岩戸森で初めて千尋に出会った時、無垢な様が可愛いなと思った。
そして阿蘇山のねぐらを訪ねてきた時。
諦めないと、凛と言い切るその姿がかっこよくて、思わず目を奪われた。
中つ国の王族なのにちっとも気取ったところがなく、誰とでも気軽に接する千尋。
向けられる笑顔は、太陽よりも眩くて。
風に揺れる黄金の髪は、思わず触れたくなるほど綺麗で。
まっすぐに見つめる空色の瞳は自分の心を見抜くように澄んでいて。
高鳴る鼓動に、サザキは一人焦っていた。
* *
「――サザキ?」
「うわっ! ひ、姫さん? いつの間にそこに……っ」
「今来たばかりだけど……何度も声かけたんだよ? 何か考え事?」
木にもたれかかってぼんやりと空を眺めていたサザキは、不意に目の前に現れた少女にがばりと身を起こした。
「い、いやっ……あー、その、そ、そう、だな」
「変なサザキ」
慌て動揺するサザキに、千尋はくすりと微笑むと隣りに腰かけた。
「いい風……。ここはサザキの特等席?」
「あ、ああ。なんなら姫さんの特等席にしてもいいぜ」
「ふふ。ありがとう」
素直に礼を言う千尋が面映くて、サザキは赤らんだ頬を隠すようにそっぽを向く。
「なんならもっといい場所に今度連れて行ってやろうか」
「ほんとう?」
「ああ」
「じゃあ、約束ね」
すっと差し出された小指に、サザキが目を瞠る。
「こうやって小指を絡めて……指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、っと」
「姫さん?」
「私が前にいた世界の約束のしかたなの」
千尋の説明に、サザキはふっと笑みを浮かべた。
「それじゃあきっちり守らなきゃな。なんせ破ったら針千本も飲まされるんだろ?」
「うん。約束だよ」
そう言って微笑む姿が愛しくて。
思わず抱き寄せたくなるのを、必死に堪える。
「危ねぇ危ねぇ……そりゃ反則だぜ、姫さん」
「え?」
不意打ちの笑顔に高鳴る鼓動を、サザキは必死に笑って誤魔化す。
いつの頃からか、千尋の姿から目を離せなくなっていた。
沸き起こる恋情に戸惑って。
だけど、いつでもその姿を見つめていたくて。
手に入れたいと、そう思った。
* *
「その声をそばで聞いていられるなら……俺は翼を失ってもかまわない」
千尋のそばにいられるなら――そう言って、日向の一族の命である翼を差し出そうとした。
そんな俺の行動に、千尋は信じられないというふうに目を見開く。
「……さぁ、やるならとっととやれよ」
「……………サザキ」
カリガネの制止に、笑って部下を託して文官に向き直る。
「姫、どうなさいますか? 部屋に戻られますか? それともここでご覧になりますか?」
平然と問う文官たちに、千尋がきゅっと唇を噛んだ。
(かー! こいつら、どうしてそんなことを聞きやがるんだ?)
