「……ここがお前の世界か」
白龍の開いた時空の扉を通り、降り立った現代。
高い建物に、目の前を走る車。
それは見慣れた、けれども隣りに立つ人にとっては初めての世界。
「ここは……七里ヶ浜か?」
「はい、そうです。ここも向こうもこの景色は変わらないなって思いましたが、九郎さんはどうですか?」
「そうだな……懐かしく思える」
目を細め見つめる先に思い描いているのは、あの世界の鎌倉だろうか。
(やっぱり寂しいのかな? 逆に故郷を思い出しちゃうのかも……)
九郎の姿を不安げに見つめていた望美は、はたと自分たちの格好に気づく。
「和装はさすがに目立つよね。よいしょ……っと」
「お、おい。何をしている!」
「え? とりあえずこの格好は目立つので、陣羽織だけでも脱ごうかなって」
「……この装束だとまずいのか?」
「この時代だとあまり和装をしている人はいないんです」
「そうなのか……」
古都と呼ばれる鎌倉だが、それでも陣羽織を着ている少女というのは見たことがない。
上は着物だがスカートをはいているので陣羽織さえ脱げば少しはましだろう。
しかし、隣りの九郎はそういうわけにもいかずにどうすればいいか困る。
「その格好だと電車には乗れないかな?
どうしよう、近くで男物の服が買えるところを探さなきゃ。でも上下に靴となると、お金足りるかな?」
こちらではまだ学生の身分である望美。
当然高額など持ち合わせておらず、眉を寄せた。
……と。
「おい、そこのバカップル。俺たちのこと、忘れてるだろ」
「兄さん、少しは空気を読めよ」
「そんなの待ってたらいつまでたっても帰れねえだろうが」
「将臣!?」
「譲くん!?」
「……本当に忘れてやがった」
2人の存在に今気づいたという望美と九郎に、将臣と譲が苦笑する。
「とりあえずタクシーでも捕まえて俺んちに行こうぜ。いつまでもここにいるわけにもいかねえからな」
「そう、だね」
現代に来たはいいものの、異世界から来た九郎にこちらに住む家などあるわけもない。
幸い、望美も譲もあの世界に行った後も自分たちの所持品は持ち歩いていたため、お金を出し合いタクシーで有川家に向かう。
当然タクシーの運転手には訝しがられたが、映画のエキストラだと苦しい言い訳をしてなんとか切り抜けた。
* *
「……懐かしいな」
「兄さんは三年の時間差があったんだったな」
「しかしまさか『ちょっとお父さんの海外出張に付き合って出かけてきます。あとは適当によろしくね。母より』なんてことになってるとは思わなかったぜ。まあ、都合いいっちゃいいけどな」
「将臣と譲のお父上たちは不在なのか?」
「ああ。しばらくは帰ってこないみたいだな」
「とりあえずお茶を淹れますから、リビングでくつろいでいてください」
「おう」
「兄さんに言ってるんじゃない。まったく……」
呆れながらキッチンへ消えていった譲に、望美がソファを九郎に勧める。
「そふぁ?」
「ああ、座るためのものだ。いいから座れって」
「あ、ああ」
訝しげに腰を下ろすと、落ち着かない様子であたりを見る九郎。
「……本当にお前たちは異世界からやってきたんだな」
見るものすべてが九郎のいた世界とは異なる様に、改めて自分が違う世界にやってきたことを悟る。
「落ち着かないですか?」
「……不安を感じないと言ったら嘘になる。
だが、俺はここで新しい未来を歩むと決めた」
源平の戦が終結し、頼朝に疎まれ、鎌倉を追われた九郎。
だが、神泉苑で駆けつけてくれた兵の姿に、自分があの世界にいたことは意味のないことではなかったのだと悟り、望美の手を取った。
「とりあえずしばらくはここにいても大丈夫だ。その間にこれからどうするか、考えるんだな」
「ああ。恩に着る」
「みずくせえこというなって」
「はい、どうぞ。紅茶にしましたが、九郎さんは煎茶の方がいいですか?」
「いや、せっかく淹れてくれたんだ。戴こう」
「どう、ですか?」
「……今まで飲んだことのない味だ。香りがいいな」
「口に合ったようですね。よかったら茶菓子もつまんでください」
「わあ、チョコレート! 懐かしい」
「ちょこ……れえと?」
「甘いお菓子です。はい」
「あ、ああ」
望美から受け取った九郎は、彼らの真似をして包み紙を外すと、おそるおそる口に運ぶ。
「……甘いな。甘葛のようだ」
「あまづら?」
「ツタから取るあの時代の甘味料のことだよ」
「だが甘葛よりも色も味もはっきりしているな」
「まずは日常生活に慣れるところから始めた方がいいみたいですね」
「そうだね。譲くん将臣くん、お願い」
食べる物から着る物、はては家と全てがあの世界とは異なるのだ。
いきなり将来の展望を考えるのは無理だろうと、譲の提案に望美も頷き、九郎を見る。
「九郎さん、私の家は隣りなので、何か聞きたいこととかあったらいつでも来てください。私も毎日顔を出しますから」
「……ああ。頼む」
九郎の浮かべた笑みに後ろ髪を引かれつつも、とりあえずはと自分の家へ向かった望美だが、彼女にとっても久しぶりの我が家。こちらでどれほどの時間が経過しているのかを確かめようと、自分の家のチャイムを押す。
「はーい。あら、望美じゃない。あなた、鍵はどうしたの?」
「あ……忘れたみたい?」
「もう、本当におっちょこちょいね」
何事もなかったように当然のように招き入れる母に、さりげなくカレンダーを確認する。
(時空移動した日と同じ……つまり数時間程度しか時間はたってないの?)
