「嬢ちゃん、会いたかったぜ!」
「え? 湛快さん?」
突然訪れた湛快に驚くと、ちっちと指を振ってにこやかに微笑まれる。
「――『お兄様』だろ?」
「……あ! そうでした『お兄様』」
「おう!」
訂正すると、湛快がご機嫌で顎をしゃくる。
「玄関が騒々しいと思ったら、あなたですか」
「相変わらず可愛げのねぇ弟だな」
「可愛かったら怖いでしょう?」
にこりと浮かべられた冷笑に、しかし湛快が怯むことはない。
「望美さん、こんな人を『お兄様』などと呼ぶ
必要はありませんよ」
「なんちゅう言い草だ。せっかく『可愛い弟』のために、熊野から遠路はるばる届けに来てやったと言うのによ」
湛快が持っているのは、熊野でしか採れない薬草。
「わざわざあなたが届けに来なくとも、烏に託せば良いでしょう? 望美さんに会う口実にしておきながら、恩を売るのはやめて頂きましょう」
「そりゃ~、ひねくれものの弟がこんな可愛らしい嫁さんをもらったんだ。会いにも来たくなるってもんよ」
「あ、ありがとうございます」
湛快の言葉に、望美が照れくさそうに頬を染める。
「いや~、本当に嬢ちゃんは可愛いな~。
どうだ? こんなひねくれた弟なんぞ愛想つかせて、俺の一人息子の嫁にならんか?」
「それなら『お兄様』と呼ぶ必要はなくなりますね」
にこりと笑顔で応酬する弁慶に、湛快が苦虫を噛んだ顔をする。
「それは捨て難いな……仕方ない。嬢ちゃんの
相手はお前で勘弁してやろう」
「あなたに許可してもらう必要はありませんよ」
「お、お兄様っ! こんなところで立ち話もなんですし、どうぞ上がってください。
お茶用意しますから。さ、弁慶さんもっ」
どんどんと笑顔が怖くなる弁慶に、望美が慌てて場をとりなす。
「おう、嬢ちゃんは本当に優しくて気の利く、
いい嫁さんだな」
「望美さん、水で十分ですよ」
どこまでも平行線の兄弟の会話に、望美は乾いた笑いを浮かべた。
* *
「もうっ! どうしてあんなにつっけんどんなんですか!?」
湛快が帰った後の望美の雷に、しかし弁慶は何事もなかったかのように微笑み返す。
「そんなことありませんよ」
「嘘ですっ! せっかく熊野からいらしてるのに……だから帰っちゃったんですよ?」
酒を酌み交わしていたので、泊まっていっては
どうかとの提案を、しかしそげない弁慶の態度からか、湛快は六波羅のいつもの定宿があるからと帰ってしまったのである。
「望美さんの心遣いはわかりますが、あいにく
この家には寝具は僕達二人の分しかありません」
「う……っ! だ、だったら私と弁慶さんが一緒のお布団で寝れば……」
「いいんですか?」
いつの間にか腰に回された腕が、二人の距離を一気に詰める。
「君の吐息を隣りに、理性を保っていられる自信は僕にはありませんよ。兄に仲睦まじい夫婦の姿を見せたいというのであれば、構いませんが……」
「……弁慶さんの意地悪っ」
半分脅迫のような言い分に、望美が頬を膨らませる。
確かに二人が暮らしている家は湛快のような大きな邸ではないため、夫婦の寝室と弁慶の仕事場ぐらいしか寝る場所はなく、さらに二人が普段使っている寝具を除けば、患者用のものしかないのだが、それでもあからさまに邪険にする様は、望美としては苦言も呈したくなるものだった。
「そんなに私が『お兄様』って呼ぶのが嫌なんですか?」
結婚してから分かったのだが、弁慶は独占欲が
強く、今までも妬かれることがしばしばあった。
「いえ、望美さんが兄を気遣ってくれるのは、
僕を思ってのことですから嬉しいですよ」
「ならどうして……」
あんな態度を? と続くであろう言葉に、弁慶が苦笑いを浮かべた。
湛快のあの手の行動――それはたんに弁慶をからかいたいだけなのである。
それは、今まで女に目もくれなかった自分を心配していた兄だからこその、喜び祝福している態度なのだけれど、それをわかっていても素直に受けとめる性格ではないのだから、仕方ないのだろう。
「望美さん、あの人にあまり気を許しすぎてはいけませんよ?」
「どうしてですか? 弁慶さんのお兄さんなんですよ?」
「君は人を惹きつけてやまない人なんです。何度言っても君は分かってはくれませんが……」
「そんなの弁慶さんが過大評価しすぎなんですよ」
神子として行動を共にしていた頃から、自分の
魅力には疎かった望美は、やはりわかってはおらず、弁慶の盲目ゆえと軽く流してしまう様にため息をつく。
惚れた欲目以上の魅力を兼ね備えているのを、
とんと無自覚なのである。
「そういうところが君の可愛いところでもあるのですが……」
ぐいっと引き寄せ、胸に抱く。
「無垢であるが故に男を魅了してしまう。少しは自覚を持ってくださいね?」
――君は僕の奥さんなのだから。
そう耳元で囁くと、望美の顔が真っ赤に染まる。
「……私が好きなのは、弁慶さんだけです」
染まった顔を隠すように、弁慶の胸に逃げ込んだ望美を、幸せそうに抱き寄せた。