忍人の告白

忍千2

「あの……名前で呼んでもらえませんか?」
そうお願いした時、忍人さんは驚いた顔をしたけど、ちゃんと呼んでくれた。
千尋、と。
その時は、遠くに感じていた忍人さんとの距離が縮んだような気がして、とても嬉しかった。

その後も時々、二人だけでいるような時は、名前で呼んでくれることがあった。
だけど王となった今では、彼が名前で呼ぶことはなかった。
礼儀や決まりに厳しい彼だから、当然と言えば当然であったが、それが千尋にはたまらなく寂しかった。
縮んだように思えた距離が、またぐっと広がった、そんな気持ちがした。
遠征の報告にやってきた忍人の顔を見つめながら、千尋は泣きたくなる気持ちをこらえていた。

「……陛下?」
いぶかしむ様な忍人の声に、千尋はハッと顔を上げた。
いつの間にか、俯いてしまっていたのだ。

「具合でも悪いのですか?」
「そんなことないです。ごめんなさい……続けてください」

途中で止まった報告を促して、千尋はくっと唇に力を込めた。
そうしないと、すぐにまた俯いてしまいそうだったから。

「……どうしたんだ?」
言葉を崩し、以前のように語りかける忍人に、千尋はこらえきれずに顔を覆ってしまった。

「具合が悪いのなら無理をしない方がいい。すぐに侍医を呼ぼう」

「違うんです! 具合が悪いんじゃないんです……ッ」

身を翻そうとする忍人の服の裾を、千尋は掴んでかぶりを振った。

「本当にどうしたというんだ?」
膝をついて、しゃがみこんだ千尋を覗き込む忍人に、こらえきれずに呟く。

「……で呼んで」
「なんだ?」
「名前で……呼んでください。陛下なんて言わないで……ッ」

千尋の言葉に、忍人がすっと押し黙る。 一瞬の沈黙の後、忍人はそっと千尋を抱き寄せた。

「……すまない。知らずに俺は君を傷つけていたようだ。すまない……千尋」

久しぶりに名前を呼んでくれた忍人に、千尋の涙がさらに溢れ出した。

「泣かないでくれ。君を泣かせたくない」
「ごめ……なさ……い」
「謝らなくていい。謝るのは俺の方だ」
「忍人さんは悪くないんです。私がわがままなだけなんです……ッ」

泣きじゃくる千尋を宥めるように、忍人の細い指先が彼女の髪を撫でた。

「あの時……一緒に桜を観に行ったあの時に思ったことを、俺はずっと君に言えずにいた」
「……忍人さん?」

忍人の言葉の意味が分からず、千尋は涙に濡れた瞳を向けた。
そんな千尋をまっすぐに見つめると、忍人は口を開いた。

「俺は君が……千尋が好きなんだ」

思いがけない告白に、千尋は我が耳を疑う。
いつだって臣下の礼を崩さなかった忍人が、まさか自分のことを想ってくれていたなんて、思いもよらなかったのである。
信じられない、そんな思いを宿す千尋の瞳に、忍人は困ったように微笑むと、もう一度言の葉を告げた。

「俺は君を愛してる」
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