オレンジの陽

風千22

「千尋、起きて下さい。朝ですよ」
「う……ん……あと十分……」
現代にいた頃の懐かしいやり取りに、風早は苦笑しながら千尋の髪をそっと撫で囁いた。

「そのまま寝かせてあげたいのですが、今日は一ノ姫……女王陛下のお手伝いをするのでしょう?」
「……姉様のお手伝い……? …………あっ!」

囁きに眠りの海を漂っていた千尋の意識が一気に覚醒する。
がばっと飛び起きると、慌てて立ち上がった。

「そうよ、今日はとても大切なお客様が来るから、儀式用の衣装を着なきゃいけないんだった……!」

「千尋。髪に寝癖がついてますよ」

「え? どこ?」

「少しじっとしていて下さいね」

懐から櫛を取り出すと、遠い昔の思い出のように黄金の美しい髪を丁寧に梳く。

「はい。出来ましたよ」
「ありがとう、風早」
にこりと微笑む千尋に飲み物を手渡し、着替えを手伝う女官の元へと送り出す。

風早が人となって再び千尋と巡りあい、心を通わせ、晴れて二人は婚姻を結んだ。
過去の中つ国とは違い、千尋の容姿を異形と疎むものはなく、龍の神子姫として大切に守られていた千尋との婚姻は難しいものだったが、今は女王となった一ノ姫の理解を得られ、風早は彼女の夫となることが出来た。

「そろそろ支度が出来た頃でしょうか」
昔と変わらず、千尋付きの第一従者である風早が迎えに行くと、ちょうど支度を終えた千尋が振り返り微笑んだ。

「風早はすごいね。いつもぴったり」
「たまたまですよ」
「そんなことないよ。ね? 兄様」
「こいつは二ノ姫に夢中ですからね」

同じく女王の元へ歩く羽張彦がにやにやと笑うのに、風早が苦笑する。
羽張彦もまた、かねてから思いを通わせていた一ノ姫と婚姻を結んでいた。

「おはよう、千尋。今日も遅れずに起きれたのね。これも風早のおかげね」

「う……否定できない」

「はは、そんなことはありませんよ」

「風早のおかげで慌てずにすむって、女官たちも喜んでたわ」

「姉様っ」

恥ずかしそうに頬を染める千尋に、一ノ姫や羽張彦が楽しげに笑う。

千尋がずっと望んでいた、周囲と笑いあえる暖かな日常。
歪められた言伝から辛い幼児期を過ごしていたかつての千尋はもう、風早の記憶の中にしかいなかった。

「風早?」
「なんでもありません。飲み物を持ってきますね」
「采女が持ってくるから大丈夫よ。本当に相変わらずね」

婚姻を結んでもいまだに千尋の世話を焼く風早に、一ノ姫はくすくす肩を揺らした。
本人の希望もあり、第一従者という立場は変わらなかったが、つい今までのようにすべてのことをやろうとしてしまい、こうして苦笑されていた。

「もう……風早は私の旦那様……でしょ?」
「すみません、どうも癖が抜けなくて」
恥ずかしそうに上目遣いに見る千尋の隣に腰かけて、並べられた朝食を四人でとる。

「千尋、ご飯粒がついてますよ」
「え?」
ちょこん、と口の端についた飯粒にくすりと微笑み、指を伸ばす。

「はい、とれました」

「……お前ら、俺達もいるって忘れるなよ?」

「羨ましいならあなたもしてみてはどうですか?」

「一ノ姫はご飯粒をつけるような食べ方はしないからできないんだよ」

「まあ……」

仲睦まじい姿を茶化す羽張彦に、一ノ姫が指を伸ばす。

「ここ。千尋のこと笑えないわよ」
「そこでぱくっとしてくれると嬉しいんですけどね。奥方?」
「あら、ごめんなさい」
姉と羽張彦のやりとりに、今度は千尋と風早が笑う。

穏やかな……本当に穏やかな日々。
聖獣のままでいたならば知りえなかっただろう、温もり。
それを風早に教えてくれたのは、隣で微笑む少女だった。

「風早?」
「あなたと出会えて俺は幸せだなと、思っていたんですよ」
「それは私も同じだよ」
微笑んで、そっと頬に手を伸ばす。

「私を選んでくれてありがとう、風早」
言葉に込められた様々な思い。
それらを全て感じ取って、風早が幸せそうに微笑む。

「ありがとう、千尋。俺の愛しい人――」
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