虫払い

那千5

他愛のない話をする千尋を横目に、那岐は不愉快そうに顔をしかめた。
それは千尋に対してではなく、彼女を見つめる視線に対してだった。
鈍感な千尋は、実は結構男子生徒の間で注目の存在であると言うことに全く気づいていなかった。
うるさい視線を断ち切るように立ち上がると、すたすた廊下へ向かって歩き出す。

「ちょ……那岐?」

突然立ち上がったかと思うと、何も言わずにいってしまう那岐に、千尋が慌てて後をついていく。
そんな千尋を振り返りもせず歩き、ようやくお目当ての、誰にも邪魔されない場所へとたどり着くと、那岐は当然のように寝そべった。
那岐のマイペース振りには免疫のある千尋は、ふうっとため息をつくと、すぐ傍に腰を下ろす。

「どうしたの? 那岐」
「別に……。虫がうるさかっただけ」
千尋には分からない言い訳に、案の定千尋は?マークを頭に浮かべる。

「虫なんかいたかな~?」

間の抜けた千尋の言葉に、那岐がため息をつく。
千尋は知らなかった。
風早と那岐が、ひそかに言い寄る虫たちを追っ払っていることを。
ただ見つめているだけならまだ良いのだが(不快ではあるのだけれど)、直接手を出そうとする者も少なくなく、そっとかばんや机に忍び込まれた手紙を見つけると、千尋が見る前に破り捨てていた。
それでも諦めきれず、家に押しかけようとする奴には、冷淡な物言いで追い払ったりもしていた。

「……本当になんでこんなに鈍感なんだろう」
「え? なに?」
ぽつりと漏らした那岐の言葉に、千尋がぴょこんと反応する。

「千尋は無防備すぎるんだよ。こんな人気のないところに、平気でついてくるなよ」

「どうして? 那岐が来たからついてきただけじゃない」

那岐の言いたいことが分からず、千尋はむっと言い返す。
大体にして、人嫌いな那岐がこの“避難場所”に逃げ込むことは少なくなく、一緒にいることが多い千尋も、当然のことながらこの場所によくやってきたのである。

「那岐は言葉が足りなすぎるから、本当にわけわかんないよ」
「わかんないんなら教えてあげようか?」

一方的に責められている気がしてふくれる千尋に、那岐はその腕を引き寄せた。
突然引っ張られ、千尋はバランスを崩して倒れ込む。
あっさり千尋を組み敷くと、那岐は小さな唇に己のそれを重ねる。

「……ッ! 那岐!?」
「わかった? 無防備すぎるってことが」
「……ッ」
真っ赤な顔で反論の言葉を飲み込む千尋に、那岐は内心ため息をつく。

「本当に千尋は無防備すぎるんだよ。僕も男なんだよ? こんな簡単に組み敷くことだって出来るし」

「那岐は私の大切な……家族だもん。ついてきたっていいじゃない」

無垢な千尋の返答に、またまたため息を漏らす。

「千尋は無条件に信用しすぎだよ」
「那岐を信用して何が悪いの?」

子供のようにすね始めた千尋に、那岐はけだるげに身を起こした。
押さえつけられていた腕を開放され、千尋も身を起こす。

「とにかく男には気をつけること。呼び出されても一人でひょいひょいついてくなよ」
「私、子供じゃないのよ!」
保護者のような物言いをする那岐に、千尋が頬を膨らませて抗議する。

「ま、とりあえずは追っ払えたからいっか」
「……?」

首を傾げる千尋に、那岐は覗き見ていた者の気配が消えた扉をみて、口の端をあげた。
そう、今もまた、二人が揃って消え去ったことにヤキモキして、この場所についてきていた虫がいたのである。

「これで当分は大丈夫かな」
自分の中でだけ完結したような那岐に、千尋が眉を寄せる。

「那岐ってやっぱ、わかんない」
「単細胞な千尋にわかるわけないじゃん」
「ひど……ッ! 那岐って本当にひどい!」

あまりな言い様に不穏な空気が流れそうになると、那岐はさっさと立ちあがり、扉を開けて歩いていく。

「那岐!」
後方で抗議の声が聞こえるが、那岐は無視してどんどん歩いていく。

(本当に無防備すぎるんだよ、千尋は……)

内心ため息を漏らすと、後ろからついてくる千尋の気配を感じながら、那岐は足早に予鈴が鳴る教室へと戻って行った。
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