出来ないことが多くても

風千24

「……と、もうこんな時間か」
不意に感じた気温の下がり具合に時間を知ると、手入れの終わった装飾品を棚にしまい、千尋を迎える準備をする。
奇跡のような再会を果たしてから、彼女の従者としてまた共にいる日々を得て季節は巡り、秋も終わりを告げようとしていた。

「そろそろ暖かい衣を用意した方がよさそうだ」

一時この世界を離れ、文明の進んだ世界で過ごしていた千尋には、エアコンなどないこの世界での冬は堪えるだろう。
そうでなくとも寒がりなところがあり、幼い頃はよく風早の布団にもぐりこんでいたものだった。
そんな懐かしい記憶に顔をほころばせていると、こちらに歩いてくる気配を感じ、部屋の入り口を見つめた。

「風早」

「おかえりなさい、姫。今日もお疲れ様でした」

「今日は温かいものをお願いしてもいい?」

「そういうと思って、暖かいお茶を用意してあります」

「風早はすごいね。私の考えてること、お見通しだもの」

「そんなことありませんよ」

嬉しそうに暖かいお茶を口に運ぶ千尋に微笑みながら、数か月前の自分を思い出す。

人として生まれ変わった風早は、以前のように傍にいなくとも千尋の気配を感じることが出来ず、絶えず彼女の声や気配を感じようと必死になっていた。
千里の先から千尋の声を聞く耳も、その姿を見つける眼もない。
常に傍にいないと声に答えることもできない。姿の見えるところにいないと、存在を確かめることすらできない。
そんな、人間として当たり前のことがひどくもどかしくて、不安だった。

何の力ももたない自分では、彼女の身に危険が迫った時、それを知ることも出来ず、駆け付けることも出来ずに失ってしまうのではないか。
その思いが風早を苦しめていた。
そうして怯える風早を抱きしめて、千尋は言った。
風早が千尋を見失っても、千尋が風早を探して見つけてくれると。

『私、結構しつこいみたいだから安心して』

そう言い笑う少女が愛しくて、涙が溢れそうになった。
遙か彼方から彼女の声を聞くことはできなくなったけれど、それなら耳に届く範囲で聞けばいい。
そう思ってから、ずっと胸に燻っていた不安は消えていった。

「――くしゅん!」
小さなくしゃみに意識を今に戻すと、先程片していた棚の中から羽織物を取り出す。

「千尋、これを。秋が終わり、朝晩がずいぶんと冷えるようになってきました。部屋にいる時はこれを羽織るようにしてください」

「ありがとう、風早。あたたかい……」

幸せそうに羽織物で自分の身を包む千尋を、柔らかな瞳で見守る。

「寒気などはありませんか。先程のお茶に生姜を少し混ぜておいたので、もう少ししたら体が温まってくると思います」

「何か懐かしい味だなって思ったらジンジャー入りだったんだね」

するりとこぼれる異国の言葉は、那岐と千尋を連れて逃げ落ちた世界で身につけたもの。
この世界ではわかるものがいないその言葉が、確かな千尋との絆のように思えて嬉しさがこみ上げてくる。

「風早? なんだか嬉しそう?」

「なんでもないですよ。今日の執務は終わりましたし、食事の前にゆっくりお風呂に入ってはどうですか?」

「そうだね。時間もあるし、そうしようかな」

「着替えを用意しておきますね」

「……それは恥ずかしいからやめて」

頬を赤らめ、上目づかいに見る少女に微笑むと、わかりましたと身を引く。
彼女の従者として傍にいる風早にとっては今更とも言えるのだが、自分を意識しての言葉だと思えば愛しさしかわきあがらず、彼女の願いどおりに采女に着替えを頼む。

「じゃあいってくるね」
身を翻した彼女の衣からわずかにこぼれた音は、以前視察でもらった玉のもの。
彼女の瞳を模したような美しいその玉は、千尋も気に入りずっと大切に持っていた。

「はい。しっかりあたたまってきてくださいね」
「うん。風早のジンジャー入りのお茶のおかげでポカポカしてきたから大丈夫」

ドアの向こうに消える間際に見えた柔らかな微笑みは、自分に向けられたもの。
惜しみなく注がれる恋情に包み込まれて、風早は幸せそうに微笑み返した。
この身はもう、離れた彼女の姿を見通すことも、声を聞くことも叶わないが。

「見えなくなったら探しに行けばいい。わかれたとしてももう一度会えるのだと、あなたが俺に教えてくれたから」

失ったものに不安がるのではなく、ただ彼女を求めればいい。
風早にその幸福を与えてくれた少女。
千尋と出会えたことを、風早はもう一度神に感謝した。
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