獣姫の選択

知望3

「ねえ、望美。本当に連れていくつもりなの?」
「うん。そのために戻ってきたんだし」
でも……と顔を曇らせる朔に、望美は困ったように微笑む。

知盛が生きる運命を掴み取ったあの日、源氏と平家の和議の席で起こった騒動で、望美は八葉や朔・白龍と自分の世界に戻った。
望美の中に根を張り、五行を喰らい再び蘇ろうとしていた茶吉尼天を倒し、今度こそ本当に全てに決着をつけた望美は、知盛ともう一度話をするために元の世界に戻る仲間たちと一緒に再び時空を超えた。

しかし和議が成立すれば、それで終わりではない。
源氏と平家の争いは棟梁同士の合意を得たことで止まったが、都を追われた平家のこれからの処遇など決めることは山積みだった。
特に知盛は清盛の息子の中でも、これからの平家を担っていくと一番期待されているもの。
茶吉尼天によって棟梁を失った今、最も必要とされている存在だった。
けれど――。

「私は生きてる知盛の傍に……誰よりも近いところにいたい。これは譲れない」
「望美……」

平家にとってどんなに大事な人であっても。
知盛に大切な家族がいたとしても。
それでも、望美にとって知盛は……幾多の運命の先に見出した唯一の人なのだ。

「姫君にそこまで言わせるなんて妬けるねぇ」
「ヒノエくん」
「奴の何がそんなにお前を惹きつけるんだい?」
ヒノエに問われ一瞬考えるも、答えは一つしかない。

「存在すべて、かな」
「……ものすごい殺し文句だね」
ヒュ~と口笛を吹くヒノエを、朔がたしなめるように睨んだ。

「ヒノエ。それ以上朔殿の機嫌を損ねないでください」

「弁慶さん? 話し合いはもう終わったんですか?」

「九郎と景時はまだ残っていますが、大体はまとまったので抜けてきました」

「どうせまた景時に押し付けてきたんだろ? それに、別に俺は朔ちゃんを不快にさせてるつもりはないぜ。原因はあいつだろ」

「……望美が決めたことなら本当は喜んであげなくちゃいけないんでしょうけど……」

弁慶とヒノエのやり取りに、朔は何度目かわからないため息をつく。

「……朔はやっぱり反対?」

「……そうね。女人を朝まで引っ張り回すような殿方では……」

「あれは、本当に私が知盛を引きと……」

「あなたが引き留めたのだとしても、良識ある行動とはいえないわ」

和議の日の朝も同じことを口にして顔をしかめていた朔は、どうしても納得がいかないらしい。

「そんなにあいつが気に入ったんなら、姫君がこっちに残るっていうのもありなんじゃない?」
「……それはダメ」
「どうしてですか?」

あまりの即答に弁慶が不思議そうに問うと、望美はわずかに頬を染めていいにくそうに答えた。

「……だって、この世界は一夫多妻制でしょ」

そう。望美の世界、というより国では多妻制度は認められていないが、この時代では一人の男が何人もの妻を娶るのは当然だった。
特に身分あるものは家の繁栄にも繋がるため、より良い後見を持つ女人を娶ることが出世に繋がりもするのだ。

「つまり姫君は、知盛が自分の他にも娶るのが嫌ってことかい?」

わがままだとはわかっている。
この世界では異端な考えであり、理解されないこともわかっている。
それでも、知盛の瞳が他の女性を映すところなど見たくはなかった。

「ねえ、望美。お前はこの世界に残ることは嫌じゃないのかい?」

「え? あ、うん。朔やみんなもいるし……」

「だったら簡単だよ。俺を選べばいい」

「え?」

「俺ならお前をそんなふうに悩ませることもないからね。ね、俺にしなよ」

「君も、次代の平家を担う知盛殿も変わりはないでしょう。それ以前にヒノエが一人の女人と添い遂げるなどありえませんからね」

「なに人のことを勝手に決めつけてんだよ」

「おや? 今までの遍歴をみれば当然だと思いますよ」
にこっと黒い微笑みを浮かべる弁慶に、ヒノエはチッと舌打った。

「神子、将臣殿が帰ってきた」
「あ、おかえり……って知盛?」
「おう。一緒だったからそのまま連れてきたぜ」
「……俺が来ては何か不都合なことでもおありか?」
「そんなことはないけど……」

