近くて遠い

将望6

鞄を取りに教室に戻った望美は、将臣の姿を見つけて驚いた。

「将臣くん。帰ったんじゃなかったの?」
「あぁ、ちょっと用事があってな。もういいんなら一緒に帰ろうぜ」
「うん」
促され、二人で並んで校舎を出る。

「お前、一之瀬先輩とやらとはどうしたんだ? OKしたのか?」
駅までの道すがら、さっき断ってきたばかりの出来事を聞かれ、望美は驚きながらも首を振る。

「ううん。さっき断ってきた」
「なんだよ。付き合うって言ってなかったか?」
「やっぱり良く知らない人と付き合うのはどうかな~って思ってね」
望美の返答にホッとしつつも、少し後味が悪く、将臣は鼻の頭をかきながら尋ねた。

「その、俺がこの前言ったこと気にしてか?」

「将臣くんのせいじゃないよ。確かに人気があるからって理由で付き合おうとしたのはちょっと軽率だったし、それに……」

一度言葉を区切ると、望美は前を見据えながら続ける。

「私、まだ本気で恋をしたことってないんだ。
だから、先輩の真剣な想いを軽々しく受け止めちゃいけないと思ったの」

「……」

「将臣くんには感謝してるよ。軽率な行動を諫めてくれてありがとう」

微笑まれて、将臣は複雑な気持ちになる。
この前望美から告白されたと聞き、止めたのは己自身の望美に対する想いからだった。
感情的になったことに後悔こそすれ、感謝されることではなかった。

「……俺は感謝されるようなことはしてねーよ」
「そんなことないよ」
にっこり微笑む望美から視線をそらしてしまう。
そのまま黙りこんでしまった将臣を不審に思いながらも、何となく声をかけられずに家に着いた。

「じゃあ、またね」
「あ、あぁ。じゃあな」

望美の声に我に返ると、将臣はぎこちなく手をあげ、玄関をくぐる。
制服を脱ぎすて、ラフなトレーナーとジーンズに着替えると、コンポで音楽を流しながらベッドに横たわる。
望美が交際を断ったことには安堵したが――。

「まだ本気で恋をしたことがない……か」

望美の言葉が頭を駆け巡る。
幼馴染の望美を異性と意識するようになってから大分たっていたのだが、望美は相変わらず幼馴染としてしか自分を見ていないことに動揺を隠せない。
恋を知らないということは、他の男はおろか、自分さえも恋愛対象にはなっていないということだった。

「へこむな……」

わかっていたとはいえ、再認識させられるとさすがに堪えた。
家が隣同士で、小さい頃からずっと共にいた少女。
気の合う遊び友達から、恋愛対象となったのはいつだったのか、もう覚えていない。
しかし、将臣にとって望美はただの幼馴染ではなくなっていた。
報われぬ想いにしれずため息をつくと、窓を叩く音が聞こえてくる。
気だるげに窓を開けると、そこにいたのは彼の頭を悩ませている張本人。

「ちょっとお邪魔してもいい?」
「え? あ、おい」
将臣の返事を待たずに窓を乗り越えてくる望美に、将臣は渋々部屋に招き入れる。

「はい、おやつ。将臣くん、これ好きでしょ?」

「お前、よく覚えてたな」

「だって将臣くん、コンビニに行くと必ずそれ買ってたじゃない」

「サンキュ」

袋を開けると、口に放る。
菓子と一緒に手渡されたコーラを飲むと、胸につかえていたもやもやが少し流れた気がした。

「将臣くん、帰りずっと何を考えてたの?」
望美の問いに、コーラをふきこぼしそうになる。

「なにって……」

「ずっと考え込んで……私、何か気に障ることでも言った?」

「お前のせいじゃねーよ。ちょっと考え事してただけだ。気にすんな」

「……うん」

誤魔化すように頭を撫でると、望美は納得しかねながらも“聞かないで欲しい”という空気を感じて、尋ねる言葉を飲み込む。

「私、やっぱり将臣くんと一緒にいるのが一番落ち着くな」

「なんだよ、急に」

「今まで男とか女とか気にしたことなかったけど、女として人から見られてるんだな~と思ってさ」

望美の言葉に再度口ごもる。 将臣だって望美を女として意識している男の一人なのである。

「なんでこのままじゃいけないのかな? 私は私なのに」

「お前、ピーターパン症候群かよ」

「ピーターパン症候群?」

「大人になりたくない子供の事。お前、男に女として見られるのが嫌なのか?」

「別にそうじゃないけど。女だからとかじゃなくて、私という人間を見て欲しいっていうか」

高校生になってからも変わらぬ純粋さに、将臣は苦笑を洩らす。

「別にただ女だから好きってわけじゃねーだろ? お前だから好きなんだと思うぜ」
「将臣くんは私の事、どう思う?」
「なんで俺に聞くんだよ?」
「何となく」
まっすぐに見つめられて、将臣が困ったように頭をかく。

「俺はお前が好き、だぜ」
「私も将臣くんの事、大好きだよ」
無邪気な返事にため息がこぼれる。

「……こんだけ育ってりゃ、女以外のなにもんでもないだろ」
「え? 将臣くんのえっち!」
胸にそそがれた視線に、望美が顔を赤らめながら腕で身体を隠す。

「好きなんて気持ちは意識してするもんじゃねーだろ。お前も自然にわかるんじゃねーか?」
「将臣くんは誰かを好きになったことあるの?」
核心を突く質問に、将臣が苦笑する。

「だから俺はいいって」
「何で誤魔化すの?」
ふてくされる望美に、曖昧な笑みを浮かべる。
譲への気兼ねもあって、将臣自身も望美との関係をどうしたいか決めかねていた。

「あ、そうだ。この前……」
「この前?」
「……ううん。何でもない」
「なんだよ。へんなやつ」

将臣にこの前の行動の意味を問おうとして、やっぱりやめてしまう。
ずっと引っかかっている胸のもやもや。
だけど、それは聞いてはいけないことのように望美には思えた。
目の前にいるのに抱き寄せることもできない。
近いようで遠い二人の距離。
将臣は目の前に引かれた見えない境界線に、そっと瞳を細めた。
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