惑い、あがいて望むもの

弁望9

目覚めると、かすかな異変に望美はお腹を押さえた。
布団代わりにかけていた着物をめくると、敷布にわずかな紅の染み。

「ど、どうしようっ!?」
現代と違い、この世界には生理用ナプキンなど存在しない。
この事態を乗り切るために、望美は慌てて朔を探した。

* *

「前にきたのがあの時だから……」
指折りながら、以前生理が来た日を数える。

「3ヶ月ぶりなんだ……」
この世界に来る前は定期的に訪れていた生理。
それが初めてこの世界にきた時から徐々にずれるようになり、今回は3ヶ月もずれてしまっていた。
そのずれが生理を重くして、だるい身体と痛む
お腹に、望美はきゅっと唇を噛みしめた。

「こんなところで休んでなんかいられないのに……っ」
今は春。
一度炎の中で皆を失って、一人時空を超えた望美には、京で迎える二度目の春だった。

「ヒノエくん、春は六波羅に居たって言ってたよね」

運命を変える――そのためには、あの時と違った道を選ばなければならない。
誰一人失うことのないように、皆の動向に目を
光らせ。
慎重に、慎重に運命を変えていく。
仲間を失いたくないという強い思いに、望美は
だるい身体を無理矢理起こして戸へと向かう。
しかし戸を開けた瞬間、すうっと意識が遠のいた。

『ダメ……こんなところで寝てなんかいられないの……っ!』
自分に必死に言い聞かせて、薄れる意識を何とか保とうとするが功を奏さず。

「……望美さん!?」
驚愕した誰かの声を最後に、望美の意識は闇に
包まれた。

* *

額に触れた冷たい手の感触に、望美はふと目を
開けた。

「ああ、気がつきましたね」
「……弁慶さん……?」
枕元でふわりと微笑む弁慶に、意識を失う前に
聞こえた声は弁慶だったのだと、望美はぼんやりとした頭で思い出す。

(私、貧血起こして倒れたんだ……)

遠のく意識に抗うも、結局は倒れてしまったのだ。
はぁ……と小さくため息をつくと、望美は褥から身を起こそうとした。
それを、やんわりと弁慶が阻止する。

「駄目ですよ」
「でも、私……っ」
一見軽く添えられているだけのような弁慶の腕は力強く、振り払うことが出来なかった。

「君は先程貧血を起こして意識を失ったばかりです。急に起き上がってはまた倒れてしまいますよ」

「でも私、寝てなんかいられないんです」

「君が何をそんなに焦っているのか、僕には分かりません。ですが薬師として、そんな状態の君を出歩かせるわけにはいきません」

「でも私が頑張らなきゃ、またみんなが……っ」

感情のままに言いかけて、ハッと口をつぐむ。
望美が運命を上書いていることは、誰も知らないことだった。

「……私なら大丈夫です。少し身体がだるいだけで、熱があったり怪我を負ったわけじゃないですから」

それよりも早く六波羅に行かなければ……そう気だけが急いて望美を追い立てる。
どんなに身体に傷を負ってもいい。
皆を失うあの痛みに比べれば、どんな怪我でも
耐えられるから。
それよりも、再び仲間を失うことの方が望美には怖かった。
こうして寝ている間に、あの時と同じ運命を辿ろうとしているかもしれない。
そう思うといてもたってもいられず、望美は訴えるように弁慶を見つめた。

「弁慶さん。私、本当に行かなきゃいけないんです」
「駄目です」
「弁慶さん!」

埒の明かない押し問答に、望美が縋るように傍らに寄り添う弁慶の外套を掴む。

「望美さん。君は僕達にとってとても大切な人
なんです。だからどうか一人で無理をせずに、僕達を頼ってください」

優しく諭す弁慶に、望美は俯き唇を噛みしめた。
弁慶や仲間達が自分のことを心配してくれるのは嬉しい。
だけど、それは望美も同様だった。
運命を歪めても彼らを死なせたくないと、そう
強く願う気持ちは譲れないのだから。
黙り込んでしまった望美に、弁慶は小さく息を
吐くと、諦めたように微笑んだ。

「……どうやら君は僕がどんなにお願いをしても、聞き入れてはくれないようですね」

「ごめんなさい……でもどうしても寝ているわけにはいかないんです」

心配してくれているのに、その手を振り払おうとしている自分が申し訳なくて、望美は顔をあげられずにただ謝罪を口にした。

「では、僕も一緒にいってもいいですか?」
「え? それは構いませんが、弁慶さん忙しいんじゃ……」

軍師でもある弁慶は、いつも忙しそうに二条堀川と景時の邸を行き来していて、部屋にこもっている時でも休むことなく、常に書物や書簡に囲まれていた。

「今は急ぎの案件もありませんし、青白い顔の君を一人で出歩かせるのは、薬師として見過ごすわけにはいきませんからね」
「ごめんなさい……」

忙しい彼の手を煩わせてしまうことに、申し訳なさそうに目を伏せると、そっと頬に触れて弁慶がふふっと微笑んだ。

「君と二人きり、なんて嬉しいぐらいですよ」
「~~~~~~~」
さらりと紡がれた甘言に、望美がぼっと頬を赤らめる。

「それでは行きましょうか」
「はい」
差し出された手を取り立ち上がると、弁慶が強く握ってまっすぐに見つめる。

「弁慶さん?」
「具合が悪くなったらすぐに邸に戻ること。
約束できますね?」
そうでなければ外出は許可しません、という無言の圧力に、望美は眉を下げて頷いた。

* *

弁慶の隣りを歩きながら、望美はそっとその横顔を覗き見た。
一度目の時空では、薬師として京の人々を憂う姿や、戦の中で厳しい決断を下す弁慶の姿を見た。
それは初めに会った時の、柔らかな印象の彼からは分からなかった一面だった。

(弁慶さんもよくわからない人だよね……)

いつも穏やかな微笑を浮かべているが、その胸の内は全く見えなかった。

(弁慶さんのこともちゃんと見てなきゃ。そうでないとまたあの時のように……)

脳裏に甦る、炎に包まれた京の町。
あの時、望美はただ死んだと告げられ、弁慶の姿を見ることが出来なかった。

「望美さん?」
気遣うような弁慶の声に、望美がハッと意識を
戻す。

「具合が悪いのですか?」
「違います! ちょっと考え事していただけです」
少しでも不調が見えれば、即座に邸に連れ帰ろうと思っている弁慶に、望美は慌てて否定した。
何をすればあの運命を変えられるのかはわからない。
それでも、一度目の時空では会うことのなかったヒノエに、この京で会うことは一つのきっかけになるはず。
望美はそう信じて、六波羅へと向かうのだった。
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