躊躇い

九望3

ある時掴んだ腕の細さが、彼女を妹弟子から異性へと認識を変えさせ、龍神温泉での朔と望美の会話が、九郎にとって望美が特別な女性であると意識させた。
それから知らず望美の姿を探す自分に気づき、九郎は戸惑っていた。

「神子であるあいつを気にかけるのは、八葉として当然だ」

納得させるように呟いた言葉も、しかし胸にかかった霧を払うことは出来ず。
深いため息をつくと、九郎は鍛錬のために仲間の傍を離れた。
一、二、三……いつものように剣を振るう。
剣を振っていると、心なしか胸のもやもやが消えていって、九郎はそれに委ねるように無心で剣を振り続けた。
そうして落ち着きを取り戻した頃、剣を降ろしたところで少女の声が名を呼んだ。

「九郎さん」
「……っ!」

木の合間を縫うように歩いてくる望美に、九郎は身を強張らせる。
戦いの時は平気なのに、こうして二人きりになると途端に胸の鼓動が激しくなり、平常心でいられなくなってしまうのだ。

「私も一緒に鍛錬させてもらってもいいですか?」
「あ、あぁ」

剣を抜いた望美に、ぎこちなく頷く。
こうして自ら鍛錬する姿は、兄弟子として嬉しいことであるはずなのに、風に乗って鼻をくすぐる甘い香りに胸の鼓動が乱される。
そんな己の様に九郎は戸惑っていた。
剣に集中していた望美は、ふと九郎がずっと突っ立ったままでいることに気づき振り返った。

「九郎さん? 鍛錬はもう終わったんですか?」
「い、いや……、まぁそうだ、な」

曖昧な返事に望美が首を傾げる。
十分とはいえなかったが、このまま鍛錬を続けたとしても気持ちが乱れた今の状態では無駄だろうと、九郎は本日の鍛錬を諦めた。
それでも、このまま望美を一人置いていく事も出来ず――。

「お前の剣を見ていてもいいか?」

「構いませんけど、私なんかの腕前じゃ九郎さんの参考にはならないと思いますよ?」

「そんなことはない。お前の剣は柔でありながら鋭く、参考にしたいと思っていたんだ」

「そういうことならどうぞ」

九郎の返事に微笑むと、望美は再び剣に意識を戻す。
そうして一心に剣を振るう望美の横顔を、じっと見つめた。
可愛らしい顔立ちの少女。
だがその瞳は凛としていて、今や源氏軍では一目置かれる存在となっていた。
ついで視線をその身体に移す。
剣を持つのが不思議なほど華奢な身体。
平和な世界からやってきたと言う望美は、この世界で初めて剣を手にした。
だが、彼女はすさまじい速さでリズヴァーンの教えを吸収して、いまやその腕は並の男に引けをとらないほどになっていた。

九郎は始め、女が戦場に出ることに反対だった。
女に戦などつとまらないという思いからではなく、ただか弱き女性を戦場などに立たせるべきではないと思っていたからだ。
しかし望美はそんな九郎を正面から見据えてこう言った。

『戦えるんなら一緒に行ってもいいんですよね?』
思いがけない返答に虚をつかれたが、彼女が見せた花断ちは見事で同行を認めないわけにはいかなかった。

今でも時々、望美はなぜそこまでして戦いたがるのか、不思議に思うことがある。
戦うことが好きだとは思えなかった。
戦いの後に望美が必ず川に行き、身を清めていることを九郎は知っていた。
血に染まった両手を何度も何度も水につけ、悲しげに視線を落とすその姿は、胸を絞めつけられるものだった。
それでも望美は剣を取るのをやめなかった。
自分の世界に戻るために必要であるのだろうが、それだけが理由だとは思えなかった。

「お前はどうして戦っているんだ?」
疑問がそのまま口をつく。 驚き振り返った顔に、九郎は思わず問いかけてしまった己に慌てた。

「い、いや、言いたくなければ別にいいんだぞ」
「……守りたい人がいるからです」

凛としながらもどこか張りつめた声に、九郎は驚き望美を見つめた。
その視線の先で、望美は悲しそうに微笑んだ。

「私は大切な人……たちを守るために剣を取ったんです」

――九郎さんもそうでしょ?
問う翡翠の瞳に、九郎が頷く。

「俺も兄上のために剣を取った。兄上が築こうとしている国のために」
九郎の言葉に、望美の表情が切なげに歪む。
――お前はどうしてそんな悲しそうな顔をするんだ?
憂いを秘めた瞳に九郎は戸惑う。

「私も応援します。九郎さんの願いがかなうように」
浮かんでいるのは笑顔だというのに、心の中は違うような気がして、九郎は思わず望美の手を掴んだ。

「九郎さん?」
「あ……いやっ、その……」

ハッと手を離し、言葉に詰まる。
隠れた想いを感じるものの、それを問うていいのか躊躇ってしまう。
そんな九郎に、望美は微笑み踵を返す。
――大好きだよ、九郎さん。
風に乗って聞こえた呟きに、九郎は驚き振り返るが、望美の姿はすでに木の向こうに消えてしまっていた。

「……俺の聞き違いか?」
消えた姿に真実が見出せない。
しかし呟きはいつまでも耳から離れず、九郎の心をかき乱すのだった。
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