ふと視界に映る姿に違和を感じて歩を向けると、一瞬早く黒い影が望美の元へと歩み寄った。
「望美さん、足を見せてもらえますか?」
「う……はい」
弁慶の指摘に望美は気まずげに眉を下げると、おずおずと靴を脱いだ。
「やはり……先程の戦闘でですね」
「その、少し捻ったかなとは思ったんですけど、まあ大丈夫かなって」
「……骨に異常はないようですね」
患部を診て状況を判断すると、弁慶は手持ちの薬から適切なものを処方し始める。
「幸い宿も近いですし、今日はもう休みましょう。君は僕達の要ですから」
「すみません……」
「いいえ。ではどうぞ」
「へ?」
「無理は厳禁ですから。それとも前での方がいいかな?」
「だ、大丈夫です。もう少しだし歩けますから!」
「望美さん」
諭す声音に観念したのか、おずおずと弁慶の肩に手を回すと背負われる。
「あの、重かったら言ってくださいね? すぐに降りますから!」
「ふふ、そんな心配はいりませんよ。君はとても軽いですから」
そんなやり取りを交わす二人に、ぎゅっと拳を握る。
と、振り返った弁慶と目があって、浮かんだ笑みに歩を進める。
「――先に戻って湯の用意をしてもらうよ。今日は温泉は無理だろうからね」
「ありがとう、ヒノエくん」
声にひらりと手を振ると、振り返らずに宿へ向かう。
胸に燻る感情をすぐには殺せなかった。
「君らしくないですね」
「……何がだよ」
昼の鬱憤を流し込むように盃を傾けていると、部屋に来た元凶に顔をしかめる。
「船首の先は定まりましたか?」
「さて。風はどちらにも吹いてるからね」
「君はもう定めたのだと思いましたが」
視線を合わさずにのらりくらりとかわすが、内心の動揺を見透かす叔父に苛立ちが増す。
「俺個人で望美に手は貸すが、熊野が源氏に与する気はないぜ」
「構いませんよ。ただ迷ってる時間はあまりないと思いますよ。――この戦が終われば彼女は天に帰るのですから」
グッと痛いところをついてくるのは相変わらずで、盃を持つ指先に力が入るのを目の端でとらえると、弁慶が立ち上がる。
「天女を地へ留めたいなら、僕に悋気などしていないで行動しなさい。それとも――」
「あんたに渡す気はないね」
続くだろう言葉を遮り視線を向ければ、涼しい笑みが弁慶に浮かぶ。
「あんたはただ望美を利用したいだけだろ」
「ふふ、想像に任せますよ」
否定も肯定もせずの弁慶に眼差しを強めるも、動じる様子もなく部屋を出ていく。
静かになった部屋に盃を置くと上向いて、浮かぶ面影に心が揺らぐ。
優先順位は間違えない。
守るべきものは熊野。それでも。
ふと額の宝珠が淡く灯る。
そこから伝わる感情に腰を上げると、廊下に足を向ける。
少し歩くとぼんやりと座る人影に気がついた。
「どうしたんだい? こんな遅くに」
「……ヒノエくん?」
「一人は感心しないね。不用心が過ぎる」
夜目がきかない望美に答え、隣に腰をおろすと、「目が冴えちゃって」と言葉が返る。
「足はもう大丈夫なのかい?」
「うん、本当に軽く捻っただけだから」
「なら良かった。お前が苦しんでいるのは見るに忍びないからね」
パチリとウィンクすると、望美がゆらりと足を揺らす。
「……明日はちゃんとしなきゃ」
「望美?」
「ううん」
小さな呟きの意を問うも、ふるりと頭を振るう姿はそれ以上を告げる気はない。
だから視線を前に向けながら、あえて問う。
「――何がお前を駆り立てるんだい?」
「…………」
望美には秘密がある。
そう春に感じた通り、答えを返さない望美を見るとこちらを振り返り――その瞳に揺らぐ色に目を見開いた。
「守りたいの。だから立ち止まれない」
凛と見つめる瞳に宿るのは確固たる決意と――嘆き。
まるで死者を見るかのような瞳に言葉を失うと、フッと望美が視線をそらす。
「もう寝なきゃ。ヒノエくんも飲み過ぎちゃダメだよ」
がらりとまとう空気を変えて立ち上がろうとした望美の手を取ると、口元に寄せてその指先に口づける。
「!? ヒノエくんっ?」
「俺はここにいるよ」
驚く望美をまっすぐ見返すと、ゆらりと翡翠の瞳が揺らぐ。
「うん……ヒノエくんはいる」
「そうだよ。だから俺を頼りなよ」
「またそんなこと……そんなふうに言ってたら誤解されるよ」
「お前だけだよ」
揺れる心を誤魔化すように濁す望美に違うとはっきり伝えると揺らぎが大きくなって、手を引き抱き寄せると肩に顔が伏せられる。
「……そんなこと言ったら信じちゃうよ」
「熊野の神々に誓って偽りはないよ。だから俺を選びなよ」
思い出すのは昼の光景。
弁慶に身を任す姿に、あの時に感じた感情の名を受け入れる。
この宝珠から伝わるものが確かなら。
「ねえ、望美?」
頬に触れると視線が上向いて。
決意と嘆きの奥に隠れていた恋情を見つけ捕らえると、伏せられた瞼にそっと顔を傾けた。
2020.7.17【リクエスト創作】