渡殿を歩いていた将臣は、不意に立ち止まると天を仰いだ。
「どうかされましたか?」
「いや。月が綺麗だと思ってな」
「ああ、ちょうど重陽の節会の頃でしたね」
「重陽の節会?」
「ええ。宮中行事の一つで、中秋の名月を愛でる宴です」
「……それって十五夜のことか?」
「そうですね。還内府殿の世界でもある行事なのですか?」
「こっちの世界みたいに宴をやるわけじゃねえけどな」
笑って、再び月を見上げる。
雲ひとつない夜空に煌々と浮かぶ満月。
その月と同じ名を持つ、少女が胸によぎる。
「……み……」
「? 何か仰られましたか?」
「いや。なんでもない」
振り返った経正に、緩く首を振って分かれると、自分の部屋へと歩いていく。
一人、この世界にやってきて三年。
見知らぬ自分を受け入れてくれた平家を生き延びさせようと、ただひたすらに走ってきた。
あの日、時空の狭間ではぐれてしまった譲と望美の行方を気にかけながら、必死に己を奮い立たせてきた。
「――ずいぶん遠くに来ちまったよな」
始めこそ信じられなかったが、今自分がいるのは平安末期。
源氏と平家が争う戦の世だった。
「この世界にいないならそれでいい」
望美たちが戦に巻き込まれるより、もう二度と会えないのだとしても、安全なあの世界にいてくれる方がいいと思う。
それでも。こうして月に思い描いてしまうのは、胸に秘め続けた想い故なのだろう。
「望美……」
つきりと胸が痛む、その名。
その日遅くまで、将臣は一人月を見つめ続けた。