願いは一つ

那千11

出雲郷で行われた祭りが、現代の七夕であると知った千尋の一言から始まった、天鳥船での小さな星の祭り。
笹に短冊代わりの薄い木片を飾って、星を眺めながら酒を交わす。
そんなささやかなものであったが、戦ばかりの現況の中で、それはほんの一時の安らぎの瞬間だった。

「那岐はもう飾った?」
仲間から離れ、一人寝ころんでいた那岐の元へ千尋が駆け寄る。

「僕がそんなもの書くと思う?」
「そんな事だろうと思って、那岐の分の短冊持ってきたよ」
異世界で家族として暮らしていた千尋は、那岐の性格を重々承知しており、しっかりと短冊を携えていた。

「いらないよ。千尋が書けば?」
「私はもう書いたもん。これは那岐の分」
「じゃあ、何でもいいから僕のも書いといて」
「那岐!」
何でも面倒がる那岐は、七夕に全く興味を示さない。

「那岐はお願い事ってないの?」
「ないよ」
「一つも?」
「そう」
にべもない返事に、千尋がはぁ~とため息を漏らす。

「千尋はなんて書いたの?」
「え? 私? 私はみんなが元気でいられますように……って」
「千尋らしいね」
自分のことでなく皆を気遣うその内容に嘆息する。

星に願いをかけるなど、那岐には到底出来なかった。
神は人のちっぽけな願いなど聞き届けてはくれないことを、嫌というほど知っていた。
それでも。 目の前で笑う少女には、ずっと笑顔でいて欲しい。
他人に興味のない那岐が、千尋にだけはそんな想いを抱かずにはいられなかった。

突然異世界へと連れてこられ、その世界の今は亡き国の王女だと言われて、反乱軍の指揮を強引に押しつけられた千尋。
なのに不満を言うどころか、必死になってその期待に応えようと奮闘する姿が、那岐にはもどかしくて仕方なかった。

王族の使命なんて知らない。
そう言って突っぱねることだってできたはずなのに、それが自分の使命なのだと受け入れた千尋。
どうして記憶にないのに王族であることを受け入れ、旗頭などを引き受けたのか聞いてみたことがあった。
それに対しての千尋の返事は「この豊芦原が私の故郷だから」。
だから、ここに住む人々を守りたい、幸せにしたいと、その想いで戦いに身を置くことを千尋は選んだ。
ため息交じりに千尋から短冊と筆を受け取ると、さらさらと文字を滑らせる。

「はい」
「何書いたかみてもいい?」
つっけんどんに短冊を差し出し、再びごろりと寝ころんだ那岐に、千尋は今しがた書かれた短冊を覗き見た。

『君が幸せであるように』

一言だけ書かれた短冊に、千尋は不思議そうに那岐を見た。

「ねえ? 『君』って誰のこと?」
「さぁね」
瞳を閉じてそれ以上語らない那岐に、千尋は小さく息を吐くとすくっと立ち上がった。

「じゃあ、那岐の短冊飾りつけてくるね」
微笑み駆けて行った千尋の背中をそっと見つめる。
――傍らでずっと君を守る。
その言葉は那岐には言えなかった。
自分に係わるものは全て――命さえも失ってしまうから。
だからせめて君の幸せを。
胸の痛みにそっと瞳を閉じて、那岐は心から消えない少女の姿を瞼の裏に浮かべた。
これが偶然ではないことを願って。
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