平気じゃないのはたぶん僕

弁望91

「弁慶さん、こんにちは!」
笑顔で挨拶する望美に、ドアを開けて出迎えた
弁慶が笑みを返す。

「いらっしゃい、望美さん」
「お邪魔します~」
促され、部屋へと足を踏み入れた望美は、呆然と立ち尽くした。

「どうしました?」
「……また物が増えてません?」

有川家から引越し、近くのマンションで一人暮らしを始めた弁慶。
始めは生活必需品のみだったのが、1ヶ月、2ヶ月と追う毎に物が着実に増えていた。
不意に甦る、景時の邸にある弁慶の私室の風景。

「あんまり何でも集めちゃうと、また足の踏み場もなくなっちゃいますよ?」

ため息交じりの望美の言葉に、彼女が何を思い
浮かべているのかを察した弁慶は、くすりと笑みをこぼす。

「そうですね。気をつけてはいるんですが、つい……」

気になると実際手にして、気がすむまで調べたがる探究心は相変わらず健在らしい。
ふぅとため息をつく望美に、弁慶が矛先をそらそうとお茶に誘う。
花の香りが漂う紅茶が注がれたカップは、弁慶とお揃いで買った望美専用のもの。

「弁慶さんって本当に紅茶入れるの、上手ですよね~」
渋みがなく、香り豊かな味に、望美が嬉しそうに微笑む。

「薬を煎じるのと同じようなものですからね。
それに君に入れるお茶は想いが違いますから」

さらりと紡がれた甘言に、望美が頬を赤らめる。
弁慶のこうした言葉に大分免疫がついたとは
いえ、それでも言われ慣れるということはなかった。

「そ、そういえば参考書、いいの見つかりました?」
照れ隠しに話題をそらすと、弁慶がああと頷く。

「ええ。譲くんにも色々勧めてもらって、いくつか見繕いました」

望美の世界に残った弁慶は、生活の基盤を整えるため、まずは大学に通うことを決め、受験に必要な『高等学校卒業程度認定試験』に合格するために勉強をしていた。

「こんなにいっぱい覚えるの、すごく大変ですよね」
自分も同等のものを習っているはずなのに、ぱらぱらとめくった参考書の問題に、望美はうっと
唸る。

「でもやりがいはありますからね。楽しいですよ」
「……弁慶さんって本当に勉強好きなんですね」

自分には到底出てこない言葉に、感心して弁慶を見つめる。

「望美さんの方はどうですか?」
「1年近く勉強から離れていたから、取り戻すのがすごく大変です」
高校3年になった望美は弁慶同様、受験生活に
突入したのだが、異世界での1年のブランクを取り戻すのに、かなりの苦労を強いられていた。

「将臣くんなんか私よりもっと大変なはずなのに、さらっと取り戻しちゃってるんですよ!」

望美よりもずっと異世界での生活が長かったはずなのに、あっという間に取り戻してしまった頭のいい幼馴染に、ぷうっと頬を膨らませる。

「譲くんも全然大丈夫そうだし、私だけ合格できなかったらどうしよう……?」
受験のストレスからか、望美らしくないネガティブな様子に、弁慶が手を取り微笑む。

「君なら大丈夫です。勘を取り戻すまでは大変でしょうが、君は努力家ですからすぐに追いつけますよ」
「そうでしょうか……?」
相変わらず眉を下げてる様子に、手を包み視線を合わせる。

「それならここで僕と一緒に勉強しますか?」

「え? でも迷惑じゃ……」

「可愛い君と一緒に過ごせることが迷惑なわけありませんよ。たとえ勉強のためとはいえ、ね」

にこりと微笑む弁慶に、望美の頬が熱を帯びる。
弁慶と毎日会えるのは、望美だって嬉しい。
でも――。

「弁慶さんといる時はこうしてお話したり、お出かけしたりしたいから……やっぱりやめておきます」
たとえ毎日会えなくても、弁慶との時間は大切にしたいから――。
その想いが伝わってきて、弁慶はふっと目を和らげた。

「そうですね。確かに君を前にしては、僕も意識が君だけに向いてしまいそうですからね」

「も、もう……っ! 弁慶さんはすぐにそういうこと言うんだから」

照れくさそうに上目遣いに見る望美に、弁慶がふふっと微笑む。

「――それならば、次の逢瀬までの時間を耐えられるよう、忘れられない一時を僕に与えてくれませんか?」

握ったままだった手を口元に引き寄せ、指に口づけて。
伏せられた瞼に、柔らかな唇を食む。
時空を遥かに超えた京の世界とは違い、望美と
過ごす時間が限られている今の現状。
それは仕方のないことだと分かってはいるのだが、どうしようもなくもどかしくて。
だから、こうして望美のぬくもりを確かめたくなってしまう。
自分をこの世界に留める唯一の存在に甘えて。
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