淡雪のように降り積もる

弁望92

今日は久しぶりの弁慶とのデート。
迷宮が消えた後、こちらの世界へと残ってくれた弁慶は、生活の基盤を整えるための準備に勤しんでいた。
薬師としての知識と経験を生かし、医者か薬剤師になりたいと、大学受験に必要な『高等学校卒業程度認定試験』に合格した弁慶は、今度は大学受験合格を目指し、勉強に励んでいた。
一足先に大学に合格し、晴れて大学生となった
望美と弁慶の生活は当然あわず、思うように会えずにいた。

「どうしたんですか? 望美さん」
知らず漏れたため息に、弁慶が気遣わしげに見つめる。

「い、いいえ! なんでもないんです」
慌てて首を振るが、弁慶は悲しげに顔を曇らせ
視線を落とす。

「僕には言えない事なんですか?
……悲しいな」
「そ、そんなこと……っ」
「では教えてくれますね?」
にこりと微笑まれ、またも彼の策にはめられた
ことに気づき、望美は頬を膨らませた。

「それで……君がため息をつく理由はなんですか?」
「たいしたことじゃないんです。ただちょっと……寂しいなぁって」
望美の言葉に、弁慶が目を瞠る。

「あ! その、弁慶さんが一生懸命なのは知ってるし、仕方ないってわかってるんですよ!
でも、その…」
慌てる望美に、弁慶がそっと頬を包みこむ。

「……すみません。君をそんなふうに寂しがらせるなんて、僕の配慮が足りませんでした」

「い、いいんです! たんなる私のわがままなんですから……っ」

自分の咎にする望美の唇にそっと指を置いて言葉を封じ、切なげに瞳を細める。

「本当ならばすぐにでも君を僕のものにしてしまいたい。だけど、自分で生計を立てられるようになってからでないと、君と君の両親に申し訳が立たないから……」

高等学校卒業程度認定試験に合格した時、弁慶は待っていて欲しいと、そう望美に願った。
遥かなる時空の向こうでは薬師や軍師として働いていた弁慶も、望美の世界では職を得るために
学生となって一から学ばなければならなかったのだ。
望美のためにこの世界に残り、一生懸命に頑張ってくれている弁慶にこんなわがままを言ってしまった自分が情けなくて、目尻にじんわりと涙が
浮かぶ。

「弁慶さん、こんなに頑張ってくれてるのに……せっかく久しぶりのデートなのに、こんなこと
言ってごめんなさい」

「謝らないで。君は何も悪くない」

俯く望美を抱き寄せて、今にもこぼれそうな涙を指で拭う。

「君にこんな寂しい想いをさせても、それでも
十年後も二十年後も、これから続く未来をずっと君と共にいたいと、そう願う僕が罪深いのだから」

「そんなの……っ」

「それでも僕は君を手放せない。君と2人、生きていく未来を切に願うから……」

涙に濡れた翡翠の瞳に映る自分に、相反する思いを抱く。
この瞳を悲しみに曇らせたくないという思いと、それでも自分を想って揺れる瞳に自分だけを映していたいと願う思い。

「私だって弁慶さんと一緒にずっと2人で生きていきたい。だから、寂しいのだって我慢できます。でも……」
言いよどむ望美に、弁慶が軽く口づけ先を促す。

「でも……時々はこうして甘えてもいいですか?」

「もちろんです。時々と言わずいつもでもいいですよ」

「そ、それはちょっと……」

頬を赤らめる望美に、くすりと笑みを浮かべる。

「さっきね? 通り行く女の人達が皆弁慶さんを見ていることに、ちょっとだけ不安になったんです」
先程のため息のもう1つの理由を照れくさそうに話す望美に、愛しさが溢れてくる。

「僕には望美さんしか見えませんよ。それに僕もずっと心配しているんですよ?」

「弁慶さんが?」

「君は本当に美しい人だから。そんな君に惹かれる者はいくらでもいますからね」

自分の魅力に気づいていない望美は、不思議そうに小首を傾げる。
遥か遠い時空の向こうで、自分を始めとした
八葉、彼女を守護する龍神、さらには敵である者までも魅了していたというのに。

「……何か策が必要ですね」
ぼそっと呟いた弁慶に、望美がきょとんとした瞳を返す。

「なんですか?」
「いえ、なんでもありません」
浮かんだ謀を綺麗に隠し、望美に笑顔を向ける。
不意に思い出したのは、あの日、自分と別れたくないと、涙を流し想いを伝えてくれた望美の姿。

「僕は成し遂げると決めたことを、投げ出したりはしません。君が僕を必要としなくならない限り……ね」
もう一度、心に秘めた想いを言の葉にする。
いつまでも望美と共にいられるようにと願いを
こめて。
Index Menu ←Back Next→