大好きなあなたに

アシュ千6

「う~ん……」
珍しく頭を抱えてうなる千尋に、リブはお茶を入れるとそっと差し出した。

「あ。ありがとう、リブ」
「どうかされたんですか?」
「あ! そうだわ、リブに聞けばいいのよね。ねえ、リブ」
「はい」
「アシュヴィンの好きなものって何?」
「は?」
唐突な問いに、リブが首を傾げる。

「もうすぐアシュヴィンの誕生日でしょ? だから何か贈り物をあげたいな~と思って」
「ああ、そういうことですか」

千尋の言葉に、リブがにこりと微笑む。
言われてみれば、確かにアシュヴィンの誕生日が近かった。
形式ばったことを嫌うために、今は亡き前皇が主催するパーティだけは嫌々出席していたが、個人的なものは行ったことがなかった。

「皇のお好きなもの……う~ん」
あまり一つものに執着しないアシュヴィンは、目新しいものにどんどん興味が移っていくために、これというものが浮かばない。

「……あ。そういえば一つだけありましたね」
「なに?」
リブの言葉に、千尋も身を乗り出す。

「花です。以前、常世の国は禍日神によって緑が消え、枯れた大地となっていたことはご存知でしょう?」

「うん」

「忙しく動き回っていた皇が休憩に訪れるのは、決まってまだ花が溢れている場所だったんです」

リブの言葉に、以前アシュヴィンに連れて行かれた笹百合の谷を思い出す。

「皇妃もご存知のようですね。きっと花は皇にとって平和の象徴なのだと思います」
「そうか……」
禍日神を退け、常世の国にも緑の大地が蘇った。
だが、まだまだ花が咲き乱れるとはいかなかった。

「うん、それにしよう! リブ、手伝ってくれる?」
「はい、もちろんです」
満面の笑顔を向ける千尋に、リブが微笑んで頷く。


「千尋、どこに行くんだ?」
今日はアシュヴィンの誕生日当日。
千尋はリブにも口止めをして、今から行く場所のことを秘密にしていた。

「ふふふ、内緒♪ でも、絶対気に入ってもらえると思うの」

「ほお~、我が后がそこまで言うなら、さぞかし素晴らしい所なんだろうな」

嬉しそうな千尋の様子に、アシュヴィンも追求するのを止め、大人しく従うことにする。
千尋に連れられてきたアシュヴィンは、目の前に広がる光景に瞳を見開いた。

「これは……」
そこは緑が溢れ、花が咲き乱れる、まるで楽園のような光景だった。

「苗をもらって、リブと一緒に作ったのよ。綺麗でしょ? それに……」
すっと指差す先を見ると、そこには笹百合が一輪。

「笹百合の谷から一輪だけ株分けしてもらったの。今はまだ一輪だけだけど、これからどんどん増えていくわ。私のいた世界では、白は平和の象徴なの。だから、この笹百合をシンボルとして、この場所を誰もが心安らげる場所に出来たらな~って」

満面の笑みの千尋に、アシュヴィンは言葉もなく、ただ呆然と目の前に広がる光景を見つめていた。
それこそが、彼が望む常世の国の姿だった。

「アシュヴィン、お誕生日おめでとう。あなたがこの世に生まれてきてくれて、私と出会ってくれたことが、とても嬉しいわ」
頬にそっと口づけて言う千尋に、アシュヴィンが強く掻き抱く。

「最高の贈り物だ……ありがとう、千尋」
かすかに震えるアシュヴィンの腕に、千尋はそっと身を寄せ頷いた。



「アシュヴィン」
愛しい后の呼び声に、アシュヴィンは花から声の主へと視線を移した。

「ここにいたんだね」
「ああ」
公務の合間にアシュヴィンが訪れていたのは、千尋が彼の誕生日に贈った秘密の花園。
それは皇だけのプライベート空間ではなく、誰でも訪れることが出来る憩いの場所だった。

「この花も咲いたぞ」
「あ、本当だ。大分春らしい陽気になったからだね」

にっこりと微笑む千尋の笑顔が眩くて、アシュヴィンもつられて微笑んでしまう。
千尋と力をあわせて禍日神を倒して1年あまり。
アシュヴィンが焦がれていた緑溢れる大地が、常世に戻りつつあった。
一度枯れ果てた大地に根づくのは容易ではないが、それでも少しずつ花が咲き、国を癒していた。

「お前が作ったこの場所は、いつでも陽だまりだな」

リブの知恵もあったのだろうが、この花園は四季折々の花が植えられており、一年中楽しむことが出来た。
その中でもとりわけ思い入れのあるのが、中央にある笹百合だった。

「水無月にはまたこの花を楽しむことが出来るな」
「そうだね」
初夏が咲き頃の笹百合。
笹百合は2人にとって思い出深い花だった。

「笹百合ってね? 本当は人があまり立ち入らない場所の方がいっぱい咲くんだって」
千尋の言葉に、以前忌み地として畏れられていた出雲の笹百合の谷を思い出す。


「そういえば、あの谷はめったに人が立ち入ることのない場所だったな」
「この百合、大丈夫かな?」
平和の象徴として株分けして植えたのだが、後からそのことを知ったらしい千尋は可愛い顔を曇らせた。

「龍の姫自ら植えたんだ。龍神が加護するだろ」
自信ありげに笑うアシュヴィンに、しかし千尋は複雑な表情を浮かべた。

「本当に神子かなんて分からないよ」
――相変わらず私には龍の声は聞こえないもの。
小さな呟きは悲しみが宿っていて、アシュヴィンは己の失言を悔やみながら、華奢な身体を抱き寄せた。

「自ら道を切り拓き、この国に緑を蘇らせのはお前だ」
「私だけじゃないよ。アシュヴィンやみんながいてくれたから……」
千尋の言葉を口づけで遮り、その続きを奪う。

「『みんな』は余計だな」
「もう……っ」

唇を離し、にやりと口の端をつりあげると、千尋が頬を染めて怒るそぶりをする。
あくまでそれはそぶりで、照れていることを隠すための虚勢に過ぎぬことを、アシュヴィンは知っていた。

日一日と増えていく緑の木々や花々。
それらを見守ることができる穏やかな時間が、とても愛しかった。
そして何よりその愛しい日々を、誰よりも大切な千尋と共に感じることが出来るのが嬉しかった。

「ね、今度はリブやナーサティヤも誘って来ようね」

「ああ。いや……よしておこう」

「どうして?」

「ここはお前への想いを噛みしめる場所だからな」

「…………っ!!」

真っ赤な顔で黙り込んでしまった千尋に、肩を揺らしながら柔らかな金の髪に唇を寄せる。
彼の愛しき陽だまりに。
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