嘘から始まる恋

九望2

「な、なんだこれは!」
勝浦の宿に九郎の怒声が響き渡る。
彼の目の前には、ぴたりと寄せられた二組の布団。
本日の宿と通された部屋は、我が目を疑うような状況だった。

「そ、それがさ~。後白河院がどうも宿の者に九郎と望美ちゃんが許婚だと言ったようで……」
「あれはその場しのぎの芝居だろう!」

困ったように笑う景時に、九郎が真っ赤な顔で怒鳴る。
確かに以前、院が催した雨乞いの儀で舞を舞った望美が召し抱えられそうになり、とっさに許婚だと偽ったことがあった。
だが、それはあくまで望美を守る為の嘘に過ぎないのである。
それなのに、夫婦として一緒の部屋で寝泊りするなど耐えられるはずもなかった。

「ま、まぁまぁ。今、部屋を替えて後白河院の機嫌を損ねるのはまずいからさ。夜までは我慢してくれないかな?」
「う……っ」
これが後白河院によるありがた迷惑な計らいである以上、無下にそれに逆らうのは源氏の大将として得策ではなかった。

「わ、わかった。だが! 夜は皆と一緒に寝るからな!!」

顔を赤らめ、敷かれた布団から目をそらす九郎に、景時はうんうんと頷き胸を撫で下ろす。
しかし情報収集や買い出しなどを理由に仲間がみんな出払ってしまい、気づけば部屋に取り残されてしまった九郎と望美。
先ほどの九郎と景時の会話を知らない望美は、目の前に敷かれた布団がよもや自分達のためだとは考えもせず、二人きりの部屋で平然とお茶をすすっていた。

「どうしたんですか? 九郎さん」
「な、な、なんだ!? お、俺は、ど、ど、どうもしないぞ?」
「どもってますよ?」
「……っ!!」
真っ赤な顔で視線を逸らす九郎に、望美が不思議そうに首を傾げる。

『お前はこの状況をなんとも思わないのか!?』と怒鳴りたい衝動を、九郎はグッと堪えた。
言って意識されようものなら、余計に気まずいからだ。

「それにしても皆出かけちゃうなんて。宿の中じゃさすがに鍛錬できませんよね」

何事もないかのように会話を振ってくる望美に、九郎は鍛錬という名目での逃げ道も失われたことに気づいた。
不意に思い出す龍神温泉での会話。
仕切り板が薄いせいで、聞き耳を立てようとせずとも望美と朔の会話は自然と男湯に聞こえてしまっていた。

『一番気になる人? う~ん、そうだな……九郎さん、かな?』

『九郎殿なの? あなたたち、いつも喧嘩ばかりしているからちょっとびっくりしたわ……でも、そうなの。許婚というのもあながち嘘でもなさそうね』

『ち、違うよ。そんな大した意味じゃなくて……』

そんな女湯の会話を耳にした八葉の視線が九郎に集中する。

『な、なんだ!?』
『よかったですね、九郎。感想は?』
『な……っ!』

微笑みながら問う親友に、耳まで真っ赤に染まる。
そうして散々からかわれた九郎がどういう態度をとればいいか戸惑っていると、当の本人はあまりにも普段と変わらずで、すっかり気が抜けてしまったのだが――。
さすがにこうもお膳立てされた目の前の状況に冷静でいられるはずもなく。
九郎は一人、落ち着かぬ気分を持て余していた。

目の前に座っているのは、白き龍に選ばれた稀有なる存在・龍神の神子である望美。
同じ師に教えを受け、男に引けをとらないほどの剣を振るい、いつしか戦女神として源氏軍で崇められる存在となっていた。
大将たる自分にも平気で食ってかかる気の強さを見せたかと思えば、戦場で負傷した敵兵を気遣う優しさを見せたりと、くるくるとその表情を変える少女からいつしか目が離せなくなっている自分に気がついた。
勇ましき戦友のようでもあり、同じ師に剣を習った妹弟子でもあり、そして唯一怨霊を浄化することの出来る清らかな神子でもある望美。
だが、どんなに勇ましくとも望美は女――“守るべき存在”。
それは八葉だからというのではなく、男として当然のことであった。

「みんな、遅いですよね」
「……俺と二人ではつまらんのか?」
「へ?」
つい刺々しい物言いを返すと、一瞬きょとんとした望美が慌てて手を振った。

「そ、そんなことないですよ!
九郎さんの方こそ、急に黙り込んじゃって何かあったんですか?」
思いのほか長く物思いにふけっていたらしく、望美に指摘されて今度は九郎が慌てた。

「な、何もないぞ! 俺は許婚のことなどっ……あ!」
「許婚?」
思わず口にした言葉に、望美がそのことかと納得する。

「あぁ、九郎さんまだそのこと気にしてたんですね。あれはその場の方便だったんでしょ?
ちゃんとわかってますから、心配しないでください」

確かにそうなのだが、あまりにもあっさりと言われ、なぜかムッときた。

「俺が許婚では嫌なのか?」
「え? 嫌なんてそんなことないですけど。だって九郎さん、そう言ってませんでした?」
「そ、それはそうだが……っ」
九郎の言いたいことがわからず、望美が首を傾げる。

「と、とにかくお前は俺の許婚だと後白河院は思っているんだ。院の前ではそれらしく頼むぞ」
「は~い」

あっさりした了承に、もやもやが胸の中に広がっていく。
しかしそれがなぜかは色恋に疎い九郎にはわからず、しばらく一人悩むのだった。
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