名前の付けられない感情

知望4

キスはした。
知盛が欲しいとも思う。
でも、好きかと聞かれたら即座に頷けないのはどうしてだろう?

「相手が欲しいと思うのは……好きってことなのかな」

「きわどい発言だな。普通のやつが聞いたら誤解されるぞ」

「将臣くんだからいいでしょ」

部屋にやってきたと思ったら投げかけられた質問に、将臣は苦笑を浮かべる。
普通、相手が欲しいなどと言ったらそれは性的な意味でのものだが、望美と知盛に関しては言葉そのままの意味だった。

平知盛。
将臣があの世界で世話になっていた平家一門の者で、一癖も二癖もある男。
そんな知盛と望美が知り合ったのは和議の前夜。
森で会って意気投合したと言うが、知盛がそんな気安い者でないことを知っている将臣は、しかし深く追求することはなかった。
言ったところで知盛が素直に答えるはずもないし、望美もまた曖昧に濁すばかりだったからだ。

「別に好きかどうかなんてお前が決めることだろ?」
「そう……なんだけど……」
関係に名前をつける必要があるのかと言外に問えば、口ごもる望美。

「大方、クラスの奴らにでも聞かれたんだろ?」
「将臣くん、よくわかったね」
「まあな」
長年、幼馴染として傍にいたからか、望美の考えることは大抵理解できた。

「あいつもお前も、動物的なところがあるからな。別にそのままでもいいんじゃねえか?」

「動物的って何よ」

「利害とか頭で考えるんじゃなく欲求に素直なとこ」

確かに望美が知盛を求めるのは彼の傍にいたいからで、そこに理由があってのことではなかった。

「……知盛はどうしてこの世界に来たのかな?」

彼の望む戦はこの国ではないもので、それは知盛自身理解したうえで時空を渡っていた。

『来いよ。俺を……手に入れたいんだろう?』

剣でその身を縛った望美に、知盛は動かぬ身体でそう彼女を促した。
欲しいなら手を伸ばせ。自分はここにいる、と。

「あいつも同じだろ」
「同じって?」
「だから、お前がいるからだろ」
「私が……いるから」

いつもどこか餓えていた知盛。
誰よりも好戦的で死を恐れない様は、斜陽の一門であることを知っていたからだろう。
そんな知盛が望美に何を見出したのかはわからないが、欲したからこそこの世界に来たのは確かだった。

「それよりあいつを放っておいていいのか?
お前が行かねえと一日中だらだらしてるぞ」

「あ! お昼に行くって言ってたんだった!」

時計を見て慌てて立ち上がった望美に手をひらひらと振ると、お邪魔しましたと部屋を飛び出していく姿に苦笑する。

「あいつが他の女と結婚するのが嫌だって思う時点で好きなんだと思うけどな」

茶吉尼天を倒した後、わざわざあの世界に戻ってまで知盛をこの世界に連れてきたのだ。
その行動がすでに答えなのだと思うが、それは望美自身が決めればいいことだと、将臣は珍客乱入で中断していたゲームを再び手に取った。

* *

「……遅い」
けだるげにソファに身を預けている知盛に、望美は持ってきた荷物をテーブルに置くと、呆れたように眉をあげる。

「また鍵開けっ放しだったじゃない。この世界では閉めないとダメだって教えたでしょう?」

「不逞の輩でも…来れば退屈しなくていい……」

「あのね……。相手が銃を持ってたらどうするの? 今は剣が持てないんだから、いくら腕に自信があっても無謀だよ」

「クッ……その時はその時だ」

「物騒なこと言わない」

なまじ虚勢ではないことを知っているから、望美はため息をつくと料理を詰めた容器をテーブルに並べていく。
貴族だった知盛に当然自炊など出来るはずもなく、そんな彼に見合った環境を白龍は与えてくれていたが、家政婦が用意した食事を温め直すことさえ面倒がるので、望美は時間を見つけてはこうして足繁く知盛の元を訪れていた。

「今日はおでんだよ。昨日から煮込んであるから、味が染みてて美味しいんだから」
「神子殿の母君手製のな」
「うっ。野菜は一緒に切ったんだよ!」
「斬るのは得手だろう」
「刀と包丁を同列にしないで」

頬を膨らませつつ米をといで炊飯器にセットすると、炊き上がるまでとお茶を淹れて、知盛の傍に座る。

「珈琲でいいんでしょ?」
「酒でもかまわないが……」
「私はかまう」
「クッ……つれないことだ」

素直にありがとうで進まない会話にもずいぶん慣れたと感心しながら珈琲を手渡すと、望美は隣りに座る男を見た。

好き。その言葉に素直に頷けないのは、二人の間にある空気がまったくと言っていいほど甘くないからだろう。
知盛から愛を囁かれたこともないし、望美も好きだと言ったことがない。
けれども、知盛が他の人と結婚するのは嫌だし、自分以外の存在が彼と共に在るのも嫌だと思っているこの感情の正体は?

