遠い日々に居た人

将望38

「……何度も思った、願った……これが……俺の勘違いで終わるようにってな。……だけど……来ちまったんだな」

苦しくて。
突きつけられた現実が、あまりにも苦しくて。
望美は唇を噛みしめ、後ろ姿を見つめていた。
そこにいるのは、ずっと捜し求めていた幼馴染。
誰より近い存在の将臣だった。

『どうしてこんなことになってしまったの?』

問うても仕方のないことだと、そう分かっているのに、思わずにはいられなかった。
いつも隣りにいるのが当たり前だった将臣。
それが突然失われたのが半年前。
そうして再び出会えた2人を隔てたのは、源氏と平家という相容れない壁だった。
将臣と敵対する――そんな運命を変えたくて、逆鱗の力で時空を遡った。

『平家に帰らないで』

そう言うために、将臣のいる吉野の時空に帰って来た。
だけど将臣の平家への想いを知って、平家の人を見捨ててなんて言い出せなかった。
大切な人を守りたい……それは自分の力が足りなくて、皆を炎の中で失い、たった一人生き残った時に持った願いと同じ。
大切な人を守りたい……助けたい……その気持ちは同じだから。

知っている未来を口にせずにいれば、将臣とは戦わないですむかもしれない。
けれども、それではまたあの結末を迎えてしまう。
自らを犠牲にして皆を生き延びさせてくれた先生。
炎に包まれ、逆鱗を託して消えた白龍。
皆を失うあの結末。

――そんなこと、出来なかった。
将臣にとって平家の人が大切なように、望美もまた、源氏のみんなは大切な仲間で、負けるのを……酷い目にあうのを見ているだけなんて出来なかったから。
だから、決断した。
一ノ谷に来れば将臣と対峙するのだと、そうわかっていながら来たのだ。
なのに、相対するとどうしようもなく心が揺れた。

――こんなの嫌だよ……ッ!
そう叫んで、逃げ出してしまいたかった。
切り結んだ剣の重みから伝わる将臣の覚悟。
こうして自分と剣を合わせようとも、決めたことを成し遂げるのだという強い意志。
それはわかっていたはずなのに、望美自身決断したことのはずなのに、きりきりと胸が締めつけられた。
一瞬の隙――当身を受け弾き飛ばされた身体。
起き上がった時には、将臣はもう駆け去るところだった。
そんな彼を追う気力は残っていなくて、望美はただ見送ることしか出来なかった。

ねえ? 私たち、もう昔のように共に寄り添うことは出来ないの?
こんなふうに敵対して、斬り合って。
そんなふうにしか会うことは出来ないの?
大切だって……幼馴染なんかじゃない、もっと大切な、かけがえのない人なんだってわかったのに。
将臣くんが大好きなんだって……そうわかったのに――。

* *

「望美?」
不意の呼びかけに、望美は弾かれたように顔を上げた。
そこにいたのは、今想いを馳せていた幼馴染。

「どうした? 顔色、真っ青だぞ」
「……ううん。なんでもない」

力なく笑うと、意識を現在に切り替える。
ここは、現代鎌倉。
将臣と敵対していた異世界ではなく、望美たちが生まれ育った世界だった。

一度は決別した将臣。
それでも、どうしても想いを殺せなくて、逆鱗を手に違う道を模索した。
源氏も平家も生きて幸せになる道。
そうして辿りついた和議。
平家にいる将臣を、源氏にいる九郎や弁慶、他の仲間たちを必死に説得して、和議を成した。
そう、成されたと誰もが思った瞬間、事件は起こった。

頼朝の妻・政子から生じた茶吉尼天。
かの神は望美を食らい、そこから得た知識で望美たちの世界へと飛び立ってしまった。
それを仲間と共に追った望美は、迷宮の謎を解き、その最深部にいた茶吉尼天を倒した。
仲間はあの世界へと帰り、望美と将臣は元の生活へと戻った――はずだった。
なのに、あの世界の記憶は時折こうして蘇っては、望美を苦しめた。

