その刃先にも似た瞳

弁望10

雨は嫌い……あの日を思い出すから。
全てが炎に包まれたあの日、私は一人時空を超えて逃げた。
眼前にあるのは、見慣れた学校。
あれは悪い夢だったのだと、そう思いたくなるほどそこは当たり前の日常で。
だけど、胸の痛みがあれは現実なのだと知らしめた。
傷を負った皆を残し、自分だけがあの世界に行く前の学校に……一番最初に戻ってきてしまったのだ。

己の無力さに泣き叫んで、ふと気づく。

『私のこの、喉の逆鱗。龍の鱗は時空を超える力があるから。逆鱗を使えば、神子は時空を飛べる』

それは、望美を神子に選んでくれた龍の言葉。

「私は……時空を超えられるなら」
淡く輝く、龍の命の欠片。

「あの世界に行こう。大切な人を助けるために」
強い決意を胸に瞳を閉じると、望美は白い光に身を委ねた。

* *

九郎のところへ行こうと部屋を出た弁慶は、じっと外を見つめる望美を見つけた。
まっすぐに雨を見つめる翡翠に浮かぶのは、悲しみ、痛み……そして決意。
いつも朗らかに微笑んでいる彼女とはあまりにも違うその表情に、弁慶は思わず息をのんだ。
――声が響いたのは、望美がふっと雨から視線をそらした刹那。

「退屈ですか?」
「わっ! 弁慶さん? 全然足音しなかったからびっくりしました」
「ふふ、すみません。癖なんです」

軍師として普段から気配を殺す習慣がついている弁慶は、柔和な笑みを返す。

「隣りに座っても構いませんか?」
「はい、どうぞ」

諾の返事に腰を降ろすと、先程望美が見つめていた外の景色へ視線を移した。
梅雨の季節である今は、今日も朝から雨が降り
続いていた。
気づかれぬよう、顔は前に向けたまま目だけで
望美を見ると、その顔はいつもの彼女に戻っていた。
先程のあの表情はなんだったのだろう?
疑問を抱きながらも、それをおくびにも出さずに話を振る。

「望美さんは雨は嫌いですか?」
「え? うーん……どちらかといえば、晴れの方が好きかな。雨だと出来ることが限られちゃうし」
活動的な彼女らしい答えに笑みを浮かべると、
望美が質問を返してきた。

「弁慶さんはどうですか?」
「僕、ですか?」

問われ、一瞬答えに詰まる。
雨を特に好ましいとも煩わしいとも感じたことはなく、その時の状況に応じての行動を考えるだけだったので、なんと答えればよいものかと思案した。

「……そうですね。雨期があるからこそ緑は育まれ糧を得られるのだと思えば、嫌いとは言えないでしょうか」

「そっか。雨が降らなかったら飲む水にも困りますものね」

弁慶の答えに、望美はうんうんと頷き微笑む。

「でも、薬草の保管が難しくなるのは困りものなんですがね」

「あ、じめじめしちゃいますものね」

「ええ。だから怪我や病には気をつけてくださいね?」

「う……はーい」

笑顔でちくりと釘を刺すと、望美が眉を下げて
肩をすくめる。
白龍の神子である望美は、稀なる存在ゆえに後ろで庇われて当然だというのに、自ら進んで前線にたっていた。
争いのない国からやってきたという望美が、どうして率先して戦いたがるのか弁慶には分からなかった。
元の世界に戻るため、五行を正さなくてはならないのだとしても、八葉が弱らせた怨霊をただ封印するだけでも十分に神子としての役目は果たせるのだ。
なのに、彼女は庇われることを是とせず、自ら
剣を取り戦っていた。

(その理由があの表情……でしょうか)

思いつめたような眼差しで、雨をじっと見つめていた望美。
あれこそが彼女が秘めてる何かなのだと、弁慶は漠然と感じていた。
以前も不調を押して無理に出かけようとする彼女を窘めたが、それでも頑として聞き入れず、仕方なしに弁慶は彼女の護衛としてその行き先に付き合ったことがあった。
あの時の望美もまた、何かに焦り、必死に手を
伸ばしていた。

「雨、早く止まないかなぁ」

「僕はこうして二人で過ごせるのを嬉しく思っていたのですが、君は違うんですね。悲しいな……」

「え!? いや、あの、別に弁慶さんといるのが嫌だってわけじゃ……っ」

「ふふ……戯言ですよ。一刻も早く、熊野川の
怪事を解決せねばいけませんからね。僕たちの神子は篤実な方で助かります」

顔を曇らせて見せればすぐに慌てる望美に、弁慶はくすりと笑むとそっと手を取った。

「望美さん。一人で無理はしないでください。
君には僕たち、八葉がいるのですから」
「はい」
以前にも言われたその言葉に、しかし今度は
はねつけることなく、素直に頷き微笑む。

あの日の雨音はまだ消えないけど、それでも私は決めたから。
絶対皆を救ってみせる。
それがどんなに己のエゴであっても。
だから――。
そっと振り返り、雨を見つめる。

(私は止まらない。どんなに雨音が辛くても、
そう決めたのだから――)
胸の奥で呟いて。
弁慶の後に続いて、立ち上がった。
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