ここは、熊野の龍神温泉。
頼朝の命で熊野水軍の協力を得ようとやってきていた望美たちは、暑さと険しい道のりの疲れを癒すために、温泉へとやってきていた。
「広ーい! さすが弁慶さんのお奨めだね」
「ふぅ……気持ちいいわね。暑いのに、温まって疲れがとれるというのも不思議だけれど」
「汗だくだったから、さっぱり出来て本当に良かったよ。汗臭い身体で傍になんかいけないもん」
「あら? 綺麗な姿で傍にいたい殿方がいるのかしら?」
「えっ!? そ、そんなことないよっ!」
「ふふ、本当かしら?」
慌てる望美に、朔が微笑む。
一方、男湯の方は……。
「はぁ~あ、野郎ばっかと風呂入ってもな……」
「言っておくが、望美たちのいるほうには行くんじゃないぞ」
「ケダモノ扱いすんなよ。がっついたってしょうがないからね。姫君の玉の肌が洗いあがるのを、邪魔するはずないじゃん」
「君は普段の言動に問題があるから、信用されないんですよ」
「うわ……あんたにだけは言われたくなかったぜ」
弁慶の言葉に、ヒノエが心底嫌そうに顔を歪める。
「……落ち着くな。こんなにのんびりしていて良いのだろうか」
「ああ。今日はたぶん、これで休むぐらいでちょうどいいと思う。朔のことを心配してたみたいだけど、先輩も疲れてるはずだし」
「ま、今の時間から何かしても、どうなるってもんでもないしな。望美もそのつもりだろ」
「そうだね~。――で、譲くん?」
「はい?」
景時の呼びかけに振り返った譲は、突如がしっと肩を掴まれた。
「いつの間に朔のこと、呼び捨てにする仲になっちゃったのかな~?」
「えっ? そ、そんな仲になんてなってませんよ!」
「あれ~? その割には気安く『朔』なんて呼び捨てにしているじゃない?」
顔は笑っているのに、目が怖い景時に、譲の血の気が引いていく。
「そ、それは特別な意味はなく……」
「ふ~~~~~~ん。本当かな~?」
「本当ですってば!俺が好きなのは、先輩だけ……っ」
景時に迫られ、つい本音を口走りかけた譲が、ハッと口を押さえた。
気まずい沈黙が流れる男湯に、女湯から声が漏れてくる。
「……だよ」
「ん?」
「ああ、望美か? 板塀だから意外と声が聞こえてくるもんだな」
「……ね…‥だもの」
「ふぅん――小鳥たちは、何をさえずってるのかな」
聞き耳を立てようと、身を乗り出すヒノエに、譲が眉をしかめる。
「ヒノエ……悪趣味だろ」
「お前は気になんねぇのかよ」
「――で、望美はどう思ったの?」
「私? みんな大好きだなって」
「みんな……ね。横並びなの? 望美が一番気になる人は、誰なのかしら?」
「ええっ……?」
望美と朔の思いがけない会話に、男湯がにわかに緊張を帯びた。
「ふふっ、なかなか核心に近づいてきましたね」
「弁慶、お前までなんだ。聞き耳を立てるなど無作法だろう!」
楽しげに笑う弁慶に、九郎が苦言を呈すが、誰もが会話の続きが気になっていた。
「一番って、そうだな……強いて言うなら……」
続く望美の言葉を固唾を呑んで見守っていたヒノエは、ふとぐにょりとした感触を覚え、足元を見た。
そこにいたのは、ぬめぬめと黒ずんだ身体の生き物。
「……っ!!!」
「どうしましたか?」
悲鳴を矜持で必死に飲み込んだヒノエに、弁慶は彼の足元を見てあぁ、と納得する。
会話に気を取られ、板塀に近寄ったヒノエに群がっているのは、無数のサンショウウオ。
「景時……また君ですか」
「あははは~可愛い妹にもしものことがあったら困るからねぇ」
「兄馬鹿にもほどがあるぞ!」
源氏軍ではすっかり浸透している景時の兄馬鹿ぶりに、九郎が深々とため息をつく。
脳裏に蘇る、庭一面のサンショウウオの悪夢に、敦盛の意識がふぅと遠のく。
「お、おいっ! 敦盛っ!?」
ぶくぶくと湯に沈んだ敦盛に、慌てる将臣と譲。
男湯でそのような騒動が起きているとは露知らない望美たちは、乙女の会話と温泉を堪能し、ご機嫌で龍神温泉を後にするのだった。
《熊野水軍の緊急通達》
黒龍の神子には近寄るべからず。
兄馬鹿による大量のサンショウウオに襲われるゆえ……と。