なんだかんだと忙しなく、和議の日から久しぶりに顔を合わせた知盛に、望美は鼓動が早まるのを感じた。

「やはりここにいたな、弁慶!」
「ああ、九郎。お疲れ様」
「お疲れ様じゃないよ。言うことだけ言ってさっさと一人だけ抜けるんだもん」

大変だったんだよ~? と肩をすくめる景時に、弁慶は飄々と微笑む。

「望美、お茶を淹れるのを手伝ってくれるかしら?」
「あ、うん」
「俺も手伝います」
立ち上がる朔に望美がつき従おうとした瞬間、ぐいっと腕が引かれ知盛の腕の中へと転がり落ちた。

「わっ!」
「先輩!」
「……俺を放ってどこに行くつもりだ?」
「どこって、お茶を淹れに行くだけだよ」
「お前が構うべきはこいつらではなく……俺だろ?」
「知盛殿……」
「知盛殿、望美をお放しください」
「それを俺が聞く必要があるのか……?」
知盛の応対にムッと眉をひそめた朔に、望美は慌てて二人の間に入った。

「知盛! お茶淹れたらすぐ戻るから!
さ、朔、行こう!」
「………チッ」
「………ええ」
不満げに手を放した知盛に、望美は朔と譲と共に勝手場へと消えていった。

「面倒事を起こすなよ? ……ったく」
「……ふん」
肩をすくめる将臣に、知盛は縁側の近くに陣取り腰を下ろした。

「知盛殿は望美さんを正妻として娶るつもりですか?」

「弁慶、いきなり何を……」

「俺たちの大事な姫君のことだ。確認するのは当然だろ」

一気に集まる視線に、しかし知盛はうるさげに眉を寄せただけで何も答えない。

「知盛殿と言えば清盛殿のご子息の中でも次期平家を担うと一番期待されている存在……なんの後見もない、ましてや源氏の神子と呼ばれていた
彼女を正妻にすることに反対するものも多いのでしょう?」

「……ふん。落ちぶれた今の平家に後見も何も必要あるまい?」

「そうかい? 院の許しを得て、京に戻るって話なんだろ?」

淡々と事実を並べたてていく朱雀の二人に、敦盛は困ったように将臣を見上げた。

「あ~それなんだけどな……」
「……望美?」

将臣が口を開こうとした瞬間、バタバタと廊下を駆けていく音に続き朔の驚いた声。
景時が廊下を覗きこむと、お茶が傍近くに置かれていた。

「兄上? 望美に何か言ったのですか?」
「いや、俺は何も言ってないよ~?
でも……うーん……たぶん聞いちゃったんだろうね」

先程のやり取りを思い出し困ったように笑う景時に、朔はキッと中の面々を睨みつけた。

「……望美を傷つける方はどなたであろうと許しませんよ」
「ええ、そうですね」
朔に同意を示しながら知盛を見つめる弁慶に、無言で立ち上がり出口へ向かう。

「俺たちの大事な姫君をかっさらうつもりなら、それなりの覚悟をしてもらわなくちゃね。
お前は俺たちを納得させられるのかい?」

「お前たちの許しを請う必要などあるまい……? あいつが俺を選んだのだからな……」

大切な神子……それ以上の想いを抱く男たちに、知盛はふっと微笑むと望美が駆けていった方へと歩いて行った。

 * *

門番から外に出たことを確認すると、知盛はとある場所へと足を向けた。
はたして、その予想は外れることはなく、望美は一人木にもたれ俯いていた。

「……こんなところで何をしている」
「……考えごと」
知盛の問いかけに、望美は顔を上げずに端的に答えた。

「……向こうにいる間もずっと考えてた」

本来ならば出会うこともなかった人だった。
始めの時空では容赦なく火を放ち、仲間を死に追いやった憎い相手だった。
何度も敵として立ちふさがって、その度に死んでいってしまった人だった。
だけど幾度となく対峙する中、特に熊野で今までとは違う一面に触れてから、知盛という人間を見つめるようになっていった。

