柔らかな日差しのうららかなある日。
那岐はいつものように千尋と並び、歩いていた。
橿原宮の長い階段を下りて草地に足を下ろすと、ふうと小さく息を漏らす。
「……この階段、あとでまた上るかと思うとうんざりするな」
「那岐、前も同じこと言ってたよね」
「何度来ても思うからだろ」
「まあまあ、せっかく来たんだから帰る時のことはその時考えよう」
ね? と微笑みかけられれば文句なんか言えない。
実際、千尋と二人ゆっくりできるなら、これぐらいの労力は我慢はできるのだ。
禍日神の脅威が消え、争いがなくなっても王の役目は減るどころか増える一方で、千尋とこうして二人の時間を持つことは容易ではない。
だから、こうして王ではない、千尋その人と過ごせる時間は那岐にとっても大切なものだった。
「綺麗……」
辺り一面に咲き誇る花々に、嬉しそうに微笑む千尋。
一時鬼道によって蘇らせた花は、今は幻ではなく自分の力で咲いていた。
「今日は寝転がれないね」
「別に、寝転がりたければすればいいだろ。枯草の上よりはよっぽど気持ちいいと思うけど」
「ダメだよ。花が潰れちゃうもの」
花を踏みつぶさないよう、気をつけながら歩く千尋は危なっかしくて、転ぶ前にその腕を取った。
「それで自分が転んでたら意味ないだろ」
「ありがとう、那岐」
嬉しそうに見上げると、腕を解いて掌を合わせ、細く滑らかな指が絡まる。
春になったらまた来よう、その約束通り那岐は千尋と再びこの場所を訪れた。
幻ではない、現実を目にするために。
「話ってなに?」
「……狭井君から聞いてないのか」
「狭井君から?」
きょとんと見返す千尋に小さく息を吐くと、まっすぐに向かい合った。
「――昨日、女王の伴侶に名乗りを上げた」
「え?」
「了承されたわけじゃないけどね」
国にとって最良の相手を選ぶ……それが王族に課せられた使命であり、自由な恋愛など望むべくもない。
有力な族の一族や、常世の皇となったアシュヴィンさえその候補であるのだから、王家に連なる者だといっても忌子と蔑まれていた那岐が女王の伴侶となりうるのは難しい話だった。
「それでも譲るつもりはないから」
誰よりも大切で、自分が守るのだと、そう決めた。
だからその誓いを違えるつもりはない。それがどれほど困難であっても。
「千尋」
繋いでいた手を解いて左手を取ると、懐から小さなリングを取り出した。
「那……岐……」
「これは約束の証。時間はかかるかもしれないけど待ってて」
「…………っ」
するりと薬指に通されたリングに、千尋の瞳から涙が零れ落ちる。
「うん……っ! ずっと待ってる」
「泣き虫、直ってないね」
幼い頃、なにがあったでもなく突然泣き出すことが多かった千尋。
大きくなるにつれ、負けず嫌いの性格から人前で泣くことはなくなったけれど、いつでも人の目を気にし、心を揺らしていたことを那岐は知っていた。
『龍の声が聞こえるようになるまで、僕が強くなって君を守る』
それは幼い日の誓い。そして、新たに誓った想い。
『たった一人の大切な人をずっと守っていける強さを必ず手に入れる』
千尋が一人苦しみ、泣くことがないように。
枯れた花を咲かせて慰めるのではなく、千尋を守る力を手に入れる。
薬指に飾ったリングに誓いを新たにして、那岐は腕の中へと抱きしめた。