「なんでもないわけないだろ?」
ムッとしながら、将臣が荒く額に手を置く。

「熱はねぇな」
「だから、大丈夫だって」

いぶかしむ将臣に、無理に微笑んで頭を振った。
将臣は知らない、もう一つの自分たちの運命。
あの時、和議を結んでいなかったら、望美と将臣はこうして以前のように、学校で同じ学生として肩を並べることは出来なかったのだ。

「ほら、カバン寄こせ」
「え?」
「帰るんだろ? 今日は特別だ」
急いで教科書をカバンにしまうと、それを将臣が持ち上げ背を向けた。

「いいよ。自分で持てるから」
「人の好意は素直に受けとけ」
「でも……っ」
なおも言い募る望美に、すっと腕を前に突き出す。

「じゃあ、珈琲買ってきてくれ。俺、手が塞がってるからよ」
「だから、私のカバンは持つから」
「珈琲」

全く返す気がない将臣に、望美はため息をつくと仕方なく自販機に向かって行った。
五百円玉を入れて、将臣には珈琲を、自分には苺ミルクを買う。

「はい」
「あ~持っててくれ。俺んちで飲もうぜ」
「家で飲むなら今買わなくても良かったじゃない」
将臣の家には譲がいつもきちんとティーセットを整えているのだ。
そう頬を膨らますと、将臣が宥めるように笑う。

「俺はそこの珈琲が飲みたかったんだよ」
それはカバンを将臣が持つことの口実なのだと、そうわかって、望美は曖昧な笑みを返した。

* *

「はい」
結局家までカバンを持ってくれた将臣に、望美は学校で買った珈琲を手渡した。

「サンキュ」
「冷たくなっちゃったね」
コートのポケットにしまっていたのだが、やはり学校から家に着くまでには冷めてしまっていた。

「いいだろ? 家の中はあったかいんだから」
「温かい飲み物を冷まして飲むのってなんか変」
「じゃあ温めなおすか?」
ひょいっと望美の手から苺ミルクを取ると、将臣はマグカップへ移し変えてレンジで温めた。

「ほら」
「ありがと」
何が何でも温かいものを飲みたかったわけではないが、せっかくの好意と素直に受け取った。

「あつっ!」
「馬鹿だな。大丈夫か?」
「舌火傷した~」
舌を出して顔をしかめた望美に、将臣は笑いながら近寄った。

「……!」
間近にある、将臣の顔。
それを意識した途端に、胸の鼓動が跳ね上がった。
あの世界で気づいた、将臣への想い。
それは幼馴染なんかじゃない、ただ一人の男性への想いだった。

「だ、大丈夫だから」
間近で覗き込まれることが耐えられなくて、望美が顔をそらす。
告げられずにいる想いが、将臣に気づかれてしまうことが怖かった。
なのに、ぐいっと顎を掴まれ、再び視線を合わされた。

「お前、何隠してんだよ?」
「な、何も隠してなんかいないよ」
「嘘つけ。隠してもバレバレなんだよ」

隠し事なんか出来ないぐらいの長い付き合いに、望美は視線を落とした。
将臣と対峙した、別の時空での出来事。
それを将臣に言うことは出来なかった。
思い出すことさえ嫌だった。

「何でもない、なんていうなよ?」

先手を打たれ、望美が唇を噛む。
誰よりも近くにいた将臣が、誰よりも遠くなってしまったこと。
今は触れ合えるほどに近くにいるのに、あの日々はあまりにも苦しくて、溢れそうになる涙を抑えるのが精一杯だった。
辛そうなのに、それでも理由を話そうとしない望美に、将臣は小さく息を吐くとぐっとその身体を抱き寄せた。

「将臣くん!?」
「文句言うなよ。お前が話したくないならそれでいい。無理には聞かねぇ。……だけど、一人で耐えることだけはするな」

涙ぐらい拭わせてくれ。
そう囁かれ、望美の瞳から涙が零れ落ちた。

「将臣くん……将臣くん……っ」

肩を震わせる望美を、強く抱きしめる。
普段は強気な彼女が見せた涙は切なくて、将臣は離すことが出来なかった。
望美が何を悲しんでいるのかはわからなかった。
それでも、望美のその苦しみを少しでも和らげたくて、強く強く抱き寄せた。 大切な……誰よりも愛しい少女を。
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