行方不明扱いになっているのではないだろうかと心配していたのだが、どうやら浦島太郎のような心配はいらないのだと安心し、二階の自分の部屋へ上がる。
自分の部屋だというのに懐かしく感じられて、一つ一つ確かめるように部屋にある物を手に取った。
(本当に帰ってきたんだ……)
この世界では数時間の時しか流れていなかったが、望美は異世界で数ヶ月も過ごしたのだ。感傷のような想いがこみあげてきて、ぽすんとベッドに身を沈める。
(これからは異世界へ迷い込む前と変わらない日々が続いていく。……ううん、違う。
私の傍には九郎さんがいる)
異世界へ渡る前と今とで決定的に違うもの……それは大切なあの人の存在。
(口が悪くて喧嘩ばかりしていたけど、九郎さんなりに私をずっと労わってくれていた。
だから今度は私が九郎さんの力になりたい)
有川家から帰る時に見せた九郎の笑み。
それは不安を押し殺すような、そんな笑み。
不安じゃないはずがない。
見知らぬ世界に投げ出されて、これからどうすればいいのかわからない……その思いを望美は知っている。
「まずはこの世界を知ってもらうところからだよね」
望美の語るこの世界の話を九郎は楽しげに聞き、いつか行ってみたいと言ってくれた。
ならばと、望美は明日からの九郎との日々を思い描いて微笑んだ。
* *
翌日、学校が休みだった望美は、早速朝から有川家に押しかけ、九郎を外に連れ出した。
服は将臣と譲から借りたらしく、ジーンズにTシャツ・コート姿の九郎をまじまじと見つめてしまう。
「何かおかしなところでもあるのか? 着なれぬ衣故に、おかしなところがあってもわからないんだ」
「いえ、全然大丈夫です! 似合ってます!
ただカッコいいと思って見惚れてただけで……」
言いながら顔を赤らめると、同じく顔を真っ赤に染める九郎。
「どこか行きたい場所はありますか?」
「いや……お前に任せる」
「じゃあ、今日はこの辺りを散策してみましょう」
まずは家の周辺を覚えた方がいいだろうと、九郎と並んで周囲を歩く。
望美にとっては何でもない住宅街でも、九郎にとっては目新しく、きょろきょろと目を輝かせて見渡す姿は少年のようで、望美はくすりと微笑む。
「なんだ?」
「いえ、喉が渇きませんか?」
「ああ。そうだな」
「あそこで飲み物を買いますね。えっと、九郎さんは何がいいかな?」
自販機を前に悩んでいると、訝しげに見つめる九郎。
「望美、これはなんだ?」
「これは自動販売機と言って、お店じゃなくても商品が買える機械なんです」
こんなふうに、と小銭を入れてジュースを買うと、九郎が驚き自販機を見る。
「この中には人が入っているのか!?」
「違いますよ。機械が自動でやってくれるから、人がいなくても買えるんです」
「なんと面妖な……」
唖然と見つめる姿に、昔テレビで見た時空トリップのドラマを体感する。
「望美。これはどうやって開ければいいんだ?」
「ここのプルタブを上に引き上げて開けるんです」
「引き上げる……」
見よう見真似でプルタブを開けようとする九郎を見守っていると、しばらくの後にプシュッと缶の開く音が聞こえ、九郎は嬉しそうに望美を振り返った。
「開いたぞ!」
「その中に冷たいお茶が入ってますから、飲んでみてください」
「わかった」
促され、缶に口をつけた九郎は、不思議そうに手にした缶を見つめた。
「お前の世界は不思議なものが溢れているな」
人がいなくても自動で物が買える機械。
スイッチ一つでお風呂が沸いたり、苦労して火をおこさずとも使えたり、九郎のいた世界ではどれもありえないことで、ただ驚かされていた。
「少しずつ慣れていけばいいと思います。だからわからないことはどんどん聞いてください。
あの世界で九郎さんが私に色々教えてくれたように、私も九郎さんの力になりたいんです」
「望美……」
微笑む望美にふっと顔を緩めると、ああ、と九郎が頷く。
「迷惑かけると思うがよろしく頼む」
「迷惑だなんて思いません。こちらこそ、よろしくお願いします」
笑い合うと2人で空を見上げる。
九郎の新たな旅はここから始まる。