エリカ

龍ゆき4

鳥のさえずりに目を覚ますと、隣を見つめてため息をつく。

「龍馬さん、帰ってこなかったんだ……」

共に旅していた頃から忙しなく動き回っていた龍馬は、ゆきがこの世界に残り、龍馬の傍にいることを選んだ後も同様、それ以上に忙しく方々を駆け巡っていた。
龍馬が為そうとしていることはゆきも理解しているし、応援もしている。
だけど、こうして会えない日々が続くとやはり寂しく思ってしまう。
暗く沈みかけた思考を断ち切るように身を起こすと、ゆきは軽く身支度を整え、顔を洗いに階下へ降りた。

「あら、お嬢さん。今日は早いお目覚めだね」

「おはようございます。龍馬さんは戻ってないですよね?」

「まったく、こんなに可愛らしいお嬢さんを放ってどこをほっつき歩いているんだか……龍馬さんにも困ったもんだよ」

肩をすくめる女将に、ゆきはお水をお借りしますねと断りを入れて、顔を洗いに行く。
肌に触れる冷たい水に、意識がはっきりと目覚めていく。
今日は一日何をしよう。
小松のところの平田さんに会いに行こうか、と考えて、もしもゆきが出かけている間に龍馬が帰ってきて、また出かけてしまったらと思うと、結局両国屋で過ごすことにした。

朝食を半分ほどで残してしまったため、女将に体調が悪いのかと心配されてしまったが、たんに一人のご飯が味気なく、食が進まなかっただけなので、大丈夫ですと残してしまったことを謝る。

「こんなんじゃだめだよね……」

龍馬が数日帰ってこないぐらいで食が落ちてしまっては女将に心配をかけてしまうと、ゆきは反省するも、ほとんど身体を動かさないこともあって、やはり昼も残してしまった。

「龍馬さんはちゃんとご飯食べてるかな」

夢中になると、それこそ寝食を忘れて頑張ってしまいそうな龍馬。
毎日会えれば、ちょっとした変化にも気づけるけれど、離れていては気遣うことさえ出来ないのがもどかしかった。

「蓮水、いるか」
「はい」
襖越しの呼びかけに答えると、入ってきたのは龍馬の知己の高杉。

「お久しぶりです。龍馬さんにご用事ですか?」

「ああ。不在らしいな」

「はい。三日前から出かけていて、まだ帰ってないんです」
「三日……あいつはそんなにお前を放っているのか」

「高杉さん?」

ふう、と眉間を寄せる高杉に、ゆきが小首を傾げると、そうなんですよと、女将が二人にお茶を差し出した。

「こんな可愛らしいお嬢さんを一人きりにするなんて、龍馬さんも女泣かせなことですよ」

「まあ、そう言ってやるな女将。あいつも好きで蓮水を放っているわけではないだろう」

「はい」

高杉の言葉にゆきが同意すると、本当に健気だと女将が嘆く。

「この後用はあるか?」
「いえ、特にありません」
「ならば少し付き合え」
「え?」
「遠くに行くわけではない。女将、もし龍馬が戻ったら俺と共にいると伝えてくれるか?」
「はい、わかりました」

女将が頷いたのを確認すると、高杉はゆきを促し、両国屋を出た。

「少し行ったところに甘味屋がある。甘いものは嫌いではないだろう?」

「はい。どなたかへお土産ですか?」

「……そうだな。選んでもらえると助かる」

「わかりました。私でお役に立てるのならお願いします」

「連れ出したのは俺だろう」

ふっと表情を和らげる高杉に、ゆきも自然と微笑んだ。
そうして着いた甘味屋で、団子と数点菓子を選び包んでもらうと、せっかく来たのだからとの高杉の誘いに、ゆきはおしるこを頼んだ。

