「……望美、これでいいの?」
「あ、そうじゃなくて、こっちを上にして……」
「こ、こう?」
扉から聞こえてくる会話に、景時は首を傾げる。
先ほど望美が遊びに来たかと思ったら、朔を引っ張って奥の部屋へとこもった二人。
皆が出払った家の中は静か過ぎて、耳をすませなくとも、時折二人の会話がこぼれてきた。
(なにやってんだろ?)
名詞がない会話で、二人の状況が全く分からない。
『兄上は私を構いすぎです。私ももう子供ではないのですよ?』
何かと心配しては構う景時に、朔はため息混じりに彼を諭した。
朔が子供でないことは重々わかっていたが、それでも兄として妹のことが気がかりなのは変わらない。
「そう、その紐をかけて……」
「え、ええ……」
戸惑う朔の声色に、少し心配になってくる。
(望美ちゃん、何を持ってきたのかな~?)
やってきた望美は、紙袋を持っていた。
どうもそれは朔への贈り物だったようで、リビングでくつろいでいた景時へ挨拶をすると、にこにこ微笑みながら、嬉しそうに朔の手を引っ張って部屋へと入っていった。
(まあ、望美ちゃんが持ち込むものだから、危険はないんだろうけど)
それでも気になるものは気になる。
「これはどうすればいいの?」
「えっと、ここのところをひっかけて……」
「……ん。見えないから良く分からないわ」
「そう? 私がやってあげようか?」
「でも毎日つけた方がいいのでしょう? それなら自分でつけられるようにしないと」
「まあ、他の人には頼めないからね」
(毎日つける? 俺達には頼めないこと? 一体何なんだ??)
景時の頭の中に?マークが飛び交う。
「……ん」
朔の悩ましげな声が聞こえる。
(何であんな声出してんだ? ま……まさか…)
景時の脳裏に、将臣が貸してくれた雑誌が思い起こされる。
(ま……まさか……朔と望美ちゃんがそんなこと……ないよね?)
否定しつつも、ならばどうしてあんな声を出しているのかと、不安が駆け巡る。
(この世界はそういうのもありみたいだけど……やっぱりそれはまずいんじゃないかな~)
「……やっぱりうまくいかないわ。望美、やってくれる?」
「うん」
ごそごそ。
なにやらやってる物音が聞こえ、途端望美の声が響き渡った。
「似合うよ~!」
「そ、そう? 何だか恥ずかしいわ」
「そんなことないよ。前から大きいな~とは思ってたんだよね」
「そんなことないわよ。望美の方が全然大きいわ」
「そうかな~?」
不安がピークになり、景時は慌ててドアを開けた。
「二人とも! それは間違って……る?」
「きゃ~兄上!」
「景時さん!?」
ドアを開けた景時が見たもの……それは望美が持ってきたブラジャーを試着する朔の姿。
あんぐり口を開けて固まる景時に、朔が放り投げた目覚まし時計がヒットする。
「景時さん!」
ばたりと倒れた景時に、望美が慌てて駆け寄るが、顔を真っ赤に染めた朔は羞恥と怒りで鬼のような形相だった。
「望美、そんな不埒な者は放っておきなさい!」
「え……でも、このままじゃ景時さんのおでこ、腫れ上がっちゃうよ?」
傍らに落ちている目覚まし時計と、すでにぷっくり腫れ始めた景時のおでこを見るが、朔の怒りようにおずおずと離れる。
「知りません! 天罰です!!」
顔を真っ赤に染めた朔は、服を羽織ると望美の腕を引っ張り、とっととその場を後にした。
翌日、景時のおでこに見事なたんこぶが出来ていたのは言うまでもない。
* *
先日の一件以来、朔は全く景時と目をあわせようとしなかった。
あの後、帰宅した仲間に見事に腫れ上がったたんこぶの理由を聞かれたが、景時は笑って誤魔化すしかなかった。
