激情

九望5

「風が気持ちいい~!」
髪を弄ぶ風に、気持ちよさそうに目を細める。
鍛錬で火照った体を、心地よい風が冷ましてくれた。

「そうだな」
一緒に鍛錬をしていた九郎は微笑むと、隣りへと腰かけ竹筒を手渡した。

「すっかり汗だくになっちゃっいましたね。ここで水浴びしちゃいます?」
「お、おいっ!」
着物の合わせ目をパタパタと仰ぎながら、傍を流れる川を見る望美に、九郎が慌てる。

「お、男が女と一緒に水浴びなど出来るはずないだろう!」

「そうですか? 私、前に将臣くんとお風呂入ったことがありますよ」

水着で……という呟きは、しかし九郎の耳には届いていなかった。

「……お前と将臣は恋仲だったのか?」
「え? 違いますよ。ただの幼馴染です」
「ただの幼馴染とお前は風呂に一緒に入るのか?」
「九郎さん?」

いつにない固い声に、望美は不思議そうに九郎を見上げた。

「どうしてそんなに怒ってるんですか?」

「……怒ってなどいない。軽薄だと思っただけだ」

「軽薄って……将臣くんとお風呂に入ることがそんなにいけないんですか!?」

九郎の言葉に、望美がムッと言い返す。
望美の中では水着を着てのことだから何ら問題ないと思うのだが、男女が風呂を共にするなどありえないこの時代では、九郎が眉をしかめるのも当然だった。

「男と共に風呂に入ることの、どこが軽率じゃないというんだ?」

「一緒に入ったっていいじゃないですか! 水着着てるんだし!!」

「『みずぎ』を着ていればいいなどということはないだろう! ……ん? 『みずぎ』?」

「水に入る時用の衣って言えばいいのかな? とにかく皆が一緒に入るようなところでは、水着を着用するんですよ」

「皆で入るのか!?」

「水着を着てるんだし、別におかしくないですよ」

頬を膨らませてそっぽを向く望美に、九郎が真面目な顔で考え込む。

「小袖で水錬をするようなものか?」
「え? ん~、まぁそう……かな?」
水錬がどのようなものかよく分からず、望美は曖昧な返事を返す。

「年頃の男女が共になどと……お前の世界は信じられんことばかりだな」

以前も『たしなみがない』と九郎に言われた事がある望美は、ますます頬を膨らませた。
確かにこの世界では肌を露出させることは恥ずかしいこととされているが、望美にとってプールに入るのに水着を着るのは当たり前であり、スカートにしても制服という学校で定められたものであるのだから、『たしなみ』などと言われても納得がいかないのだ。

「とにかく裸で入るわけじゃないんだし、汗でべたべたしているのは気持ち悪いですから、水浴びしましょうよ」
「俺はいい。したいならお前だけすればいいだろう」

断固拒否する九郎に、望美はムッとすると持っていた紐で髪を結いあげ、羽織を脱いで一人川に入っていく。
湯を沸かして毎日風呂に入る習慣がないこの時代では、いつもは身体を拭く程度なので、全身を浸せること自体が嬉しかった。
それに汗だくで好きな人の前にいるのは嫌だったし、鍛錬で火照った身体を冷ますのにも水浴びは好都合だった。

「九郎さん、本当に入らないんですか?
すっごく気持ちいいですよ?」
「俺はいいと言っているだろう」
顔も向けない九郎に、両手でそっと水をすくうと、九郎めがけて放った。

「な……っ! 何をする!!」
「これで九郎さんも濡れちゃいましたよ。さぁ、一緒に入りましょう!」
眉をつりあげ怒る九郎に、望美が笑いながらさらに水をかける。

「この……っ」
ばしゃばしゃと大股で水の中へ入っていくと、九郎は水をすくって望美にかけ返した。

「きゃあ!」
「ははは、お返しだ」
「やりましたね~」
「うっ!」

子供のように水を掛け合い、はしゃぐ二人。
そうしてすっかり濡れ鼠になった頃、ようやく岸に上がった。

「あ~気持ち良かった」
「そうだな」

髪をかきあげながら、何気なく振り返った九郎はぴしりと固まった。
水浴びをしていた時には気づかなかったが、水に濡れた着物は肌にピタリと吸いついて、望美の華奢な身体を露わにしていたのである。
自分とは明らかに違う、女性らしい丸みを帯びた身体のラインに、こくりと喉が鳴る。

「九郎さんは着替えないんですよね。ごめんなさい、全身ずぶ濡れですね」
乾いた布で九郎の髪を拭う望美に、九郎が身を離そうとする。

「じ、自分でやるからいい」
「ダメですよ。九郎さん、髪長いんだから。ちゃんと拭かないと風邪ひいちゃいますよ?」

目の前に晒された豊かなふくらみに、頬を赤らめ視線をそらすが、それに気づかない望美は背伸びしながら一生懸命に九郎の髪を拭く。
拭われる度に揺れる双丘に、九郎の理性はついに砕け散った。
欲情のままに腕を捉えると、驚き見上げた望美の唇に荒々しく己のそれを重ねる。

「んん……っ」
突然の口づけに望美がかすかに呻くが、昂りを抑えられずに唇を奪い続ける。
息をつく間も与えぬほどに激しく口づけ、頭が真っ白となった望美から力が抜け落ちた頃、ようやく唇を離した。
そのまま強く抱き寄せる。

「……こんな姿は誰にも見せるなよ」
「九郎……さん?」
「――悪かった。風邪をひく前に着替えてくれ」

腕の力を緩めると、視線を合わさずに背を向け去っていく。
一人残された望美は、呆然と唇に手を伸ばした。
少しかさついた九郎の唇の感触。
それは驚きでもあり、同時に……甘美な喜びを望美に与えた。
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