時を超えた想い

忍千9

「次の年の桜も、その次の年の桜も……ずっと一緒に眺めることができる。焦ることはない。
俺たちには、多くの時があるのだから」

桜を眺めながら、いつになく穏やかな表情でそう告げた忍人に胸が震える。
戦が終わり、争いがなくなった今、こうして共に桜を愛でることもできるのだと、そう告げただけなのだろうが、その言葉は切なさを伴った喜びを千尋に与えた。

忍人と出会ったのは、レヴァンタの炎の結界に阻まれ、撤退を余儀なくされた翌日。

「……そこの君。この弓は君のものか」
「は、はい」
「軽率だ。水に入る時とはいえ、武器を手元から離すな。俺が敵なら、君は死んでいた」

全裸でいることには一切目もくれず、弓のことだけ指摘して去っていた忍人に、千尋は少なからずショックを受けた。

砦で再会した時は、指揮権を千尋に委ねると告げた岩長姫にただの娘に託すべきではないと反論し、土蜘蛛を安易に招き入れたと大将の資質を疑う忍人に戸惑いを覚えた。
確かに千尋はこの世界の生まれとはいえしばらく離れており、記憶も曖昧で王族の自覚もなかった。
それでも、共に戦っていく中で少しずつ心通わせ合い、信頼を得ていった。
そうして全ての元凶である禍日神を倒し、豊葦原に平穏を取り戻した千尋は、中つ国の女王となった。

 * *

「忍人さん」
「視察に行くんだったな。ちょうど訓練も終わったところだ」
「疲れてませんか?」
「大丈夫だ」
「それなら……お願いします」

国の様子を自分の目で確かめたくて、千尋は忙しい政務の合間をぬって視察の時間を作っていた。 その護衛を務めることが多いのが忍人。
共に旅した信頼感から一度千尋が頼んでからは、こうして都合をみては付き合ってくれるようになっていた。

「今日はどこに行くんだ?」

「近くの邑の麦の実り具合を見ようと思ってます」

「今年は気候も安定していて、稲も麦もよく成長しているらしいな」

「はい。戦の影響が心配だったんですけど良かったです」

嬉しそうに微笑む千尋につられ、忍人の顔にも笑みが浮かぶ。
平穏――それは常世が中つ国に反旗を翻したあの時からずっと忍人が求めていたものだった。

「ふふ」
「どうした?」
「忍人さんが喜んでくれるのが嬉しかったんです」
千尋の言葉に赤らむ顔を隠すように掌で覆って。
心乱す新しい女王にため息をつく。

「……俺が喜ぶことで、どうして君が嬉しいと思う?」

「どうしてって……親しい人が嬉しいと自分も嬉しくなりませんか?」

「……………」

【親しい人】……その言葉に思わず眉間にしわが寄る。

「忍人さん?」
「千尋」

二人きりの時は陛下ではなく、名前で呼んで欲しい……そう千尋に要望されてから、忍人はそれを守ってきた。 それは女王の願いだからではなく、仲間の願いだからでもなく……忍人の胸にある千尋への想いゆえだった。

「今度、有力な族を集め、女王の相手を決めることになった」

「え?女王の相手……って私の結婚相手ですか?」

「ああ。狭井君から聞いていないのか」

「は、はい」

ふってわいた縁談話に驚きを隠せない千尋に、忍人は居住まいを正すと改めて彼女に向き直った。

「その席に俺も参加しようと思っている」
「忍人さんがですか?」
「ああ」
目を丸くする千尋に、忍人は視線をそらすことなく話を続ける。

「春に桜を見に行った時、俺が言った言葉を覚えているだろうか?」

「桜を見に行った時に忍人さんが言った言葉……ですか?」

「ああ」

突然の忍人の振りに驚くも、すぐに笑顔で頷いた。

「次の年の桜も、その次の年の桜も…ずっと一緒に眺めることができる……ですよね?」

「俺は来年の桜も、その次の年の桜も……ずっと君と一緒に眺めたいと思っている」

「それって……」

忍人の言葉の意味を察したのだろう、千尋の瞳が大きく見開かれた。

「俺は君が好きだ」
共に桜を見つめながら、密かに誓った想い。
それを告げながら、あの日のように掌を重ね合わせる。

「その、突然色々なことを聞いて少し混乱してます、けど」

「ああ」

「……忍人さんは私を好きで、結婚したいと思ってくれているってことですよね」

「ああ」

躊躇うことなく肯定すると、薄紅に染まる頬。
戸惑って、それでも必死に言葉を紡ごうとする千尋に、忍人は静かに微笑んだ。

「今言いたいことがまとめられないのなら後でもいい。ただ、君に伝えておきたいと思っただけだ」
婚約者の名乗りを上げる前にきちんと千尋に伝えておきたい……そう思い、今日告げたのだ。

「私も……来年の桜も、その次の年の桜も……忍人さんと眺めたい」
「千尋?」
「私も忍人さんが好きです」

まっすぐに向けられた空色の瞳に迷いはなく。
合わせたままだった手の指を絡め、握る千尋に忍人が柔らかく笑む。

「これまで、したくともできなかったことをこれからは二人でゆっくりやろう。俺はいつでも……何があっても、ずっと、君のそばにいる」
あの日告げられた言葉。
どうしようもなく切なくて、けれどもそれ以上に嬉しい言葉に、ほろりと眦から幸福の涙がこぼれ落ちた。
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