無神経な文官の態度に怒りがこみ上げてくる。
こんなことを問われて、千尋が頷けるはずなどないだろう。
一言言ってやろうと口を開いた瞬間、かしゃん、と何かが落ちる音が聞こえた。
視線を向ければ、そこには千尋にやった異国の手纏。
「千尋……?」
「サザキ、カリガネ。ただちにこの橿原を去りなさい」
「――――!」
それは今までに聞いたことのない、固い声。
「日向の一族を連れ、この地を去るのです。そして、二度と橿原の地を踏むことは許しません!」
命じる声に、反して揺れる瞳。
「二度と、私の目の前に……現れることは……」
「もういい!」
これ以上そんな言葉を言わせたくなくて、千尋の言葉を遮る。
「……やめろ! 自分で言っていることが分かってるのか?」
「去りなさい! 今すぐに」
「………行くぞ」
震える声を必死に紡ぐ千尋に、カリガネがサザキを促す。
「千尋……」
これが千尋の本心ではないと分かっていた。
それでも、自分を守ろうと必死に翼を切ることを止める千尋の想いが痛くて。
追放してでも守ろうとするその想いが、今にもこぼれそうな涙を必死に堪える姿が切なくて。
ただ、飛び立つことしか出来なかった。
* *
「……尋………千尋っ」
呼びかけにハッと目を覚ました千尋を、サザキは心配そうに見下ろした。
「サザ……キ……?」
「どうした? ずいぶんうなされてたみてえだが……」
そっと目元を拭うと、寝ながら泣いていたことに気づく。
身を起こし、恐る恐る手を伸ばす。
伝わるぬくもり。鼓動。
それらを確かめるように、今そばにいるのだと確認するように触れる指先。
「千尋?」
「……サザキは………る……ね」
「?」
小さな呟きが聞き取れずに問い返そうとした瞬間、千尋が胸の中へと飛び込んできた。
「ひ、姫さんっ?」
「……いるよね。サザキはそばに……私のそばにいるよね」
存在を確認するように繰り返す言葉は震えていて。
サザキは驚き、腕の中の少女を見た。
「どうした姫さん?」
「……夢を……見たの」
「夢?」
「橿原宮を取り戻した頃の夢……」
それはサザキの大胆な策で、橿原宮を常世の国から奪還した頃のこと。
歓喜に沸きかえる中で、官人達は次第にサザキら日向一族を疎むようになっていった。
それは古くから中つ国の人々がもつ歪んだ選民意識で。
あらぬ疑いをかけて疎み、ついには詮議の場を設けて臣従の証に翼を切ることを要求するものまで現れた。
自分たちに向けられる目がどういったものかを重々知っていたサザキは、千尋のそばにいるために迷うことなく翼を切ろうとした。
だが、そんなことをさせたくないと、ありのままのサザキでいて欲しいと望んだ千尋は、自分の心を殺して日向一族を橿原から追放した。
彼らを……サザキを守るために。
その時の悲しみが夢に現れたのだろう、肩を震わせ涙する千尋をサザキは掻き抱いた。
あの時の決断がどれほど彼女の心を苦しめていたのか、傷を与えていたのかを今更ながらに知り、唇を噛みしめる。
悲しそうに揺れる瞳をした千尋の姿は、今もサザキの胸に焼きついていた。
こうして時がすぎてもなお、あの忌まわしい出来事は彼女を傷つけていた。
「俺は姫さんの傍にいつだっている。もう絶対放しはしない」
抱き寄せて、胸の中の千尋に誓うと、小さく返る頷き。
「うん。ずっと傍にいて……っ」
「放すもんか。海賊は一度手に入れた宝物は絶対手放さねえんだ」
「うん」
宥めるように何度も何度も柔らかな陽光の髪を撫でて。
大きな翼を広げて、守るように包み込む。
何よりも愛しくて大切な、かけがえのない存在。
失えない宝物をその手に掻き抱いて。
「――ようやくお頭も観念したか?」
「ああ。橿原宮からわざわざ奪ってきたって言うのに、いつまでも姫さんに手出さないから、もしや不能なのかと疑っちまったぜ」
「お頭は女には奥手だからなぁ」
「そこでガバッと……」
ドアの隙間から覗き込んでいたサザキの部下達は、背後の気配にぞくりと粟立った。
「……何をしている」
「げ! カリガネ!」
「……………」
「い、いや、別に俺たちは覗いてたわけじゃ…」
「……………」
「悪かったよ! 行けばいいんだろ」
無言で睨むカリガネに、バツが悪そうにサザキの部下達が飛び去っていく。
「……やっとまとまったようだな」
ドアのほうを見て口元を綻ばすと、踵を返し立ち去る。
千尋がサザキに連れられ、日向の一族の元へやってきて一ヶ月。
海賊に攫われた姫は、この日ようやく海賊の妻となったのだった。