休息

弁望32

「じゃあ、僕は往診に出かけてきますね」
「はい、いってらっしゃい」
いつものように会話を交わし、弁慶が扉を開けようとした瞬間、どさりと倒れる物音が耳に届いた。
振り返った先には、床にうずくまる望美の姿。
弁慶は慌てて駆け寄ると、望美を抱き起こした。

「望美さん! 大丈夫ですか!?」
「……弁慶さん?」
すぐに瞳を開けた望美に、安堵の息を漏らす。
そのまま脈を確認すると、抱き上げて部屋へ連れて行った。

「もう大丈夫ですから」
褥を用意する弁慶に望美は慌てるが、強制的に
寝かせる。

「いつから体調が悪かったんですか?」
「……ついさっきです。ちょっと気持ち悪いなって思ったら……」
「意識を失ったわけですね」

望美の返答にため息をつく。
出かける時、少し顔色が悪いとは思ったのだが、月の障りのせいだろうと深く追求しなかったことを悔やむ。

「あの……っ! 一時的な貧血だと思いますから。だから弁慶さんは往診行って来て下さい」

ちゃんと寝てますから……と必死に募る望美に、弁慶は小さく息を吐く。

「患者さん達も大事ですが、望美さん……君は
僕にとって何よりも大切な人なんですよ」
じっと見つめて言えば、うっと言葉を詰まらせた望美が黙り込む。

「何でも頑張るところは君の美徳ですが、無理をしてはいけませんよ。……月の障りが重いのでしょう?」

「えっ? ど、どうして知ってるんですか!?」

「僕は薬師ですよ。それに自分の奥さんのことは、把握してますから」

弁慶の言葉に、望美は恥ずかしそうに布団を引き寄せた。
普段は決して重い方ではないのだが、今回は出血の量が多く、身体のだるさはもちろん、珍しく
腹痛にも悩まされていたのである。
しかしそれを弁慶に悟られるのは恥ずかしかったので、何でもないふうを装っていたのだ。

「……旦那さんが薬師って困りますね」
生理のことまで見抜かれているのは、やはり気恥ずかしいものがあった。

「僕は嬉しいですよ。君の体調にすぐ気づけるのですからね」
髪を撫でてにっこりと微笑む弁慶に、望美は今日の家事を諦めた。
弁慶にばれた以上、ここで無理をすると後々が
怖いということがわかっていたからである。

「今、容態が心配な患者さんっていますか?」
「いいえ。今日は薬が足りているかの確認だけでしたから」
望美の問いに、弁慶は紫苑の髪を梳くように撫でながら答える。

「だったら今日は弁慶さんもお休みです」

「え?」

「弁慶さん、最近ずっと忙しかったでしょ?
薬師にだって休息は必要ですよ」

「僕は大丈夫ですよ」

「ダメです! 目を離したら動き回っちゃいますからね!」

子供のような宣言に、弁慶が苦笑を漏らす。

「それは困ります。では今日一日、君がちゃんと寝ていてくれるか見張っていることにしましょう」

自分を気遣う妻の優しさに、弁慶は柔らかく
微笑んで紫苑の髪を撫でた。
普段よりも月の障りが重いのは、知らずたまった心身の疲労からだろうことを、弁慶は察していた。
なのに自身の体調よりも弁慶を気遣う望美の優しさが、彼の心を温めた。

「では一緒に寝ます」
「えっ!? いや、それは……っ」
「僕がここで寝ていれば、君は僕が仕事をしないか見張れるでしょう?」

言うや、弁慶はとっとと望美の横に寝そべってしまう。

「たまにはこうして二人で寄り添って寝るのもいいですね」
笑顔を向ければ、望美が真っ赤な顔で俯きながら、かすかに頷く。
他愛のない会話を交わし、微笑みあえる穏やかな日々。
誰よりも愛しい望美を抱き寄せながら、幸福なこの時間を弁慶は噛み締めた。
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