忍人の回想

忍千3

『俺は君が……千尋が好きなんだ』
そう告げた時、千尋は瞳を丸くして驚いていた。
初めて千尋と出会った時は、こんなふうに彼女を愛するようになるとは、忍人自身も思わなかった。
“王族であるが故に祭り上げられた娘”――それが忍人の千尋に対する印象だった。

だけど千尋はその重責から逃れようとせずに、まっすぐに立ち向かっていき、ついには本当に豊芦原を平和へと導いた。
その頃には、忍人の千尋への想いは愛情へと変わっていた。

だが、彼女はもうただの娘でも、姫でさえもなくなっていた。
中つ国の新しき女王。
それが今の千尋。
力ある族の跡取り息子であるとはいえ、一介の兵士にすぎぬ忍人には雲の上の存在だった。

だからその想いを封じようと、今まで以上に礼節を重んじた。
以前のように千尋と名前で呼ぶことはなくなり、臣下の念を持って接する。
そんな忍人に、千尋が泣きながら名を呼んで欲しいと訴えてきた時、忍人は自分が大きな過ちを犯していたことに気がついた。

美しく咲く桜につられ、千尋と二人で訪れた桜の木の下で感じた想い。
それをいつか千尋に伝えたい……そう思ったはずなのに。
涙を流す君が愛しくて、思わず胸に抱き寄せてしまった。
大粒の涙を浮かべる君に、そう仕向けたのが自分であるということに、たまらない後悔が押し寄せる。

『口にしてもよいのだろうか? この想いを』

そんな自問自答が下らぬことを悟ると、忍人はまっすぐ千尋を見つめ告げた。
ずっと伝えたいと、胸に秘め続けてきた想いを。



「忍人さん!」
執務室の方から駆けてきた千尋に、物思いにふけっていた忍人ははっと顔を上げた。

(過去をを思い返すなんて、俺らしくもないな……)

自嘲気味に笑うと、忍人は寄りかかっていた柱から身を起こし、千尋を見つめる。
この世界でただ一人、愛する女性を。
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