(私は知盛のこと、どう思ってるのかな?)

異性に対して好きだという恋愛感情を今まで望美は持ったことがなかった。
だから、今知盛に抱く欲が恋愛感情なのかわからない。

(知盛はどう思ってるんだろう?)
知盛にとって望美は和議の前夜に初めて会った存在でしかない。
なのに、どうして望美の求めに応じてこの世界に来てくれたのか、傍にいるのかわからなかった。

「何か俺に聞きたいことでもおありか……?」

「……知盛はどうしてこの世界に来てくれたの?」

「何を問うかと思えば……望んだのはお前だろう?」

「そうだけど……どうしてかなって」

知盛に共に来て欲しいと望んだのは、確かに望美だった。
けれども、見知らぬ世界に来ることを拒むことだってできたはず。
なのに知盛は共に来た……その理由が知りたかった。

「俺はお前のもの……なのだろう? お前がこの世界に来ると言うなら、俺が付き合うのも当然だと思うが……?」

「確かにあなたが欲しいって言ったけど、それだけで決めてしまってよかったの?」

知盛は平家一門を担う存在として期待されていた人だった。

「クッ……お優しい神子殿は一門の行方を気になさっておいでか……? 還内府殿の計らいで京を離れ、安住の地を得たんだ。重衡や忠度殿がいれば十分だろう…」

「でも……」

「それとも、神子殿に俺は不要だと……?」

「そんなこと言ってない!」

ムッと言い返せば手首を取られ、間近に顔が寄せられる。

「回りくどい言い方などせずに乞えばいい。
俺の熱を、声を……望んだのだろう?」

手首に口づけながら見遣る視線にぞくりと身を震わせると、そうだねと頷いた。
触れたいし、声を聴きたい。
触れてその熱を感じて、その存在をすべてで感じたい。
この欲求が恋だと言うならそうなのだろう。
知盛の、すべてが欲しいのだから。
 
「神子殿は煽るのがお上手だ……」

「だって私が手を伸ばさなかったら、知盛は振り向いてくれなかったでしょう?」

「まあな……」

兵の口の端に、源氏の総大将・九郎義経が龍神の神子を連れていることは聞いていた。
一太刀にして怨霊を薙ぎ、舞うように斬る……と。
だが、噂とは話が大きくなりがちなもの。
だから過大に評価はしていなかったが、実際に望美と対峙して、その話が間違いでなかったことを知った。
清らかで優しい神子の衣を脱ぎ捨て、ただ一心に知盛を求め剣を振るう女。
それは獣のように純粋で……貪欲で、知盛の心を捕らえる美しさだった。
自分と同類だと、瞬時に悟った。
もっと望美を知りたいと、欲がもたげた。
もっと、もっと――。

「ちょ……っ、知盛! どこ触ってるのよ!」

「無粋なことを……煽ったのはお前…だろう?」

「違うから! こういうことじゃないから! ……あ! ご飯炊けたよ!!」

身体のラインをなぞるように手を滑らせると、慌てた望美が知盛を押しのけ、キッチンに逃げ出す。
その子どもじみた態度に興を削がれると、それ以上追うことなくソファへ座り直す。
神子の顔、将臣の幼馴染の顔……そして知盛を求める女の顔。
彼が知る顔の他にもまだ隠し持っているものがあるのなら。

「それも一興……か」

好きだの、愛してるだの、言葉を重ねるより、確かなものは互いに抱く欲。
身体だけじゃない、心だけでもない――相手のすべてを欲する。
その欲求こそが何より想いの証なのだと、いつ望美は気づくのか?

相手のすべてを欲する思い。その相手が異性ならば恋情と名がつく思い。
可愛らしい少女のあどけない顔に隠れた、知盛のすべてを望む貪欲さにこそ惹きつけられているのだとわからない望美に、だが丁寧に教えてやるつもりはなく、知盛は腰を上げるとテーブルに食事を並べ呼ぶ彼女の元へと歩いて行った。
20170330
Index Menu ←Back Next→