とある日

九望10

「九郎さん~、こっちですよ~!」
望美の呼びかけに、鎌倉八幡宮に見惚れていた九郎は、ずっと前を歩く彼女を見つめた。
戦の後、望美と共にこの世界へとやってきた九郎。
九郎が自分の世界を捨て、この世界へとやってきたのは、兄との争いの火種を避けるため。
そしてもう一つは、望美だった。

まだ、九郎は望美に対する自分の気持ちが何であるのか、わからずにいた。
ただ傍にいたい。守りたい。
そう想う気持ちが、確かに九郎の中にはあった。
これを聞いたら、人は皆『恋』だと言うのであろうが、今まで恋愛感情を抱いたことがなかった九郎には、それを自覚出来ずにいた。

九郎とて女を知らぬわけではない。
正確に言えば、『女の肌』を知らぬわけではなかった。
自分の存在理由を見出せず、仲間と徒党を組んで過ごした少年時代。
九郎のいた世界では、男女の性は望美の世界よりもあけっぴろげであったので、一夜限りの相手を抱くことも少なくなかった。
ただそれは、女を愛しく想ってではなく、ただの性のはけ口であった。

だが望美にたいして、そのような気持ちを抱くことはなかった。
初めは同じ先生に師事する者として、同士とみなしていたからであったが、女だと意識するようになってからも、不思議と劣情を抱くことはなかった。

(誰かを守りたいなんて思ったのは、初めてかもしれないな)

一人胸中で呟く。
今までは兄のために力を尽くしたいと思えども、守りたいと思うことはなかった。
兄は自分が守らずとも、十分に強かったから。
望美が弱いわけではない。
女の身で剣を習い、自分と同等に戦えるまでに成長した彼女は、決して守るべき弱き者ではなかった。
それではなぜ、自分は望美を守りたいと思うのか?
初めの疑問に戻ってしまい、九郎は眉間にしわを寄せた。
そんな九郎の頬に、冷たい物が押しつけられる。

「うわ……ッ何をする!」
「九郎さんが呼んでも返事しないからですよ」
缶ジュースを差し出して笑う望美に、九郎は抗議の声をあげた。
鎌倉見物に訪れた今日は朝からずっと歩き通しで、気づくと九郎の喉はからからだった。

「すまん。戴く」
礼を述べて受け取ると、この世界で覚えたプルタブを開け、一気に喉に流し込む。
望美も同じようにジュースを口にすると、「美味しい~!」とにっこり微笑んだ。
その笑顔が、九郎には空に輝く太陽よりも眩しく感じられた。

望美への感情がなんであるのか、それはわからない。
だが、こうして彼女の傍にいれば、そう遠くなくわかるのではないか。
九郎はそう思い、望美を見つめ返した。
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