仲良きことは

ヒノ望25

「ほら、ヒノエくんも起きて。もう朝だよ」
「…………」
「狸寝入りなのは分かってるんだからね。お布団取り上げちゃうよ。―――うわっ!」

布団に手をかけたところで、腕を引かれ。
反転した身体は、逆にヒノエに見下ろされる形に。

「ふふっ、捕まえた」
「やっぱり寝たふりだったんだね!」
「ふりじゃないって。寝てたんだよ」

前にもあった遣り取りに、望美はヒノエの腕の中から逃れようと暴れる。

「目覚めの口づけは?」
「馬鹿なこと言ってないで、もう朝ご飯だよ」
「それじゃなおさら急がなきゃ。ほら」

口づけするまでどうあっても離す気がないヒノエに、望美はきょろきょろと辺りをうかがうと、仕方なく肩に手をかけた――瞬間。

「頭領~!」
「わ、わわっ!」
どかん。 慌てた望美に突き飛ばされて、ヒノエはむっすりと部屋にやってきた部下を睨んだ。

「頭領? どうかされましたか?」

「……毎度毎度、狙い済ましたように邪魔しやがって」

「へ?」

「う、ううん。気にしないで! ちょっと起きたばかりで機嫌悪いだけだから!」

「そうだったんですか」

誤魔化す望美に、ヒノエは肩をすくめると仕方なく身支度を始めた。

「じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい!」
笑顔で見送る望美に、かすめるように唇が重なって。

「………!」
「いい子で待ってなよ。お楽しみはまた夜に」
「……馬鹿!」

ぱちんと音がしそうなウィンクをして去っていくヒノエに、その場に残された望美の頬は赤らむ。
毎朝繰り返される遣り取りは、恥ずかしいけれど幸せで。
熱が取れたか確認するように軽く頬を叩くと、よしっと立ち上がった。
望美の仕事は、交易で得た品の確認。
目録に目を通し、残った時間は奥方修行と、毎日あっという間に一日が過ぎていった。

* *

北の対へ戻ろうとしていた望美は、通りがかった一室で女房が手にしている布に目を留めた。

「その布はヒノエくんの新しい衣装用?」
「はい。冬の衣の仕立てをと」
「それ、私がやってみていい?」
「奥方様が、ですか?」
「うん」

望美の申し出に女房達が戸惑う。
別当の大切な衣を、果たして任せても大丈夫だろうか。
そんな不安が見て取れて、望美は苦笑しながら並べられた布の一つを手に取った。

「表衣はまだ無理だけど、中衣なら大丈夫でしょ?」
「ですが……」
「縫ってあげたいの」

そう言われては断ることも出来ず。
仮留めのすんだ布を任せて、しずしずと女房たちは去っていった。

「さあ、頑張ろうっと!」

縫い物は得意とまでは言えなくとも嫌いじゃないし、部屋着にしてもらえれば十分と、望美はもくもくと針を進める。
そうして数日が過ぎ、望美は出来上がった衣を嬉しそうに広げてみた。

「うん、初めてにしては上出来だよね!」

奥方教育係の女房頭にも褒められ、上機嫌でたたむと手渡す時を待ちわびる。
しかし、こういう日に限ってヒノエの帰りは遅く、一人夕餉を済ませた望美は衣を手に小さく息を吐いた。
別当という職は交易や神事の他に、近隣の揉め事の仲裁などもあって、常に忙しなかった。
今日もそういったトラブルを治めに出かけたのだが、夜になっても帰らないところをみるとこじれてしまったのだろう。

「はぁ………」

少しずつ、確実に身につければいい――そう自身に言い聞かせてはいるが、やはり傍で助けられないのは辛く、望美はそっと目を伏せた。
まだ源氏と行動を共にしていた頃ならば、傍に立ち、時に背を預けて支えあえた。
しかし嫁ぎ、北の方となった望美の役割は、一緒に現地に赴くのではなく、内での支えだった。

