羽衣

弁望43

「望美さん、前から気になっていたのですが……」
弁慶の突然の問いに、望美は洗い物を終えて居間に戻ると、ちょこんと彼の前に座る。

「なんですか?」
「君はいつも大事そうにそれを首からかけてますね」
問われて、胸元で淡く輝く逆鱗をそっと指で触れる。
それはこことは違う時空で、自分を選んでくれた龍から託された彼の命の源だった。
そしてこの逆鱗に宿された力が、今の弁慶との
穏やかな暮らしを作ってくれたのだった。

「これは大切なものだから」
望美の返答に弁慶が顔を曇らせる。
その変化に気づき、望美は弁慶を覗き込んだ。

「弁慶さん?」

「……どうして君は今でもそれを身につけているんですか?」

「どうしてって……これは白龍がくれた大切な
生命ですから」

そんなことを問う弁慶の意図が分からなくて、
望美は困ったように彼を見た。

「……君は……僕を置いていってしまうのですか?」
弁慶の言葉に、望美は瞠目する。
そんな望美に、弁慶は腕を掴んで引き寄せると、強くかき抱いた。

「それは君を僕から引き離せる力を持っている。君がそれを今でも身につけているのは、いつか僕を置いていなくなってしまうんじゃないか……と。そんな疑心に駆られてしまうんです」

「違います! 私が大切にしているのは、この
逆鱗が弁慶さんの……あなたの命を救ってくれたからです!」

驚き緩んだ腕の中から、今度は望美が必死に着物を掴んで伝える。

「いつも身につけてるのは…弁慶さんに何かあった時、きっとその現実に耐えられないから……だから……」
言いながら、厳島で一人消えてしまった弁慶の姿が甦り、涙がこみ上げてくる。

「すみません。辛いことを思い出させてしまいましたね……」
俯いた望美を胸に抱き寄せ、謝罪する。

「疑心に駆られて君を傷つけてしまうなんて……本当にすみません」

「私は絶対に弁慶さんの傍を離れません。時空を超えてまで望んだ未来なんだから……っ」

濡れた瞳で、それでもまっすぐに見つめる望美に、弁慶は頬を撫でて微笑んだ。

「君のおかげで、僕は決して得ることがないと
思っていた穏やかな時間を得られた。そしてなによりも君が傍にいる幸せを。ありがとう、望美さん」
「私こそありがとうございます」
逆に礼を告げられ、弁慶が首を傾げる。

「どうして君がお礼を言うんですか?」

「だって、今こうして不安のない世界にいられるのは弁慶さんのおかげだから。あなたが取り戻した応龍の加護が、京をこんなにも温かく包み込んでくれているから。
だから、素敵な贈り物をありがとう、弁慶さん」
輝く笑顔に目がくらむ。

「……君は本当に清らかで優しくて……僕には眩しい人ですね」
「え?」
「僕の元から消えてしまわないように、君から
羽衣を奪ってしまいたい。そんな策まで僕は練ろうとしていたんです」

苦い笑みを浮かべる弁慶に、望美はふるふると
首を振って胸にすり寄った。

――僕は浮いてませんか?
以前、弁慶自身が口にした言葉。
穏やかな生活など、自分にはあり得ないと思っていた弁慶。
そんな弁慶には、今の望美との幸福な暮らしは
まるで夢のようで。
いつしか消えてしまうのではないかと、きっと
不安になるのだろう。
普段見せることのない儚げな笑みに、望美は寄り添い存在を伝える。

「私はどこにも行きません。だって、私が望んだ未来はここにしかないのだから」
背伸びすると頬に触れて、唇をそっと重ねる。
「弁慶さんと過ごすこの家が、私の居場所なんです」
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