「ありがとう」を何度でも

景望10

「今日は私が作りますから、景時さんはリビングで待っててくださいね!」

そう望美が言い放って10分。
キッチンから聞こえてくる悲鳴やら物音に、景時はそわそわと所在なさげにキッチンの傍に行っては戻るを繰り返していた。
気になって仕方ないのだが、望美の言葉もむげには出来ない。
そんな葛藤を繰り返していると、ガッシャーンと派手な物音が響き渡った。

「大丈夫!? 望美ちゃん!」
たまらずキッチンに踏み込んだ景時の足元には、中身がぶちまけられた金属製のボール。

「……落としちゃいました」
眉を下げしょげた望美に、景時はひょいと拾うと、端に残ったクリームを指ですくって舐めてみた。

「柔らかくて甘いんだね~。これって生クリーム、っていうんだっけ?」

「はい。ケーキを焼くことは無理でも、せめて飾りつけぐらいはと思ったんですけど……」

泣きそうな表情を浮かべる望美に、景時はぽんぽんと励ますように軽く頭を撫でると、自分の袖を折りたたんだ。

「せっかくだから一緒にやろうよ」

「え? でも、今日は景時さんのお誕生日だから……」

「うん。望美ちゃんが俺のために作ってくれるのもすごく嬉しいけど、一緒に作るのもすごく楽しいかな~って思うんだ。ね?」

向けられた景時の笑顔は、すっかり落ち込んでいた望美の心を優しく救い上げてくれて、今更ながらにこういうところが好きなんだよなぁ、と思う。

「望美ちゃん?」
「じゃあ、手伝ってもらえますか?」
「御意~♪」

自分用のエプロンを取り出し、さっと身支度を調えた景時に、望美は本に視線を戻して料理を進めていく。

景時が望美の世界に残って2ヶ月。
迷宮を解いて、そのまま別れを考えていた景時を、離れたくないと引き留めたのは望美だった。
望美よりも10歳も年上なのに、どこか子供っぽい可愛らしい面を持つ景時。
珈琲に興味を抱き、温水プールにはしゃいで、洒落たホテルのディナーでは陰陽術で素敵な魔法をかけてくれた。
誰よりも優しくて、なのにいつも自分を卑下してしまう景時に、もっといっぱい幸せを感じて欲しかった。
感じさせたかった。自分の手で。
だから手を伸ばした。
振り払われない腕に、彼もまた自分を想ってくれているのだとわかった時、望美は二人で未来を紡ぐと決めたのだった。

「景時さん、ありがとう」
「え? なに?」
突然の礼に、包丁の動きを止めた景時を、望美はしっかりと見つめもう一度感謝の言葉を口にした。

「この世界を……私の傍を選んでくれてありがとうって。そう、思ったんです」
「望美ちゃん……」
望美の眩い笑顔に、呆然と見つめていた景時は、その身体を抱き寄せた。

「俺の方こそありがとう。君が俺を選んでくれたから……俺をこの世界に留めてくれたから、俺はこんなにも幸せでいられるんだ」

命じられるままに、人を殺めてきた日々。
全てを投げ出し逃げたいと、いつも思っていた。
自分はもう、光の差す場所にはいられないのだと、血に染められた道を歩み続けるしかないのだと、そう諦めていた彼を救い出してくれたのは、月より舞い降りし神子・望美だった。

「景時さん、お誕生日おめでとうございます。こうしてお祝いを言える距離にいてくれて、本当にありがとう」

瞳を揺らす愛しい人の頬を撫でると、望美はそっと口づけた。
大好きで。
誰よりも大好きで。
景時が今、こうしてここにいてくれることが何よりも嬉しかった。
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