切なる想い

風千26

風早に突然抱きしめられ、千尋は驚き彼に声をかける。

「風早? どうした、の?」

風早が自分をこのように抱きしめることは今までにもあり、それ自体は何の違和感もないのだが。
でも、理由がはっきりとせずに、それも部屋へ
やってきたかと思ったら突然のことだったので、千尋は戸惑いを隠せなかった。

「……すみません。驚かせてしまいましたね」

千尋を抱きしめたまま、頭上から風早の声が響く。

「ちょっと千尋に触れたくなったんです」
「それはいいんだけど……何かあったの?」

気遣う声に、風早の胸がチクリと痛む。 思い起こされるのは昼間のとある出来事。
久しぶりに中つ国へやってきたアシュヴィンが、千尋へ挨拶とばかりにした口づけ。
千尋はもちろん驚き、顔を真っ赤にして怒っていたが、アシュヴィンが千尋に惹かれているのを知っていた風早の方が、彼の行動に心打ちのめされた。

千尋が大切で。
本当に大切で。
幼い頃は彼女の純粋さに惹かれ、保護者のように見守っていた愛情が変化していた。
そう、一人の男としての想いに。

千尋も自分のことを大事に想ってくれている。
それは確信があった。
だが、男としてはどうなのか?
自分が彼女の父親のような存在であることを知っていて、だからこそ風早はその先へと踏み込めずにいた。
千尋に拒否されれば生きてはいけない。
黙り込む風早のただならぬ空気に、千尋はそっと風早の腕に手を添えた。

「風早……不安なことがあるの? 私には言えないこと?」
言葉にせず、ただただ抱きしめる腕が自分を必要だと訴えている気がして、千尋は手を振り払うこともできずに気遣う。

「千尋にとって俺は……なんですか?」
「え?」
「頼りになる従者? 学校の教師? それとも保護者ですか?」
風早の問いの意が分からず、千尋は戸惑う。

風早は従者で、いつも傍で守ってくれて、空や草やその他色々なことを教えてくれた大切な人で。
周りの人たちから異形と嫌われていた私をありのまま受け入れて、大切に愛しんでくれた。

「風早は私のとても大切な人だよ」

千尋の答えに、かすかに落胆の色が伝わる。
それが風早の望む答えとは違うということが分かり、千尋は慌てた。

「えっと、その……」
「いいんです。すみません。困らせてしまいましたね」

抱きしめていた腕が緩まり、おずおずと風早を見上げると、寂しげな微笑みが目に入る。
そんな表情をさせてしまったのが自分だと思うと、千尋の胸はちくりと痛んだ。

「突然すみませんでした。ゆっくり休んでくださいね」
そっと千尋の頬を撫でて出て行こうとする風早を、千尋は慌てて止めた。

「ま、待って!」
「千尋?」
不思議そうに見る風早に、千尋が一生懸命に言葉を探す。

「えっと、その……風早は私になんて言ってもらいたかったの?」

分からずについ素直に問うてしまうと、風早の困った笑顔が返ってくる。

「気にしないでください。ちょっと気持ちが沈んで、妙なことを口にしてしまいました」

「気持ちが沈んでって……なんで沈んでいたの?」

そのまま話を終わらせようとする風早に、千尋が必死につなげる。
このまま終わりにしてはいけない。
千尋の直感がそう告げていた。

「…………」
「お願い、風早が苦しんでいるのをこのままにしたくない」
千尋に請われ、風早は顔をそらして重い口を開く。

「昼間、アシュヴィンが来た時……」
「うん」
「その時、彼があなたにしたこと……です」
「アシュヴィンが私にしたこと……?」
昼間の出来事を思い返し、一つのことが思い出される。

「もしかして……アシュヴィンが私にキスしたこと?」
「…………」
沈黙する風早に、それがあっていることがわかった。

(アシュヴィンが私にキスをしてきたことが、風早の気分を沈めた……それって……)

考え込む千尋に、風早が堪え切れずに彼女を抱き寄せる。
そして顎を持ち上げると、自分の唇を彼女のそれに重ねる。
驚き、瞳を見開く千尋に、風早が苦しそうに想いを吐露した。

「俺はあなたが……千尋が好きなんです。
あなたを誰にも触れさせたくない! 渡したくない!!」

初めて告げられた激しい想いに、千尋は言葉を失う。
風早が自分をそういう相手として見ているとは思ってもいなかったのである。
そんな千尋に、顔を髪に埋めながら風早が続ける。

「でもあなたは俺のものじゃない。俺だけのものじゃない。だから、誰かがあなたに触れることを、俺が止めることなんてできないんです。
わかっているのに、それなのに俺は……」

風早の苦しみが言葉の端々から伝わってきて、千尋はなんとか風早を救ってあげたかった。
それがどんな感情にもとずくものかもわからず、千尋は必死に風早に伝える。

「嫌だって、そう言ってもいいんだよ? 私は風早にそう言われても嫌じゃないもの!」
「千尋?」

千尋の言葉の意味が分からず、風早が戸惑うように千尋を見つめる。
そんな風早の視線を受けて、必死に言いつのる。

「風早が嫌だって言うなら、誰も私に触れさせなくてもいい! ……公務の席での握手とかは仕方ないけど……それ以外はダメって言う!」

「そんなことしなくてもいいんですよ。俺のただのわがままなのだから」

「いいの!私は風早が一番大切だから! だからいいの!!」

「千尋……」

必死に告げる千尋に、風早がふっと瞳を和らげる。

「千尋にとって俺が一番ならば、俺はとても嬉しいです。それが……でなくても……」
「なに? 風早?」
「いいえ。愛してますよ、千尋」
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