「ねえ、那岐?」
「なに?」
「どうして今回の視察は、2人だけなの?」
「僕と2人は嫌なわけ?」
「そんなこと言ってないでしょ。いつもは必ず何人か一緒じゃない。だから不思議に思っただけだよ」
当然の疑問に、しかし那岐は答えず千尋の手を引き歩いていく。
着いた先は、温泉が湧く小さな邑。
「え? 温泉?」
「遠夜が言ってたんだよ。傷を癒す湯があるって」
「わあ! 温泉なんて初めてだよ!」
ぱあっと顔を輝かせた千尋に、ようやく那岐も相好を崩す。
今回の旅は視察ではなく、那岐が計画した二人の新婚旅行だった。
忙しい毎日の中、少しずつスケジュールを調整して、ようやく実現したのである。
「早速入っていい?」
「ちょっと待って」
うずうずと見上げる千尋に、那岐は振り返るとぴょこんと覗いた見覚えのある髪飾りに顔をしかめた。
「――そこ。全然隠れてないから」
むすっとした声音に、もそもそと現れたのは遠夜。
そしてさらに風早・柊・忍人と続き、さすがの那岐も目を見開いた。
「どうしてあんた達がいるのか、説明してくれる?」
「女王を護衛なしに出かけさせるなど、出来るわけがないだろう」
「はは、忍人が聞かなくてね。ごめん、那岐」
頼りにならない元同居人に、那岐ははぁとため息をついた。
お堅い将軍。
千尋を溺愛している元同居人。
うさんくさい軍師。
神子を慕う土蜘蛛。
と、揃いも揃ったお邪魔虫に頭痛を覚えるが、面倒だと投げ出すことは出来ない。
何と言っても、今回は新婚旅行なのだ。
「――あんたさあ。今回の目的、分かってるんだよね?」
「もちろんですよ。那岐と千尋の新婚旅行でしょう?」
「新婚旅行!?」
にっこり笑顔で応えた風早に、驚いたのは千尋だった。
「ほ、本当? 那岐」
「まだ結婚してからどこにも出かけていなかったでしょう? だから千尋の息抜きにもと俺が勧めたんですよ」
「だったら邪魔しないでくれる?」
「俺が2人の邪魔をするわけがないでしょう? 文句は柊に言ってください」
「私はただ外出の旨を忍人に伝えただけですよ」
明らかな嫌がらせに那岐が眉をしかめると、横からツンツンと袖が引っ張られた。
「私はみんなが一緒でもいいよ?」
「千尋……あのねえ……」
お邪魔虫たちの行動を良心的に捉えた千尋は、困ったように微笑む。
が、それがどういう意味かを理解しておらず、那岐は大きくため息を漏らした。
「――そこのエロ軍師ならともかく、あんたまで覗きの趣味があるわけ?」
「どういう意味だ?」
「僕達がいる場所。――温泉だよ? ここでじっと千尋が入ってる様子を覗いてるのかって聞いてるの」
「……っ! 半径10メートル以内には近づかん」
「私は一緒でも構いませんが……」
「俺が許しませんよ」
ふふっと唇をつりあげる柊に、風早が笑顔で腕を締め上げる。
一人邪な思いとは無縁な遠夜は、3人に引きずられるようにその場を立ち去った。
「まったく……」
「いいのかなぁ」
「あいつらに見せたいわけ?」
「! そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、いいのかどうかなんて関係ないだろ」
「そ、そうだね」
ようやく事態が飲み込めた千尋は、顔を真っ赤にすると気まずそうに合わせた両手の指をもじもじと蠢かせた。
その様子に小さく息をつくと、静かに言上げる。
「那岐?」
きょとんと見つめる千尋に、言い終えると那岐はさっさと温泉へと歩いていく。
「何したの?」
「結界。他の奴に千尋の肌を見せるなんてごめんだからね」
そっけなく返された言葉に隠れた嫉妬に、千尋は顔を染めつつ口元を綻ばせた。
* *
「那岐、いる?」
「いるよ」
岩を挟んだ反対側からの呼びかけに、那岐は無愛想に返事を返す。
現代のように男湯と女湯が分かれているわけでないが、なんとなく気恥ずかしくて、二人は岩を挟んでいた。
これでは新婚旅行の意味がない気がするが、お邪魔虫が見守る中で何か出来るわけもなく、那岐は諦めたように湯に身を投げ出した。
「……ありがとう。びっくりしたけど……すごく嬉しかったよ」
「…………」
顔を見ずとも分かる、今の千尋の表情を思い浮かべ、那岐の頬がわずかに染まる。
昔からこうして素直にありがとうを伝える千尋が、那岐には照れくさかった。
顔の火照りを湯あたりのせいにしてしまおうと考えていると、水音の後に柔らかな感触が背に触れた。
「…………っ! ちひ……」
「……一緒にいようよ。だって新婚旅行でしょ?」
甘えるように寄りかかる千尋に那岐は今日一番の頭痛を覚えた。
そっと肩を撫でる金色の前髪。
布越しに感じる柔らかな肢体。
(本当に無防備すぎるよ、千尋は……)
そういえば中学にあがっても一緒に風呂に入りたがっていたよね、と昔の記憶を思い出しながらため息をつくと、ゆっくりと振り返った。
「那岐?」
「……僕が男だってわかってる?」
そのまま頤を掴むと、顔を傾けそっと唇を重ねる。
「そういうこと言うのは僕だけにしなよ」
抱き寄せて囁けば、腕の中で真っ赤な千尋が小さく頷く。
――生殺し。
その言葉が脳裏によぎり、那岐は深いため息を漏らすのだった。