「……り…わさん。……有川さん!」
「は、はい!」
肩を叩かれ、大慌てで振り返る。
『春日望美』から『有川望美』になって一ヶ月あまり。
いまだに呼ばれなれず、こうして気づかないことがしばしばあった。
(私、本当に将臣くんと結婚したんだよね……)
幼馴染である将臣と交際を始めて数年後、二人は鶴岡八幡宮で結婚式を挙げた。
ずっと隣りにいることが当たり前だった存在がある日突然失われ、どんなに大切な……特別な存在だったかを、望美はあの世界で知ったのだ。
「今日は久しぶりに定時であがれたし、ちゃんと作ろうかな」
時計を眺め呟くと、近所のスーパーへと足を延ばす。
結婚してからも仕事を続けていたため、朝以外はほとんど外で食べていた。
「今日こそは美味しいって言わせてやるんだから!」
料理上手な弟で舌が肥えている将臣を納得させるのは難しく、今日こそはと材料を買い込み、意気込んで家へと帰る――と。
「あれ?」
灯された明かりにドアを開けると、ひょいっと顔を覗かせたのは夫である将臣。
「よ。今日は早いな」
「将臣くんこそ。……いいにおい。カレー?」
「急に食いたくなってな」
辺りに漂うスパイスの香りに、ぐうっとお腹が鳴る。
「ほら、着替えて来いよ」
「う、うん」
恥ずかしそうに頷くと、室内着に着替えて再びリビングへ。
テーブルの上に並べられたカレーライスとサラダに、顔を輝かせた。
「わぁ! シーフードカレーだ」
「ん? お前も買い物してきたのか?」
「あ、うん。早くあがれたから、久しぶりにちゃんと作ろうと思って」
「この材料からすると……肉じゃがか?」
「うん。でも今日は将臣くんのカレーを頂きます。……うん、美味しい!」
ひと匙すくって口に入れると、へにゃりと相好を崩す。
そんな望美の頭を、くしゃりと撫でた。
「悪かったな。明日楽しみにしてる」
「明日も早く帰れそうなの?」
「ああ。お前は?」
「そうだなあ。今は仕事も特に忙しくないから、大丈夫かな」
「じゃあ、明日は肉じゃがだな」
「頑張ります!」
「煮込みすぎてシチューに変更とかするなよ? しらたき入りのシチューはゴメンだからな」
「そんなこと言うと、上手に出来ても将臣くんには食べさせてあげないからね!」
茶化す将臣に、頬を膨らませる。
切るのは上手だが、肝心の味つけがいまいちな望美の料理。
そのことは本人も良くわかっているので、不貞腐れてそっぽを向いた。
「怒るなよ。……楽しみにしてるよ」
「う、うん」
口の端についていたカレーを指で拭われ、頬が赤らむ。
昔もこうしたことはあったはずなのに、妙に気恥ずかしくて目を泳がせる。
ふとした瞬間に結婚したことを実感して、照れくさくなってしまうのだ。
「お前な……このぐらいで照れてどうするんだよ」
「だ、だって、何か照れくさいんだもん」
幼馴染だった頃とちっとも態度の変わらない将臣。
自分だけが意識しているようで、何やら悔しく思っていると、ひょいっとカレーから海老が奪われた。
「ああ!」
「食わずにぼおっとしてるからだよ」
「お返し!」
「お前っ、一番大きいやつを……っ」
「うん、ぷりぷりしてて美味しい」
満足げに将臣の皿から奪った海老をほおばる望美に、ふっと微笑む。
「――後はデザートだな」
「え? デザートまであるの?」
ぱあっと顔を輝かせる望美に、にやりと笑うと抱き上げて。
「ちょっ……! え? ……まさか……」
「想像通り」
浮かんだ予想を肯定され、暴れる望美を寝室へと運んでいく。
望美は自分だけが意識していると思っているようだが、それは違っていた。
将臣もまた、進んだ二人の関係を意識していたのである。
「このぐらいで恥ずかしがらないようにしてやらねえとな」
「それ、意味違うから!」
望美の抵抗も空しく、華奢な身体はベッドに沈み。
あとはただ、甘い一時が二人を包んだ。