「龍の神子は人に心を移してはならない。神子の心を奪った者は、必ず神の怒りを招く」
そんな噂がまことしやかに囁かれているのは、王族の血を途絶えさせないための偽りか。
龍の声が聞こえない中つ国の王族の不安ゆえなのか。
風早はその噂が事実とは異なることを知っていた。
龍神は神子が誰かを愛することを禁じてなどいなかった。
ただ、見放してしまっただけ。
「皆を救いたい――たとえこの身が消えてしまおうとも」
純粋たる乙女の願いは、しかしその身に龍神の力を得るにはあまりにも人間の身体は脆く、命と代償に得られる加護だった。
それでもなお願った彼女の純粋な想いを、しかし人間は世界の破滅と引き換えにした。
その時から龍神は、人間というものを信じられなくなった。
自らの身を投げうち、他者の身を救うことを願う者もいれば、そんな者を平気で贄に差し出せてしまう者もいる。
その事実が白き龍を迷わせる。
「一度混沌に帰すべきなのだ」
黒き龍の言葉に、白き龍は沈黙する。
人の善悪を見定めようと黙して見守るが、そんな龍神の思いなど気づかぬ人間たちは、愚かにも乙女の願いで救われた地で再び争いを繰り返した。
惑いし白き龍は、眷属である白麒麟に人間が善であるか悪であるかを見極めよと命じた。
それに応じて初めて地上へ降り立った白麒麟は、異質なものを受け入れぬ人間たちによって矢を射られ、追い立てられた。
「やはり人間は、黒き龍の言うとおり悪である」
穢れなき白い身体が紅に染まった様に、白麒麟はそう結論づけた。
そしてそのことを伝えようと天へ駆けようとしたその時、少女の声が聞こえてきた。
『どうしたの? けがをしてるの? かわいそう……』
『だいじょうぶだよ。こわかったんだね。もう、だいじょうぶだよ』
自分を励ますように呟く黄金色の髪の少女に、白麒麟は戸惑ってしまう。
『おくすり、持ってきたよ。痛いのなんてすぐ、なくなるからね』
怯えさせないように優しく囁きながら、わざわざ持ち寄ってくれた薬で手当てする少女。
その瞬間、白麒麟は分からなくなってしまった。
本当に人間が悪であるのかを。
そうして白き龍へ告げる言葉を失った白麒麟は、少女の傍でもう一度人間を見極めることを選んだ。
* *
「こんなところにいたんですね」
彼女の髪と同じ黄金色の芦の草原をかき分けると、風早はうずくまった少女に微笑んだ。
「……どうして私がいる場所……わかったの?
だれもいないところに行こうと思ったのに」
「どうしてでしょうね? なんだかわかるんです」
「…………」
「ほら、もう泣きやんで。目が真っ赤になってしまう。何があったんですか?」
「……だめだったの。……龍の神様の声、やっぱりぜんぜんきこえないの」
少女の呟きに、あぁと心の内で頷く。
「私、姉様や母様みたいになれない。髪もこんな薄い色で、姉様みたいに綺麗じゃないもの」
だからみんな、私のことが嫌いなの……。
少女の言の葉にできない呟きが、風早には聞こえた。
「聞こえないものを聞こえないというのは、悪いことではないでしょう?」
そう、目の前の少女は決して嘘を言ってはいなかった。
心を閉ざした龍神が、人に応えるわけがないのだから。
「姫は正直だ。俺は姫のそういうところ、好きですよ」
「風早……」
「そうだ、来る途中で作ったんです。かぶってみて」
そうして彼女の瞳のように美しい青の花で作った花冠を手渡す。
「綺麗……」
「髪の色が淡いから、青い花が良く映える。ね、姫はきっととても綺麗な姫君になりますよ」
抱き上げて微笑むと、少女の瞳に輝きが蘇る。
「風早、大好きだよ。ずっと傍にいてね……」
「ええ、もちろんです。ずっとあなたの傍にいますよ」
それは願い。
人の姿をとって少女の傍に寄り添うようになってから芽生えた願いだった。