「ダメダメ!」

ふるりと顔を振ると、立ち上がって剣を取る。
うじうじしているぐらいなら、鍛錬でもして気を晴らそうと入り口に足を向けた瞬間――。

「帰宅した夫を放ってどこに行くつもりだい?」
「……ヒノエくん!?」

笑みを含んだ甘い声と共に、伸びてきた腕に捕らわれ、望美は驚き見上げた。

「お帰りなさい。遅くまでお疲れ様でした」
「ただいま。で、愛しい奥方は、こんな夜分にどこに行くつもりだったのかな?」
「う……」

にっこり笑顔の問いに、望美は気まずそうに視線を泳がせるが、手にした剣は隠しようもなく、嘆息すると正直に打ち明けた。

「……ちょっと鍛錬でもしてこようかなぁ、って」
「こんな夜遅く?」

どうしてそうしたかったのか――暗にその理由を問われて口ごもる。
ここ熊野に嫁いでから、望美がもどかしい思いでいることをヒノエは知っていた。
そんな望美を気遣い、忙しい時間をやりくりして京で共に紅葉狩りをし、唐紅の衣まで贈ってくれた彼に再び心配かけたくはなかった。
しかしそんな望美の心中などお見通しのヒノエは、追求を止めると奥にある見慣れぬ衣に目をやった。

「ねえ、望美。あれはなんだい?」
「え? ……あ!」
ヒノエの視線を追った望美は、慌てて剣を置くと衣を手に取り駆け寄った。

「衣……?」
「ちょっと雑なところがあるかもしれないけど……」

そう言い笑う望美を抱き寄せて。感謝の口づけを額に落とす。
望美がこっそり何かをしていることには気づいていた。
しかし隠そうとしている様から、それが自分に関わることなのだろうと察して敢えて問わずにいた。

「まさか俺の衣を縫ってくれてたなんて、ね」
「ヒノエくん、気づいてたの?」
「こんな嬉しい隠し事なら大歓迎だよ」
微笑んで、今度は柔らかな唇に口づける。

「前に唐紅の衣をくれたでしょ? だから私も、ヒノエくんに贈りたかったの」

手元の衣はとても丁寧に縫われており、望美の愛情が深く感じられて、ヒノエの胸を熱くする。

「これからはこの衣以外着れないね」
「そ、それはダメ! ……っていうか、外に着てっちゃダメだよ!」
「ちゃんと仕上がってるから大丈夫だよ」
「ダメだったら!」

慌てて取り返そうとする腕をすり抜け、素早く身にまとうとニヤリと微笑む。

「喜び涙する夫から取り上げるなんて酷なこと、しないだろ?」
「どこが涙してるのよ!」
「ここでだよ」
とん、と胸を突くと、伸びた腕を捕らえて
そのまま抱え込む。

「ありがとう」
衣だけではないその想いに、暴れるのをやめ手を重ねる。
別当奥方として至らぬ面に落ち込みもするけれど、それでもやっぱりヒノエと居たい。
改めてそう思うと、降りてくる唇をそっと受け止めた。

* *

「頭領~!」
いつものようにヒノエの元へとやってきた水軍衆は、先日とは打って変わって上機嫌な様に、不思議そうに問うた。

「頭領、何かいいことでもあったんですか?」
「ああ、もちろん」
にやりと笑んで、唇をつり上げるヒノエに、水軍衆は一瞬考えると、ああと思い至った。

「衣を新調されたんですね」

しかし女でもあるまいし、なぜそんなことでこうも喜んでいるのだろうと首を傾げると、つと紅の瞳が横にずれた。

「……もしかして奥方様が?」
「そう。上出来だろ?」
自慢げに微笑むヒノエに、望美は恥ずかしそうに頬を染めるとじとっと睨む。

「ダメって言ったのに……」
「こんな最高の奥方、自慢せずにはいられないだろ?」
そう言って抱き寄せるヒノエに、望美が慌てて逃れようともがく。

「ちょっ……馬鹿!」

人目を気にする望美に、しかし腕は緩まず。
相変わらずの幸せそうな別当夫婦に、大きく息を吐くと「早く来てくださいよ」と言い残して水軍衆は立ち去るのだった。
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