「ねえ、知盛。私、あなたと出会って自分がすごく欲深い人間だってわかったんだ」

なにを……と目を細める知盛に微笑んで、もたれていた木から身を起こす。

「平家にとって……この世界にあなたが必要でも……私はあなたが欲しい」

神子だとか関係なく、ただ春日望美として知盛が欲しい。
その想いを瞳に宿し見つめると、クッと唇をつりあげた知盛が望美を引き寄せた。

「……もっとだ」
「え?」
「もっと……俺を求めろ」
清らかな神子。優しい神子。
八葉に慕われ、愛されている神子の隠された……自分にだけ向けられた一面。
知盛を求め、貪欲に欲する……獣の瞳。

「お前のそのまなざしが俺を虜にする限り――俺は……お前のものだ」

頤を持ち上げると、ゆっくり顔を傾け唇を重ね合わせた。
離れる瞬間にぺろりと唇を舐めると、びくりと華奢な肩が震える。

「それで……お前はどうしたい……?」
「……私の世界に一緒に来て」
知盛にとっては未知なる世界。
それでも、傍にいて欲しいから。

「……いいだろう。この世界にはもう俺を満たすものはないからな……」

和議が成され、戦は終わった。 将臣の案を皆が受け入れれば……もう、知盛が望む命のやりとりはなくなるだろう。

「………いいの?」
「クッ……お前が望んだことだろう?」
「それは……そうなんだけど……」

誰よりも求めながらも、知盛の立場を気にして惑う様に笑いがこみ上げる。
獣と幼子を共に宿す不思議な神子。
そんな望美に興味が尽きない。

「お前は俺を飽きさせないだろう……?」

「えーと……私の世界は剣で斬り合うのは無理だからね」

「クッ……神子殿は俺をどのようにみているのやら……」

くるくると表情のかわる望美に肩を揺らして、紫苑の髪を一房手に取る。
今まで知盛の心を捕えた女はいない。
そう……知盛にとってもまた初めての想い。

「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな」
「え? なに? 歌?」

突然くちずさんだ和歌に望美がきょとんと瞳を瞬くと、知盛はツ……と唇をつりあげた。

「今度は……帰すつもりはない」

突然目の前から消え、夢うつつの世界で一時の逢瀬を交わした。
けれどもう、夢にするつもりはない。
望美は再び知盛の目の前に現れたのだから。

「……行くぞ」
「どこへ?」
「クッ……神子殿は鳥より劣るのか?
……行くんだろう? お前の世界とやらに……」

手を差し伸べると、一瞬見開かれた瞳に光が宿る。
そうして確かに重ねられた掌を握りしめ、知盛は時空を超えた。
新たな運命を紡ぐために――。


 【異世界の仲間たちのその後】

「……は? 姫君が自分の世界に戻ったって?」
「うん」
驚く八葉と朔に、二人を送り届けた龍神はきょとんと頷いた。

「おいおい……あいつら、俺らのことすっかり忘れてやがるな」

「……白龍、俺たちを元の世界に戻せるか?」

「うん、できるよ」

肯定にホッと胸をなでおろす有川兄弟の後ろで、残りの八葉がため息をつく。

「あいつは……挨拶もないのか!」
「まあ、姫君らしいんじゃない?」
「ふふ、そうですね。少し残念ですが…」
「それが神子の選択ならば」
「……そうですね」
「知盛殿もついていっちゃったんでしょ? じゃあ、将臣くんにはもう少し残って後処理してもらわなくちゃね~」
「おいおいおいおい……マジかよ……」

呆れ半分、ため息半分の八葉に、朔は一人空を見上げる。

「望美ったら……」
寂しくないと言ったら嘘になるが、それでも望美との絆は切れることはないと信じられるから。

「幸せになって」
想いを言霊にして、愛しい人と飛び立った対に言祝ぎを贈った。
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