ほころんだ顔。
「甘みは控えめなのに味がしっかりしていて、確かにうまいな」
「チナミくんのお団子も貰っていい?」
「ああ。ほら、こっちのを食べろ」
「ありがとう」
皿にのった一串を差し出すと、嬉しそうに取ってほうばるゆき。
「美味しい……」
幸せそうに微笑む姿が愛らしくて、自然とチナミの目が和らぐと、すっと木匙を差し出された。
「チナミくんもどうぞ」
「なんだ?」
「味見。はい」
「……っ、そ、そんなはしたない真似、出来るはずないだろう!」
ゆきが差し出した木匙に顔を赤らめ目を背けると、不思議そうにゆきが小首を傾げた。
「どうして?」
「そ、それはお前が口にしたものだろう……っ」
それがどうしてダメなの? と傾げるゆきに、チナミの顔が真っ赤に染まる。
「瞬兄や都とはよく味見したよ?」
「八雲はともかく……桐生もか?」
「うん」
そういえばいつぞやの茶屋で、瞬の頼んだ料理を貰っていたなと思い出すと、ざわりと胸がざわめいた。
「このぜんざい、すごく美味しかったから、チナミくんにも食べさせてあげたいと思ったの」
ゆきにとってはなんら抵抗のない『味見』。
けれどもチナミにとってはとても勇気がいる行動で、チラチラと辺りに視線をやると、意を決して木匙を口にした。
「美味しいでしょう?」
「あ、ああ」
あまりの動揺に味など分かるはずもなかったが、そう言うわけにもいかず、チナミは曖昧に頷いた。
曰く、間接キス。
男女の仲というものに疎く、恋仲となってなおゆきとそういった経験はなく、同じ木匙で食べさせ合うというだけでひどく恥ずかしいものだった。
「兄上に後で御礼を言わねばならないな」
「マコトさんに?」
「ああ。この茶屋のことを教えてくれたのは兄上だ」
「だったら、今度はマコトさんも一緒に来よう?」
「ああ。……いや、ダメだ!」
「チナミくん?」
兄と一緒に来て『味見』をされてはかなわないと、慌てて否定するチナミに首を傾げるゆき。
兄がゆきに好感を抱いていることは、節々の言動から理解していた。
「あ、兄上にはその……団子を土産にしよう! ここの団子なら兄上も喜ばれるはずだ」
「そうだね。帰りに買って帰ろう」
とっさの思いつきにゆきが乗ってくれたことにほっとして、チナミはほおっと茶を飲んだ。
小さな独占欲に、ゆきが気づくのはいつだろう?
チナミが悶々悩む日々は、もう少し続くのであった。