「美味しい……」

「口にあったようだな」

「甘いのにさっぱりしていて美味しいです。高杉さんもいかがですか?」

「いや、俺はいい。龍馬に後で文句を言われてはたまらんからな」

「?」

苦笑する高杉に、ゆきは不思議そうに瞳を瞬くと、匙を再び口に運ぶ。

「龍馬は相変わらず忙しそうだな」
「そうですね。両国屋を空ける日が増えたと思います」
「寂しいか?」
率直な問いに、一瞬口ごもると小さく頷いた。

「そう、ですね。少し寂しいです」

龍馬が大事を為そうと頑張っていることはわかっている。
けれども寂しいのも本当で、ゆきは眉を下げ俯いた。

「寂しいのなら寂しいと、龍馬に言えばいい。お前がそんなふうに知らずふさぎ込んでいる方が、よっぽど気がかりなはずだ」

「……すみません。心配おかけしてしまいました」

きっと女将がゆきが食事を残していることを高杉に告げたのだろう。
ならば今日のこの誘いも、ゆきを気遣ってのものだと気づき、頭を下げる。

「俺でよければ付き合うが、お前が望むのは龍馬だろう」

「……はい」

「あいつはお前が寂しいといえば、それをむげにはしない。むしろ喜ぶだろうな」

「喜ぶ、でしょうか?」

「ああ。好きな女に乞われて嬉しくない男はいない」
思いがけない高杉の言葉に、ゆきが驚いていると、聞こえてくる慌ただしい足音。

「……来たようだ」
「え?」
口端を上げた高杉の呟きにつられ、入り口を見ると、店に飛び込んできた姿に立ち上がった。

「龍馬さん?」

「お嬢! ……晋作、気を遣わせて悪かったな」

「俺はただ、蓮水と茶を飲んでいただけだ。
では、俺は失礼する。蓮水、土産は龍馬と宿屋で食べるといい」

「ありがとうございます。高杉さん」

去っていった長身に頭を下げると、ゆきは龍馬に向き直った。

「おかえりなさい、龍馬さん」

「あ、ああ。ただいま、お嬢。長く一人にしてすまんかった!」

「いいえ、龍馬さんが頑張っている姿を見るのは、私も嬉しいですから」

健気なゆきの言葉に、龍馬は何とも言えない顔をすると、ゆきがおしるこを食べ終わるのを待って店を出る。

「お嬢、少し寄り道しないか?」
「はい。いいですよ」

龍馬の提案に頷くと、その隣を歩く。
手を伸ばせば触れられる距離に龍馬がいる。
そのことが嬉しくて、つい手を伸ばしてしまった。

「お嬢?」
「……あ、すみません」
「いや、お嬢がよければ手を繋ごうぜ」
「……はい」

慌ててひっこめた手を握り、微笑む龍馬に、ゆきはほっと息を吐く。
そうしてやってきたのは、時を遡って出逢った龍馬との思い出の海岸。

「久しぶりですね……」
「そうだな。……すまん、お嬢」
頭を下げる龍馬に驚くと、繋いだ手に力が込められた。

「三日もお嬢を一人にしちまった。寂しい思いをさせちまった」

「いいんです。龍馬さんが大変なのはわかってますから」

「いや、お嬢が許してくれても、俺が許しちゃいけないんだ」

龍馬は真剣な瞳でゆきを見つめると、そっとその頬を撫でる。
ふっくらと色付きの良かった頬は、意識しなければわからないが少しだけその肉付きを落としていた。

「なあ、お嬢。もっと俺に甘えてくれんか?」

「龍馬さん?」

「お嬢の優しさに俺は甘えてばかりだ。お嬢も甘えられんと不公平っちゅうもんだろう?」

「不公平なんかじゃないです。だって、龍馬さんは帰ったらまっすぐ私のところに来てくれるもの」
微笑んでのゆきの言葉に偽りは見えなくて、龍馬ははぁ~と大きく息を吐くとゆきを抱きしめた。

「家もまだ見つけてないし、祝言もあげてない。これじゃ女将に女泣かせと言われちまっても仕方ないよな…」

「そんなこと……」

「お嬢に寂しい思いをさせちまってるのは本当のことだろ?」

「それは……」

「お嬢は俺と一緒にいられなくて寂しくないか?」

「………少し」
本当はすごく寂しいだろうに、龍馬を気遣っての言葉に、抱き寄せる腕に力が入る。

「お嬢と晋作が一緒にいるのを見た時、胸がじりりと疼いた」

「……それって嫉妬、ですか?」

「……ああ。俺がお嬢を放っていたからだってわかっちゃいたが、一緒にいるのが俺じゃないのが悔しくてならんかった」

「高杉さんに言われたんです。こうして来たいのは俺ではなく、龍馬だろう……って」

「晋作が?」

「はい」
意外と気の回る友人に、龍馬はばっと身を起こすとゆきに向き直る。

「お嬢、何かしたいことはあるか? 今日はずっと、お嬢に付き合うぜ」

「それでしたら……両国屋で二人でゆっくりしたいです」

「……そんなんでいいのか?どこかに出かけたっていいんだぜ?」

「はい。龍馬さんが傍にいてくれるだけで嬉しいですから」
柔らかな微笑みを浮かべるゆきに、気づくとその唇を塞いでいた。

「……そんな可愛いこと言われたら辛抱たまらん」
「龍馬さん……」
「よし! 両国屋に戻るか」
「はい」

耳を赤く染めながら手を差し出す龍馬に、手を重ねて、両国屋への帰路に就く。
ずっと、この人と一緒に――想いを強めた。
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