あの頃の夢

アシュ千2

父皇の隣りで、シャニは居心地の悪さに身をすくめた。
まだ7歳の少年に政治の世界など分かるはずもなく、見え透いたおべっかを使う大人たちにうんざりだった。
目の前の客が去った隙に父の傍を離れると、テーブルからいくつか料理を取り分けてもらい、人目につかない隅へと避難した。
広間を見ると、数人の女性に囲まれている兄の姿が目に入る。
アシュヴィンも気がついたのか、取り巻きから離れると、シャニの元へとやってきた。

「そんな隅でどうしたんだ?」
「おべっかにうんざりして避難してきたんだよ」

年離れた弟の素直な言葉に、アシュヴィンが苦笑する。
本来ならばどのような相手とも平然と向き合っていなければならないのだが、シャニは兄弟の中でも一人だけ年が離れていたため、父もアシュヴィン自身もどうしても甘くなってしまうのだ。

「いいの? あの人たち、まだ兄様と話したそうだよ」

「構わんさ。連中の欲してるものは『皇子』で、俺個人ではないからな」

「そうかな? ナーサティヤ兄様もアシュ兄様も女性に大人気だって、女官たちが言ってたよ?」

ちらりともう一人の兄であるナーサティヤを見るが、近寄るなというオーラに気圧されてか、女性たちはみな遠巻きに見つめていた。

「サティは愛想を取るようなことを嫌うからな。国に益をもたらすと判断した女以外、関わるつもりがないのだろう」

「アシュ兄様もそうなの?」

「王族に生まれたからには、己の好みで選ぶことなど出来る訳がないだろ? 何より正妃の存在は国にも影響を及ぼすからな」

アシュヴィンは常に王族として生まれたことを意識してきた。
これまでも正妃候補として、近隣の有力者の娘などの名が挙がったが、どれも『皇の女』たる器ではなかった。

「僕は国とか関係なく、自分で好きな子を選びたいよ」
「お前は好きにするといいさ」

大きな瞳で見返す弟に、その頭を優しく撫でて微笑む。
末弟とはいえ、シャニも王族。
普通の恋愛など出来ようもなかったが、それでもまだそれを少年に伝える必要はなかった。

「こんな所で何をしている」
「サティ」
「ナーサティヤ兄様」
「シャニ、父上が探しておられたぞ」
「は~い」
とてとて、と駆けて行く幼い弟を見送ると、アシュヴィンはふっと口元をつりあげた。

「シャニは普通に恋愛がしたいそうだ」
「……よもやお前までそのようなことを思ってはいまいな?」
「そんなわけないだろ?」
即答したアシュヴィンに、ナーサティヤは目を細めると、広間の中心へと戻っていった。

「恋愛……か」

今まで誰かに心惹かれるということはなかった。
それはアシュヴィン個人ではなく、王族として常に接する故かも知れぬが、それでも恋愛と呼べるものをした経験がなかった。

「この俺が一人の女を愛することなど、果たしてあるのか?」

王族に嫁ぐためだけに国に来たのだと、夫を殺した男と再婚した母。
そんな母を受け入れた父。
王族の結婚とは、国に益をもたらすためのもの。
そこに個人の感情など必要ないのだ。
王族にとって、恋愛結婚など夢のまた夢。
結婚後、心通わせあえれば良好といえよう。
そうして伏せていた瞳を広間へと移すと、アシュヴィンは自身を待つ人の輪の中へと歩いていった。

 * *

「アシュヴィン?」
呼びかけに、意識を浮上させたアシュヴィンは閉じていた瞼を開くと、傍らの妻を見た。

「千尋か……」
「珍しいね。寝てたの?」
「そうみたいだな」
頬杖から身を起こすと、千尋を伴い長椅子へと移動する。

「疲れてるんじゃない?」
「そんなことないさ」

確かに連日謁見が相次ぎ、ただでさえ忙しい政務が滞り、睡眠時間を代わりにあてがっていた。 そのことをリブから聞いたのだろう、千尋は空色の瞳を翳らせた。

「今が常世の国にとって大事な時だってわかってる。でも、アシュヴィンが倒れてしまったら、何の意味もないんだよ」

自身も中つ国を復興させることに忙しいであろうに、アシュヴィンを気遣う優しさにふっと笑みをこぼすと、その膝へと身を投げ出した。

「アシュヴィン?」
「――5分だけ膝を貸せ。愛しい后に泣かれたくはないからな」

そうして再び目を閉じると、柔らかく笑む気配がして、そっと髪が撫でられる。
女にこの身を預けるなど、一度としてなかったアシュヴィン。
その彼が膝を借りて眠る――それは何よりの信頼の証だった。
決してないだろうと思っていた、互いに想い、想われる結婚関係。
始まりは政略結婚だったが、今確かに二人は愛し合っていた。

「おやすみなさい。頑張り屋の旦那様」
千尋の呟きを子守唄に、アシュヴィンは優しい眠りへと身を委ねた。
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