(はぁ……参ったな~)
仲間がいる中では、避けられる程度ですんでいるが、他の者がいないと鬼の形相で睨みつけてくるので、さすがの景時も困っていた。
朔の帰宅後、平謝りしたが当然許してくれようもなく、今日で1週間、朔は怒り続けていた。
(そりゃ~不用意に部屋の戸を開けたのは悪かったけどさ)
目に飛び込んできた、朔のあられもない姿。
妹に劣情を抱くようなことは、当然あるはずもないのだけれど。
(昔は一緒に水浴びだってしてたのにさ~)
それは、朔の身体が女性らしい丸みをおびる前の、10にも満たない頃の話。
その頃と今を比べるのがそもそもの間違いなのだが、妹可愛いの思いが変わらぬ景時にとっては、同じであった。
「景時さん?」
眉間にしわを寄せて考え込んでいた景時の耳に、可愛らしい声が飛び込んでくる。
「や、やあ~望美ちゃん。今来たの?」
「難しい顔して、何を悩んでたんですか?」
「い……いや~」
心配そうに覗き込む望美に、景時が無意識にたんこぶが出来ていたおでこに手をやった。
「あ~……朔のことですね。私がちゃんと言わなかったから悪かったんですよね」
ごめんなさい、と頭を下げる望美に、景時が慌てて手を振る。
「いや、望美ちゃんは全然悪くないから!」
「でも……」
朔がいまだに景時を避けていることは、望美も分かっていた。
その原因を自分が作ったと言うことも。
「ま、もう少ししたら朔も許してくれるよ。大丈夫大丈夫!」
落ち込む望美を、景時が必死に励ます。
「お兄ちゃんに着替え見られるのって、そんなに恥ずかしいのかな~?」
一人っ子の望美は、兄妹がいる景時や朔が羨ましかった。
「ん~、やっぱり女の子には恥ずかしいものなんじゃないかな? 兄とはいえ俺も男だし。
望美ちゃんだって、兄弟同然に育ったとはいえ、将臣くんや譲くんに見られたら恥ずかしいでしょ?」
「そうかな? 裸はさすがに恥ずかしいかもしれないけど、下着つけてたら水着みたいなもんだから、わざとじゃないなら別に大丈夫かな」
「の、望美ちゃん」
望美の思わぬ言葉に、景時の方が驚いてしまう。
幼い純粋さは感じていたが、よもやここまでとは思いもよらなかったのである。
「……望美を見てると、いつまでも怒ってる自分が鬼のようだわ」
はあ~とため息をついて現れた朔に、景時の方が緊張してしまう。
「……兄上、ごめんなさい。いつまでも根に持ちすぎました」
「い、いや~、俺が不用意に開けたのが悪いんだよ」
「それは確かに兄上の落ち度ですが、私もいつまでも怒っているのは大人げありませんでした」
仲直りできた景時と朔の姿に、望美がふふっと笑みをこぼす。
そんな望美を、背後から伸びた腕がからめとる。
「ま、将臣くん!?」
「ほ~俺達には見せてもいいんだな? じゃあ見せてもらおうか?」
そういって服をめくろうとする将臣に、望美が肘鉄を喰らわせる。
「大胆だね、姫君? 俺達はダメなのに、将臣と譲は許すんだ?」
「妬けますね」
冷やかすヒノエと弁慶に、さすがの望美も顔を赤らめる。
「誰にも見せない!」
高らかな宣言に、ひそかにがっかりする譲の姿。
後から戻ってきた敦盛や九郎は、意味が分からずに首を傾げる。
「じゃあ、皆揃ったことだし、コーヒーでも飲もうか?」
場の空気を換えるように提案すると、内容を知りながら黙っていたリズが同意を示す。
「頂こう」
「お~!? 先生が同意してくれるのは初めてだね。嬉しいな~。譲くん、手伝ってくれる?」
「はい、わかりました」
景時の言葉に、譲が立ち上がると、朔も手伝いにキッチンへと歩いていく。
そんな中で、望美一人だけが顔を赤らめて憤慨していた。