無垢

那千22

政務に追われ、休みのない日々を送って少し疲れが出始めた頃の那岐のお誘い。
普段は王宮の堅苦しいふいんきを嫌い、決して近づかない那岐が、風早を通じて渡してくれた手紙には『明日三輪山に来て欲しい』とだけ書かれていた。

まだまだやらなきゃいけないことは山積みだったけど、風早が微笑んで許してくれたから、今日は甘えることにして久しぶりの外出。
供を連れずに行くと狭井君がうるさいので、山の麓まで風早に送ってもらい山道を歩いていると、そこにはすでに那岐の姿。

「ごめん……待った?」
「遅いよ」
「これでも急いできたんだよ」

不機嫌そうな那岐の声に、頭を下げつつも弁明する。
久しぶりに那岐に会えるとあって、昨夜からずっと楽しみにしていたのである。
そんな千尋の内心の呟きに気づいてか、「ま、いっか」と千尋の手を取る。

「な、那岐?」
「ちょっと黙ってて」
目を瞑って集中する那岐に、千尋が慌てて口をつぐむ。
と、一瞬空気が歪んだかと思うと、そこは懐かしい橿原の見慣れた町並み。

「え? どうして?」
「いいじゃん、そんなの。嬉しくないの?」
問われて、ぶんぶんと首を振る。

「もう戻れないと思ってたから、すごく嬉しいよ。ありがとう」

素直にお礼を言うと、そっぽを向いてしまう那岐。
そんなつれない態度も、赤くなった耳から那岐が照れていると分かり、千尋は微笑んで那岐の腕に手を絡ませた。

「な! なにするんだよっ」
「久しぶりに那岐と一緒に歩きたいなぁと思って」
千尋の可愛いおねだりに、那岐は眉を寄せると渋々という体で腕を組んで歩き出す。

誰ともすれ違うことがないことから、これはきっと幻覚のようなものなのだろう。
それでも、もう決して見ることはないと思っていた、もう1つの懐かしい我が家に帰れるのがとても嬉しい。
そこでは身分など関係なく、家族である那岐とゆっくり過ごすことが出来るのだから。

「ね! 久しぶりにスパゲッティ作ってあげるね!」
「……きのこスパにしてよね」
「うん!」
嬉しそうに微笑む千尋に、那岐の瞳も優しくなる。

頑張り屋の千尋は、突然連れ戻された戦渦の中つ国に平和をもたらし、さらに王として復建に力を注いでいた。
その頑張りぶりたるや、誰かが無理にでも止めない限り、倒れるまで働いてしまうので、傍で助けることの出来ない那岐はいつも心配していたのである。
それに、こうして千尋と二人っきりで過ごせる時間も欲しかった。

「千尋、一緒にお風呂に入る?」
「えぇ!? 前はあんなに嫌がってたくせに、どうしちゃったの?」
那岐の提案に千尋が瞳を白黒させる。
相変わらず驚くポイントが微妙にずれている千尋に苦笑が漏れる。

「別に。たまにはいいかなと思っただけだよ」

那岐の返事に、逡巡している千尋の顔。
18歳にもなって男と風呂に入るの自体ありえない話だというのに、千尋はいまだに無垢で真っ白。

「千尋、ずっとそのままでいなよ、ね」
「え?」
小さな呟きを聞き返す千尋に、那岐は「なんでもない」と微笑んで懐かしい我が家への道を、愛しい少女と腕を組んで歩いて行った。
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