計算-5-

弁望69

弁慶が望美を連れて離れの部屋へと消えてから
1時間あまり。
京邸には気まずい空気が流れていたが、後から
リズヴァーンが来るということで帰ることもできず、意識を失った九郎以外の仲間達はほとんど無言で酒を飲み交わしていた。
そんな中で開いた扉に、一斉に緊張が走る。

「おや? ずいぶん静かですね」

どうしたんですか?、とにこやかに問う弁慶に、『お前のせいだろ』と内心で全員突っ込むが、
誰もそれを口にする勇気はない。
さらに弁慶に付き従う形で現れた望美を見て、
ぎょっと顔を強張らせる。
その姿を覆い隠すように羽織られた真っ黒な
外套。
それはまだ源平で争っていた時分、弁慶が常に
身に纏っていたものだった。
それをなぜ望美が纏っているのか?

「ん……?」
ようやく意識を回復した九郎は、身を起こすと扉の前に立つ弁慶と望美を見止め口を開く。

「弁慶、来ていたのか。ところでどうして望美がそれを着てるんだ?」

「少し前についたんですよ。それよりも君の方こそ、どうしてそんなところで眠っていたんですか?」

「そ、それは……っ!」

誰もが不審に思いながらも突っ込めなかったことを問うた九郎に、弁慶がにこりと微笑みながら
質問を相殺する。
気を失う前の出来事を思い出し、顔を真っ赤に
染める九郎に、弁慶の身体から凍るような気が立ち上る。

「と、とりあえず座りませんか?」
「そうですね」
ブリザードが吹き荒れる間に入ると、望美が大慌てで弁慶を席に促す。

「……」
「……」
弁慶と望美が席に着いた後も、場は重い空気に
静まり返っていた。

「べ、弁慶さん、どうぞ」
「ありがとうございます、望美さん」
「兄上もいかがですか?」
「あ、ありがと~」
その場を何とかしようと、望美と朔が酌をする。

「ねえ? 俺にも注いで欲しいな」
「あ、うん」

杯を掲げて片目を瞑るヒノエに、望美が頷き、
腰をあげた瞬間、目の前をとっくりが飛んでいく。
顔にぶつかる寸前でそれを受け止めたヒノエは、放り投げた元軍師で叔父である男を睨みつける。

「なにすんだよ?」
「君が飲みたそうだったので差し上げたまでです」
「あんたは人に渡す時に放って寄こすのか?」
「離れていたもので」

不機嫌全開で言葉を投げるも、涼しい笑顔にあっさり流される。
バチバチ、バチバチ!
火花が飛び散る朱雀組の間に座ってしまった運の悪い敦盛は、「帰りたい……」と心の奥で呟いた。

「リ、リズ先生は遅いな」
「どうしたんだろうね~?」
何とか場の空気を換えようと将臣が話を振ると、景時が慌てて食いつく。

「先生なら弟子を一人とったとかで、鍛錬が済み次第いらっしゃると仰っていたぞ」
「弟子?」
初耳の望美が驚いて九郎を見る。

「ああ。戦で親を亡くした孤児を引き取って弟子にされたそうだ」
「そうだったんですか」

九郎の話に、剣の師匠であるリズヴァーンのことを思い出し笑みがこぼれる。
鬼であるゆえに人里から離れて、鞍馬に隠れるように生活しているリズヴァーン。
一緒に住もうと何度か誘ったのだが、リズヴァーンが頷くことはなく、一人で過ごす彼を心配していた望美はほっとした。
リズヴァーンの優しさは親を亡くした子供の心の傷を癒してくれるだろうし、そしてまたその子供の存在がリズヴァーンを孤独から救ってくれるだろうから。

「良かった……」
心の底から喜んでいるのであろう望美の優しい呟きに、一同が笑みを浮かべる。

「先生、その子も連れてきてくれないかな?」
「どうだろうな」
「案外子煩悩なところがあるから、連れて来るかもしれないよ?」
「そうだな」
景時の言葉に、将臣が九郎と望美を見つめてにやりと笑う。

「将臣くん、その視線なに?」

「そうだ。望美はともかく、俺は童子ではないぞ!」

「私はともかくってどういう意味ですか?」

「い、いや、お前はまだ17歳だし、先生を慕ってただろう」

「九郎さんだって先生離れしてないじゃないですか」

「なんだと!?」

例のごとく他愛無い内容で口喧嘩し始めた2人に、朔と将臣がため息を漏らす。
不器用で口下手な九郎は、こんな具合に余計な
ことを言っては望美を怒らせ、事あるごとに喧嘩していたのである。

「どっちも腰ぎんちゃくってことでいいじゃねーか」
「腰ぎんちゃくって何よ!?」
「どっちもとは聞き捨てならんぞ、将臣!」
呆れながら無意識に火に油を注ぐ将臣の物言いに、望美と九郎が同時に反論する。

「こんなところは気が合うんだから」
「ははは」
ため息交じりの朔の呟きに、景時が笑う。
それは以前共に過ごしていた頃を思い出させる、懐かしい風景だった。

→6に続く
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