堅庭で本を読んでいた柊は、聞こえてきたため息に上方を覗き見た。
そこにいたのは、愛しい未来の王。
いつもは愛くるしい笑顔の千尋が、物憂げな表情でため息をついている様に、柊は口の端をつり上げた。
「はぁ~どうしよう……」
「何をお悩みですか?我が君」
「きゃ……っ! 柊!?」
呟きに返された思いがけない声に、千尋がびくっと肩を震わせ、勢いよく振り返る。
「そのように妖しを見たような悲鳴をあげられると傷つきます」
「だ、だって、急に柊が声をかけるから……でも、ごめんなさい。確かに失礼だよね」
大げさについたため息に、千尋が慌てて言い訳するが、結局素直に頭を下げた。
王になろうという少女が臣下に頭を下げるなどありえないというのに、千尋の純粋な反応につい笑みがこぼれる。
「我が君の顔を曇らせる事柄とは何なのでしょう? よろしければ私にお聞かせ願えませんか?」
「え? えっと、その……」
問われて口ごもる少女に、柊はおやっと瞳を細める。
いつもならすんなり答えてくれると言うのに、今日の千尋は何故か柊に悩みを告げることをためらっているのである。
「私が信用できませんか? ……悲しいですね」
「そ、そういうんじゃないの!」
悲しんで見せれば、慌てて気遣う声が愛しくて、つい意地悪したくなる。
「私はこんなにも我が君をお慕いしていると言うのに、我が君は露ほども私に心を開いては下さらぬのですね」
「違うの!信用してないんじゃなくて、柊のことだから……あっ!」
柊の口車に負けてつい言葉をこぼし、千尋が慌てて掌で口を覆う。
「私の……こと?」
繰り返されて、千尋が観念したように頷いた。
「柊にあげるプレゼントを考えてたの」
「プレゼント、ですか?」
「もうすぐ誕生日でしょ? だから、何かお祝いにあげたいなぁと思って」
千尋の言葉に、瞳を和らげる。
小さな王が心悩ませていたのは、自分への贈り物のことだというのだ。
「みんなにも聞いてみたんだけど、私が一緒にいればいいなんて言うだけで、ちゃんと答えてくれないんだもん」
ため息をつく千尋に、そう答えた仲間達の心中を察した柊が苦笑を漏らす。
彼らは良く分かっている。
千尋が自分のためにこうして悩んでくれる、それがすでに大きな贈り物になっているということを。
「我が君。私は我が君からかけがえのないものを頂きましたよ」
「え?」
「あなたが私のことだけを考えてくれていたその時間、です。あなたの心を一時でも独占することが出来た。それは十二分に私の心を満たしてくれます」
柊の甘言に、千尋が顔を赤らめる。
「もう……っ柊はいつもそんなことばかり言うんだから」
「これが私の本心ですから」
にこりと微笑まれて、千尋が困ったように上目遣いに覗き見た。
「ねぇ? 何か欲しいものってない?」
「欲しいものですか?」
「もうばれちゃったし、本人の欲しいものが一番いいと思うから」
「もう十分頂いたのですが、そうですね……」
顎に手を置き逡巡すると、柊はそっと耳に口を寄せて囁いた。
「それでは…あなたを頂けますか?」
「え……?」
柊の言葉に、千尋が耳まで真っ赤に染まる。
「そ、それってどういう……」
「おや? みなまで言わねば分かりませんか?」
「…………っ!!」
艶のある笑みを浮かべると、千尋が真っ赤な顔で口ごもってしまう。
柊のことは仲間として信頼しているが、男としてといわれると困ってしまうのである。
「ふふ、冗談ですよ。それでは一日我が君のお傍に控えることをお許し頂けますか?」
「え? 私の傍?」
「ええ。あなたのお傍に一日控えていられるなんて、これ以上の幸福はありませんからね」
「でもそれじゃ、柊に私が何かしてもらうみたいじゃない?」
「私が望んで姫のお傍にいたいのですよ」
「でも……そうだ! 誕生日は私が一日、柊のお世話をしてあげるね!!」
無垢な言葉に笑みがこぼれる。
臣下の世話をする王がどこにいるというのであろう?
「では……私の着替えも姫が手伝ってくださるのですか?」
「き、着替え!?」
「お世話と申されますと、当然着替えも含まれるかと……」
「き、着替えは自分でやって」
照れる様まで愛しくて、手を取るとその甲に口づける。
「ひ、柊!?」
「あなたの甲に口づけられる……それだけで私は幸せなのです」
(これ以上望むことは許されませんから……)
内心の呟きを笑顔の裏に隠し、柊は愛しい未来の王に微笑んだ。